「アク」とつきあう

ウエカツ水産

2007年12月16日 19:12

 いつものように翌1日分のカツオ昆布ダシをとる夜半,鍋の面に浮かぶ半透明のアブクをさらっては捨てつつフト考えた。このアブク,いわゆる「アク」とはなんぞや。今回はそのへんを追究してみたい。

 たしかに,このダシをとる過程で,コヤツを除いてやらねば,カツオに限らず煮干しなどサカナ系のダシ素材であれば,主に酸化した脂肪に由来する渋み,それからサカナ特有の生臭み,乾物臭等が残ってしまうため,従って,欠かさざる作業となっているわけだが,たとえば,いつぞや当家過去ログ「もうひとつの塩煮」の中で紹介した長崎県南部に分布する塩魚を使った汁の作り方を思い出す。
 水からジャガイモを入れて強火で加熱し,きつい塩をした魚を入れてからも強火で一気に加熱しつつアクをとりつづけ,スープが澄んだところで火を弱火に落としてからスライスしたタマネギを入れたのち味を調整するわけだが,これを,火を落とさずに強火に戻して加熱し続けるとどうなるかというと,火を落としてからは出なくなっていたアクが,再びドンドン湧きだして,一時は澄んでいたスープは白濁し始め,延々とアクをとり続けたあげく鍋の中は豚骨スープ化し,肝心の魚は身や骨が崩れ,何やら溶解したドギツイシロモノに変貌してしまうのである。
 このことからつまり,澄まし汁だろうが豚骨スープだろうが,料理にはそれぞれ「アクのとり加減」というようなものが存在するらしい,ということがわかってくる。アクをとらないのはダメ。とりすぎてもダメ。「汁は煮えばな」を良しとするのは,その煮加減もさることながら,アクのとり加減というか“とれ加減”,というようなバランス点とタイミングを併せて指している言葉のようにも思われる。

さて,いろいろ料理をしながらアクというものを観察してみると,ひとことでアクと言ってもいくつかのタイプに分類されることがわかる。おおむね次のとおりではなかろうか。

1.加熱によって生じるアク
①煮沸する素材の表面を沸騰した水ないしその泡が流れることにより,素材表面の汚れ等を掻き取るもの(たとえばサカナのアラで上品な潮汁をつくるとき,あるいは鍋に入れる切り身の臭味を除くための下ごしらえなど)。
②煮沸する素材が含む水分の温度が沸騰点に近くなるにつれ,素材から水分が湧出し,泡となって浮くもの(野菜の炊き合わせなどをつくるとき,温度の上昇に伴って生じるもの)。
③煮沸する素材の温度が上昇するにつれ,内部の,主に蛋白質が外部に滲出し,それが熱によって固まり,気泡が付着して浮くもの(主にサカナの煮付けなど)。

2.加熱によらずに生じるアク
①水や湯に浸すことによって水に溶出する苦味,えぐ味,渋味,色素など(ナスやゴボウ,キュウリ等の下処理,漬け物にする青魚などを水でさらすなど)。
②主にアルカリ性ないし吸収性の高い成分を加えた水ないしお湯に浸けることによって溶出する①と同様の,いわゆる雑味。(たとえばワラビを藁灰と湯で浸したり,大根やタケノコを米ぬかで煮冷ましたりといったこと)

 そして,一般的に我々は,加熱しながら生じるアクの除去を「アクをとる」といい,加熱によらない方法を「アクを抜く」などと言い慣わしているようだ,というようなことも思い当たりますね。後者は主に野菜で行われているが,魚や肉を流水に浸しておこなう「血抜き」といったことも広義にアク抜きと呼んでいる。

というようなアクとり談義はさておき・・・,

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 相変わらず雪は降らんし水温もぬくいままであるが,まあカレンダーではもうほとんど冬であるから,日本の冬といえば鍋,と言ってもおかしくない。実はこの「鍋料理」というやつが,アクについて学ぶ上で,大変優良な教材なのです。

たとえば・・・,
 冬の場末の酒場における忘年会,職場の十数人が三々五々集まって大鍋を囲むとき,ダシがたぎったら店のおばちゃんがやってきて,所定の時間内に終わらせて次の客を入れたいものだから,ホラ入れろソラ入れろとサカナから貝からエビから,白菜・春菊・白ネギを問わず,尻を叩かれつつドンドン放り込まざるをえない状況となり,とにかくバサリと蓋をして,あの大きな蓋の穴からブーッと激しい湯気が吹き上ったら,こんどはアチチなんて言いながら誰かがとりあげた土鍋の蓋を持ったまましばしうろたえるというような光景が一段落したところで,あらためて皆がのぞき込む食膳の中心に鎮座するのは,鍋に山盛りの地獄汁である。この店ではこれを“海鮮寄せ鍋”と称しているようだ。
 そして見よ,その有り様を。その結果を。鍋の縁には諸々の食材から噴出した成分の混合物がベットリとこびりつき,肝心の魚や貝やエビはダシがすっかり抜けてスカスカに崩れて堅くなっており,野菜は歯ごたえを失いぐったりしているのではないか。当初は琥珀色に半透明であったダシにいたっては,既にすっかり白濁し,色も何やらおかしげな気配。

 けれども,でもいいや・・・,と思い直す。みんなでつつくのだから。年に一度の忘年会なのだから。と気持ちを切り替えて,小鉢に具を取り分け,ケソケソと身肉を噛み,ペシャペシャとネギや白菜を舐め食い,ジルジルと雑味に満ちたダシを吸うのである。こんな鍋には,アルコール臭い安酒の,つきすぎた燗がお似合いだ。

 しかし,だ。これはお鍋という料理が創出する“和”の精神と,年の暮れであるというハレ的要素が事態をこの程度で治めているのであって,冷静に考えてしまっては悶絶の対象以外のなにものでもない。おれたちはブタか,と唸ってしまうのである。世の中には「食べて腹が立つ食べ物」というのが存在する。

 こんなことが起こるのも,提供する側・される側双方において,食材に対する熱の加減ということ,およびそれに伴う,本日のテーマであるアクに対する認識がおろそかにされている結果であろう,と思うのである。

 この一連の出来事を体験してわかるとおり,「アクというものをとらないと,食味上極めて悪辣な働きをする」,ということにまず思い知らされる。そして次に「アクというものは熱の加減と表裏一体である」,というしくみもわかってくるであろう。そして,この2点をないがしろにすることが,いかに鍋料理をダメにするか,ということを痛感し,更に,そうしてしまったのは当の我々である,という事実に愕然とし,慚愧の念にさいなまれるハメに陥るのである。ま,冷静に考えればのハナシですが。

 その点,本来の「日本の鍋の作法」というものは,火加減をもってアクを上手に取り去り,それぞれの具材の持ち味を最高のタイミングで味わえるようできている。すなわちそれぞれの「味の輪郭」を際立たせて,更に複合させて味わうように仕組まれている。
 ここで,どんなサカナでも,野菜でも,肉でも,簡易で大変美味しく食べることのできる,人心および味覚に優しい鍋の作り方およびその作法などを述べながら,併せてアクというものについて考えていきたい。

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【 「優しいお鍋」の作り方 】

 鍋料理というものは,多様な具材に合わせてその調味の構成を変え,かつそれは地域の風土ないし各人の好みに依るところも大きい。全国を眺めてみれば、味噌あり,醤油あり,牛乳や豆乳もあろう。  
 従ってあえてここで紹介するのは,汎用性が高く,概ねどのような具材を用いても支障をきたさない,誰でも美味しく作れる鍋である。

まず,下地(ダシ)を作ろう。

1.下地を調える
①鍋に水を7分目ほど張り,ダシ昆布を1枚入れ,中火に点火する。
②沸騰する直前に,昆布を取り出しておく。
③まず薄口醤油(できれば無添加で質の良いもの。我が家では「チョーコーの特選うすむらさき」を使用)を徐々に注いでいき,塩加減を澄まし汁よりちょっとだけ濃いめに調える。
④次に,ミリン(できればちゃんとしたミリンを。タカラの本みりんで可)をごく少量ずつ注ぎ,ほのかな甘さを感じる程度に調える。塩味の“カド”を丸めてやるイメージで。
なお,これら塩加減と甘味加減は,各家庭の味に関わることなので,絶対的な分量は表記しない。
⑤調味し終わったら,一度沸騰させ,ここでいったんアクをとる。何も入っていないのになんで?と思うかもしれないが,これ大切。実は調味料にもそれなりのアクがあるので,これが雑味となる。ちなみに添加物の多い調味料は,沸騰させると味に変調をきたすので要注意ですぞ。

2.具材を準備する
 次に,具を何にするか。動物質と植物質を季節に合わせて,互いに邪魔しないもの同士を取り合わせるのがよい。そして鮮度が最重要であることは,言うまでもない。
で,ここで作った下地に合う鍋といえば,
例1)鳥もも肉のぶつ切りないし手羽元と長ネギ,白菜,キノコ類
例2)スライスしたイノシシ,アイガモ,シカ肉等と,ゴボウ,長ネギ,セリ,キノコ類
例3)各種エビやカニなど甲殻類と,長ネギ,白菜,水菜
例4)鯨の皮,あるいは油揚げの短冊切りと水菜
例5)スズキ,タイ,タラ,カワハギなどの切り身・アラと,長ネギ,白菜,春菊,豆腐
例6)豚肉のスライスと長ネギ,白菜,春菊,ニンニクのスライス
例7)牛肉のスライスとゴボウ,長ネギ,白菜,春菊,キノコ類 
等々。

 鍋を作る過程で最もつまらない状況といえば,すでに或る忘年会の一場面で述べたとおり,ゴタゴタいろいろ入れすぎて,ゴッタ煮になってしまうことだ。それさえ避ければ好みによってなんでもいいのであるが,取り合わせのコツは,季節感もさることながら,野菜の甘味が必要な場合は長ネギや白菜を,合間に季節の香りの野菜で一息つきたいような具がメインである場合は春菊やセリを,気持ちのよい歯ざわりとほのかな苦みが欲しければ水菜を,もうひとつ他の旨味成分も欲しいときにはキノコも加える,豆腐はダシを吸わせて旨いものであるが,アクの強い肉(鶏を除く畜肉や青魚類)には向かないように思う,といった具合に,“必要だから”,合わせるのである。やもすると我々は,普遍的な鍋の具が存在するかのような錯覚にとらわれたまま惰性で鍋の具を揃えてはいまいか。
 具材準備のひとつのコツは,“鍋が終わった後のダシの風味が良くなるように”イメージして取り合わせることだ。「最後に残ったダシの味が美しく旨い」=「それ以前に具材が取り合わせ良くおいしく食べられた結果である」という法則が,鍋料理では成立する。これはあたかも,包丁を研ぐときに,「包丁を研ごうとするのではなく砥石を鏡のように平らに磨くイメージで」,というのと似ている。メインの動物性の具を決めたら,野菜類は最小限数種類を,相性を十分に吟味して合わせたい。
 ちなみに最もシンプルな鍋といえば,短冊切りの油揚げと水菜の鍋,アサリのむき身と千切り大根の鍋,脂の乗ったマグロと長ネギだけの鍋,あたりが思い浮かぶが,これは味わってみればわかることだが,ある意味,鍋の本質を突いた取り合わせと言えるのではないか。よく考えた末に厳選されたのか,もしくはいろいろ入れていたのが淘汰されて現存しているのか,あるいは庶民の生活で季節の安いものを一品ずつなんとか揃えてみました,といったことなのか,いろいろ想像されるが,いずれにせよ簡易かつ簡素で出会いのもの,という点では完成されている。食えばワカル。
 
3.具材の切り方
 食材の性状と理想的な火の通り方を考えれば,肉やサカナで血の気や脂っ気の強いものであればスライスし,アクの少ない白身魚や鳥,エビやカニは,大きくブツ切りのほうがよい。
 一方,切り方が大切なのは,むしろ野菜の方だ。
 鍋というものは,一種の「煮食い」であり,その中でもすき焼きなどよりも更に短時間で加熱する料理であるから,煮えた端から最善のタイミング見計らって順次食べていくことが肝要。そのときに,ネギは煮えたが白菜の中央部分がまだ生であります!ということでは困るし,それではせっかくのメインの具のダシを吸ってくれない。だから,下ごしらえに注意する必要があるのだ。

①ネギ:すき焼きやマグロを使ったネギマ鍋などで筒切りにした長ネギを用いるが,これは或る程度煮込む旨さであって,ここで述べる鍋料理の場合,まさに煮えばなをダシや肉と共に食って食感も合わせて旨いのがネギ。だから筒切りは向かない。厚さ5ミリ以下にナナメに長く,削ぐように切りそろえておく。
②白菜:はいだ葉を重ねたら,まずタテに半分に切り,葉元のほうから8~10ミリ程度の厚さで小口切りにしておく。よく飲食店で供されるように大振りに切っては煮ムラが生じるし,他の具材との相性が悪い。また,同様に,大量に切っておく必要はない。宴会で大量の白菜が残っているのをよく見かけて勿体ないことだ。足りなければ,また切ればよい。
③春菊:中心の堅い茎から葉を全て下方向に引きはずし,葉の部分だけを用いる。残った軸は小口に微塵に切って,シラス干し及び煎り白ゴマと共に炒めておき,常備菜とすればよい。
④セリ・水菜:痛んだ葉を除き,7㎝程度に切りそろえておく。
⑤ゴボウ:表面をステンレスタワシで擦り,7㎝程度の長めのササガキに薄く削って薄い酢水にサッと浸し,ザルに上げておく(これは“アク抜き”ですね)。
⑥キノコ類:バラバラにせず,シメジであれば2~3本,エノキであればふたつまみくらいの大きさに房分けをする。マイタケはダシを汚すのであまり用いないが,牛肉やアクの強い獣肉には合う。これは根を切ったら,適宜タテに裂いておく。エリンギも同様に。
⑦豆腐:あまり小さくは切らず,一丁を6等分くらいに分けておく。カレー用の大きなスプーンにちょうど乗るくらいが大きさの目安。

4.鍋の作法
 さて,いよいよ煮方についてだ。
 これを間違えると,“あとあと”の味が変わってくるので注意を要する。

①まず,火を加減し,沸騰手前,“フツフツ”と静かに湧く程度にダシを加熱する。ゴボウを使う場合は,ここで大きくひとつかみ入れておく。
②そこにメインの具を場の人数に行き渡る分だけ入れる。初めはダシが白濁するが,アクをとっていくに従い,澄んでくる。この一瞬が食べどきであるから,すかさず各自の椀に少量のダシと共に取り分ける。初々しいダシをときどき吸いながらホカホカでジューシーな肉や魚をほおばる,これが鍋の始まり。これを別皿でポン酢にちょいと浸して食べるのもいいし,小鉢に唐辛子などをパラリと振り入れるのもいい。
③ここで豆腐があれば,先に入れてしまう。最後のほうでダシを吸ったやつを食べるのが楽しみだ。
④残りのスペースに,ネギをパラパラ入れ,しんなりしたら,すぐにダシと共に食べてしまう。
⑤再度メインの具を入れ,タイミングをずらしてネギを入れ,アクをとりつつ,スープが澄んだところでネギと共に味わう。
⑥春菊やセリ,水菜をパラパラと入れ,一呼吸置いたらスグに食べる。ネギと合わせて食うのもよい。
⑦白菜やキノコ類をざっくりと投入し,その傍ら,空いたスペースでゆるやかに②ないし④~⑥を繰り返し食べ進む。その間も適宜アクをとり続けるのを忘れずに。
⑧白菜がしんなり煮えた時点で,他の具材などもいろいろ取り合わせながら,そして最後の方では豆腐もゆっくり味わいながら,食い進んでいく。豆腐の食べ頃は,“豆腐内の水分がダシと置き換わった頃合い”というが,わかるかナ?
⑨,いずれにせよ,基本的に
「火加減を常に静かにフツフツたぎる程度に調節し,けして沸騰させないこと」,
「最初から最後までアクをとり続けること」,
「鍋内で煮えた具および野菜類をあらかた食べてしまってから次のものを入れること」
というのが守るべき原則であって,あとは自由に楽しめばよい。要は即席の「合わせ味」の料理なので,センスの問題だ。
⑩メインの具もなくなった。野菜も丁度なくなった。残るはダシのみ。お腹は7~8分目。と,最後にこのような状態になったら,それは,当初のダシの味加減からメインの具と野菜の取り合わせと分量バランス,煮加減と食わせ方,等々が,ちゃんとうまくいったという証しだ。人知れずニヤリとするに値する。やりましたね,オトーサン。ということで拍手。そこで,最後まで気を抜かずにファイナルステージに臨むのだ。

5.残りダシを味わう
 鍋のシメ,といえば,代表格は雑炊であろう。まずは基本的な作り方を。
雑炊とひとくちに言うが,汁が多めでサラッとした,いわゆる“雑炊”タイプと,トロリとした,いわゆる“オジヤ”タイプとに好みが分かれるところ。従って,作る前にそのへんのところを相談し,決めてかかるがよろしい。

①残りダシを,人数分のご飯を入れたときに,雑炊タイプで6分目,オジヤタイプで7分目くらいになるように水で薄める。
②味をみて,塩少々あるいは薄口醤油で,澄まし汁より若干濃いめに調味する。
③火を強火にし,沸騰する手前でご飯を投入し,中火に落とし,手前向こう方向に杓子でゆっくり常に流れを作ってやりつつ,ご飯玉を崩す。フツフツとたぎる程度に火は適宜調節する。流れを絶やさないようにし,米がダシを吸って花が咲くのを待つ。
④卵を解きほぐし,引き続き片手でご飯を回しつつ,数回に分けて“細く”卵を垂らしていく。このとき,卵を早く注いでご飯を早くかき回せばオジヤに,ゆっくり卵を注ぎ,更にゆっくりやさしく回してやれば雑炊タイプになる。このへんの技術が分かれ目。
⑤そのままでもいいが,薬味は小口に切った細ネギ少々,ないし一味唐辛子のひと振り,といったところがよく,ときどき飲食店で出すような,細切りの焼き海苔を振りかけるというようなことはしない。海苔は,その香味で臭味をマスクする効果がある反面,風味を殺す二律背反の性格をもっているため,従って,ちゃんとした流儀で作った鍋の残りダシに,海苔は邪魔なのである。

 ここでは雑炊の作り方にとどめたが,これは魚やエビ・カニ,鶏肉,といったアクの少ない具材に向く。一方,アクの強い畜肉などは,ウドンのほうをおすすめしたい。その点,鶏肉は,両方に向いているので重宝する。

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 この鍋の作り方・食べ方を見てわかるとおり,日本の基本的な鍋料理は,最初から最後に向かうに伴い,単味から複合味への味わいへの昇華・盛り上がり,という構成になっている。そして最後に全具材が交響楽を奏でるのが,残りダシを使った雑炊であり,ウドンであるわけだ。ここで幕が下りる。そう。あたかもあの,ラヴェルの交響楽“ボレロ”みたいですね。

 こうして具体的に鍋の作り方を書いてみると,いささか格式張っているのではないか,ルールが多すぎるのではないか,ぜんぜん「優しく」ないじゃないの,と思われるかもしれないが,具材個々のおいしさ,およびその合わせ味の妙味に到達するには,マメなお世話が必要だ,ということの証明である。そのこまやかな気配り・努力の成果は,けして裏切られることはない。再度言うが,ゴッタ煮では味わえない,食べたときの「輪郭のハッキリした味」に出る。そして最後の残りダシおよびウドンなり雑炊になると,こんどは複合妙味としていよいよハッキリと成果となって出てくるのである。そして振り返ってみれば,その完成度を支えるのが,「火加減とアク取り」であることを,ご理解いただけると思う。ぜひお試しいただきたい。
 
それにしても,「日本の鍋料理」というのはつくづくスゴイですなあ。
だって,酒のアテから最後のごはんまで,よく考えたら鍋ひとつだけで「フルコース」構成なんですぜ。いやーまいったね。

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 ここらで鍋から離れて再びアク談義に戻り,整理にかかろうとするのだが,まずあらためて「加熱して生じるアクは火加減と連動している」ということを確認しておきたい。
 どのようなものにアクが存在するのかといえば,既に上述の鍋を作りながら学習してきたとおり,肉やサカナは言うに及ばず,野菜,そして酒・醤油・味噌・ミリンなどの調味料にさえ,アクはある。取りすぎれば風味を損ない,取らなければ雑味となって残る。古人はそのことをよく知っていたと見えて,和食の世界には“塩のアク”をとる技法も存在するのである。

 では,どのような状況下でアクが生じるかといえば,それは強火であるほどに水分温度が上昇して気泡を生じるとき,アクは最も浮かび上がる。
 従って,たとえば鍋でも汁でも,素材の質を損なわない程度に水を熱し,その気泡をもってアクをとり,汁が澄んだら弱火に落とすし,気泡を生じるほどに加熱したくない,たとえば野菜のアクを風味として少し残したまま煮たいと思えば,事前に水に浸けるなど別の方法でアクを抜き,あとは静かに煮ればよいということになる。それら処理の時間の下限もあろう。

 多かれ少なかれ,アクは親の仇と断じて取らねばならないもの。されど相手を殺すほどにとりすぎてはいけない。鬼手をもってとるときはとり,ここぞというところで仏心をもって優しくピタリとやめる。これがアクとのつきあい方かと。何やら偏屈な人間とのつきあい方とも似ていますな。主張と調和、みたいな。

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 食材は,炭素,水素,酸素,窒素のほかミネラル分などを主体として成っているわけだが,良い素材ほどこれらの化合物の純度が高く,バランスがよく,アクが少ない。とすれば,その点最近,地球のどこを見渡してもアクが随分溜まっているのではないか。それを基盤として生きる野菜もサカナもニンゲンも,アクが強くなったって不思議ではない。それを,どう加減良く抜くかだ。

 良い食材とは,雑味が少なく味がきれいで,食べてカラダに良いもののことだ。最近,岡山の釣友の実家から送られてきた米と野菜を食べて目を瞠った。そうだ,これが野菜の味だった。心もカラダも甦る思いがした。なんでも,ご両親は山奥の清流流れるほとりにて畑作りをしておられるそうな。
 人のつながり方によっては金をかけずともまだまだいいものが手に入るし,金がある人がそのようなものを手に入れるべく腐心奔走するのも人生ではあるが,一方,良くないものを拒まずこれを活かすのも,また料理の心得であろう。料理の理は,素材の成り立ちとしくみを知り,用いて活かすことに尽きる。“アク取りの加減”は,その精神の大きな一翼をなすと言えよう。

 モノ食う以上,アクとのつきあいは一生続く。
ですから皆様,以後よろしくアクを十分ご理解の上おつきあいいただいて,それぞれのご家庭で優しく最高に美味しい料理を味わっていただきたい。
 なんにせよ,まず相手を知ること,次に合理的に目的に見合った手段を考えること,直観だけでなく基礎も押さえておくということ,これに尽きる。その点,釣技の本質と同じですな。


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