境港発 今期のメバルをとりまく事情 2007
フト気づけば,あれまあ,2ヶ月も更新できていなかったという現実。まことにお恥ずかしい次第。本業に追われていたこともあるが,それよりも,今期のメバル事情の異変を追究するのに余念がなかった,というのも事実。今回はそのへんのお話を少し。
【昨今の海】
今年の冬は水温低下が極めて遅い。漁師も釣り人も,口を揃えて水温高いと言っている。むろん気温の低下が遅いこともあるし,気温が高ければ当然それに伴い風や雨なども影響を受ける。このところ年毎に台風は大型化し,かつ9月を過ぎてもダラダラやってくるようになった。
境港を出入港するカニカゴ船や,大型底引き網,まき網など,そこそこ遠方までサカナを獲りに行く漁船は,いよいよ天候と潮との勝負が深刻である。それだけに,変化しつつある気象を読んで他の船が出漁せぬタイミングでうまくサカナを獲って入れる船は,いい稼ぎができる。漁業にも,これまでとは頭ひとつ別のセンスが求められる時代となったということか。さておき・・・,
もはや「地球温暖化」というやつが陸・海・空に影響しているのは明らかで,この用語も今では半ば常識化してしまった感がある。海洋におけるその予兆は,思い起こせば捕鯨船に乗っていた10年ほど前から既に徐々に始まっていた。
たとえば,南氷洋の氷山が崩壊する量が増えて氷原となって船の航行を妨げたり,太陽光が突き刺すように肌を刺し,日焼けの跡がシミとなる,といった具合で,当時は,オゾンホールが大きくなってるのかね,くらいなもので,半年の航海を経て日本に戻れば極めていつもの懐かしい日本の四季であったのであるが,その後,マグロはえ縄船に乗るようになって3年目,太平洋南東部のメバチ漁船の船頭達が,これまで蓄積したデータが役に立たんと言い出したのが,今につながる急激な変化の始まりだった。
マグロ船の船頭は,360度水平線,水深1,000m以上の大海原でマグロの通り道を探し当てそれを釣る。であるから当然,漁師のカンだけでは獲れるわけがなく,過去の経験・知識の蓄積量がものを言う漁業なだけに大きな海洋環境の変化は商売上深刻であったと思う。ちょうど5年前,2002年あたりであったろうか。
同時期,夏場に手伝いに行っていた長崎県野母崎のイセエビ刺し網に「スジアラ」だとか,「キハッソク」といった,その道60年の地元ベテラン漁師でも見たことさえない南方系というか,むしろ熱帯魚のようなサカナが掛かり始め,その後日本海の仕事で境港に移ってきた3年前あたりからは,山陰沖のまき網に「スギ」とか「オキアジ」などという,これまた南の連中が頻繁に入るようになり,島根県の隠岐島では,本来“死滅回遊”であるはずの「アイゴ」が,とうとう越冬するに至った。同様に,今年はあのハリセンボンまでが境の港内で越冬している。
ちなみに“死滅回遊”とは,南方系のサカナが潮流に乗って北上したとき,低水温のため南に戻って来れずに死滅する,いわば死出の旅のことをいい,これまで長きにわたり多くの南方系魚類が潮に流され北上しては順調(?)に死亡していたのである。
現在のところ,越冬はできても繁殖までしているかどうかは定かでないが,もしそうなれば,それはもうそのサカナの“種”としての「分布・繁殖水域」が塗り変られるということなのだ。
更に時期を同じくして,瀬戸内海でもおかしなことが始まった。それが2年前の春あたりからで,当地の春の味覚であるシラス(主にカタクチイワシの稚魚)やイカナゴのサイズが揃わなくなってきたのである。つまり,通常であればこれらのサカナは,漁期が始まるとまず小さいものが獲れ始め,時期が進むにつれ徐々に大型化してくるのだが,初めから大小“混じり”で獲れるようになり,この傾向は今年も続いている。これはイケナイ。
煮上がった姿が曲がった錆び釘に似る,いわゆる「釘煮」というイカナゴの佃煮は,兵庫県播磨地方一帯の季節の風物としてつとに有名であるが,これは材料とするサカナのサイズが揃っているのが前提で,バラバラであれば煮上がりにムラを生じる。煮ムラがあれば,同じ鍋で煮ても魚体が折れてしまって“釘”にならない。従ってサイズがバラバラだと値段が低くなってしまうわけだが,かといって2㎝ばかりの細いサカナを選別するわけにもいかない。
振り返って境港。
瀬戸内海で稚魚類の成長にバラツキが見られた同年,隠岐島のまき網で獲れるマアジのサイズにもバラツキが出た。その傾向は春を過ぎ夏になってもおさまらず,秋になった。
秋から釣れ始めてロングランとなったアオリイカの群れも,必ずしも順調に成長したわけではなく,冬の気配がした頃に,なんでこんなサイズが,と思うような小型個体がチョロチョロしていた。推するに,群れごとに産卵が分かれて長期化したか,あるいは,考えにくいことではあるが,本来は年に1回しか産卵しないはずのイカが,多回産卵していたのか,ということだ。
それだけではない。例年,同じマアジでも,沖合いを通過していく“クロアジ系”の抱卵は初夏,沿岸に居付く“キアジ系”のそれは晩夏であったが,クロアジの抱卵が早まり,キアジのそれは遅れて秋にもつれ込んだ。そのせいもあり,例年冬場にワームで欲しいだけ入れ食いとなる中型キアジの脂の乗りは,ここ4年間で過去最低だ。このまま太らぬまま沖へ去るのか,それとも漁期が遅くまでズレ込むのか。
一方,根魚であるカサゴの抱卵が1ヶ月早まり,アカミズのそれは1ヶ月遅れた。アジも根魚も,その抱卵は二極化し,あたかも記録的な猛暑を迎えた今年の夏の高水温を避けるが如くであった。
「南方からの来遊魚の増加」,「潮流に乗って運ばれる稚魚のサイズのバラツキ」,そして「親魚の産卵時期のズレ」,これらを総合的にみて推測できるのは,まず「潮が乱れている」ということだ。それも,魚釣りで言う潮のヨレといった小さなレベルではなく,たとえば日本海を北上する対馬暖流の勢いや,それが沖合い通過時に生じる大型の反転流の数々といった規模で。このところ釣り場の潮の緩・急が激しくなっていることからみても,おそらく間違いなかろう。なぜなら,日ごろ我々が釣っている沿岸の漁場は,沖合いの海洋構造の末端であるからだ。
ここで思い当たるのが,このところ各所でささやかれる高水温の問題で,たとえば,高い気温で暖められた水が表層を流れるとき,通り過ぎたあとには下にある冷たい海水が上がってくるといった現象が見られるが,そのエネルギーは,両者の温度差が大きいほど,大きくなる。三次元的に,かき回され,乱れる,といった強さが,より大きくなる。これが大規模に起こるとすれば,それぞれの場所で,例年と違う水温の潮が入ってきて,そこにいる親魚の産卵期が局所的にズレたり,本来ならば一定に近い順調な潮に流されながら孵化し成長する稚魚が,水温の異なる潮に巻き込まれて一部成長不良を起こしたり,死滅したり,あるいは還流によって押し戻されたり,てなことが起こっても不思議ではない。
いずれにしても,自然界というものは,よく観察していると,すべからく“安定”の方向に動いているので,おそらくこれらの乱れはひとつの安定に至るための過程に過ぎないであろう。
しかし問題は,自然界の“ひとつの過程”,“一時的なもの”,という時間の大きさが,必ずしも人間にとって一時的に感じるとは限らない,ということであって,少なくともこのところの急激な海・陸の環境変化は,かつて人間が体験したことのない事態であることに変りはないし,また,これから行き着こうとしている自然界としての安定が,必ずしも今のニンゲンにとって都合の良い状態とは限らない。
これまで自然界も我慢をして緩やかに変化する程度で収まってきたが,いよいよそれではもたなくなってきた,ということか。簡単に言えば,我々人間の“ツケ”が溜まってしまった,ということではないかと思う。自然界というものは,極めて合理的にできており,ツケは本来許されない。それをちゃんと払わなければ,恩恵ももたらさぬ。ね,オトーサン,夜の巷のバーだって,最近はそうではないか。ニコニコ現金払い。これが大切。
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【境港におけるメバルの状況】
あ,前置きが長くなり恐縮。“今期のメバル”,の話です。
以上述べてきたかかる状況の中,湧きに湧いて,今年から初めました!というジーちゃん・お子様までこぞって釣った今年の秋のアオリイカが終盤となり,11月中旬あたりから,メバルを狙う若者がポツポツお目見えし,地元の釣具屋にもモエビを置くようになった。遅れに遅れたメバル釣り,いよいよ開幕か?,と思いきや,当地境港から島根半島にかけての情報はパッとしないのである。半島方面でさえ,いわく,20cm止まりですな,と。
確かにウチの手持ち実績漁場のひとつでも,過去三年間を通じて12月に入れば確実に20cm超え型揃いのメバルが1時間ほどで10尾ばかりは釣れるはずのピンスポットでは,いまだに18cm止まりがポツリポツリであるし,同じ場所で,例年この時期定番の沖目の離れ瀬をデッドスローで舐めてみても,尺前後の“ビッグワン”が出ない。出ないどころか,連発で掛かってくるのは18㎝に満たないマイクロカサゴ。
実は同場所に毎日来ている餌釣り師に,同じ場所で2回だけ10月上旬に大釣りがあって,25cmを頭に15尾,といったこともあったが,その後全く安定せず,また,この時期にして2回だけ,という単発さは異常であった。
しかもこの時期,例年ならほとんど茶メバルで占められているはずのところ,青(クロ)が,かなり混じっているのである。
同時期10月中旬,私は,今年新たに開拓した場所,といっても,他の過去実績場所ではほとんどといっていいくらいにメバルが釣れなかったので新規開拓に漕ぎ着けた場所なのであるが,そこで,23~27cmを,2週間にわたり,毎日のように3尾ずつ釣ってはオカズ場としていた。一日3尾にとどめたのは,今シーズンの持続的漁場,すなわち,“冷蔵庫がわり”になると踏んだからだ。
不思議なことに,例年実績のある場所はカラッキシダメ,であり,その場所だけでしか釣れなかった。そこしか釣れなかったけれど,そこでは確実に釣ることができた。ただし,胃内容物は,全て1㎜ほどのカニのメガロパ幼生で,いわば“粒食”みたいなもの。これを食っているメバルを釣るには,通常のワーム釣りではダメで,ちょいとしたコツがいるのだったが。
その後,11月半ばには別場所で20~30cmのマアジが入れ食いシーズンに入ったので,そちらで日々の糊口をしのいでいたが,過日,久しぶりにメバルを食いたくなって,その場所に行ってみた。
ところが,10月にあの調子だったのだから,さぞかし12月は・・・,と期待してやってみたところ・・・,最大でも20cm,それどころか,10cmほどの“マイクロメバル”が多数つついてくるではないか。え?こんなものがこの時期に??・・・。そして,期せずして20~25cmの肥えたカサゴがバタバタと・・・。
これはオカズ的には嬉しくはあるが,やはりオカシイ。というか,今年は,他にもうひとつ新規開拓した急流停滞漁場で尺前後のカサゴが2発出ているのだが,本来,良型のカサゴの接岸は年明けて,初春,それも2月に入ってからが最盛期ではなかったか。
そもそも例年,シーズンはじめにはそこそこの型のメバルがしっかり接岸し,それを釣っているうちに抱卵成熟が始まるので,メスの抱卵モノをリリースする分をカサゴで補って,カサゴが産卵期を迎えるとメバルでは産卵後の回復が始まって,いよいよ春の最盛期を迎え,カサゴは沖に去り,メバルの一部は居つき,尺も出るし,それぞれ初夏にかけていよいよ肥えて旨みを増す,というような感じなのだが,今年はハナッからこのローテーションが通用しない様子だ。
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さてさて,これから先,どうなるものやら。
昨年を振り返ってみると,周年けっこうイイカンジで釣っていたようだ。
10月中旬に中型茶メバルが始まり,11月は合間に金アジ(キアジ系マアジ)をやりつつ12~2月はカサゴ混じり,3月あたりから小さい赤メバルが湧いてくるので沖の離れ瀬に居付く大型茶メバルに移行し,4~5月は潮目付きの中型茶メバルと海藻着きの赤メバルを型揃いで毎日釣って,6~8月は急流場所で脂が乗った小・中型茶~青メバルの数釣りと副産物のスズキとアカミズ,別の深場に大型黒メバルが付いたらそれを獲り,9月に入ったらスズキでヒマをつぶしたり,たまには船で大アカミズや大カサゴ,片手間にワタリガニやトビウオを掬ったり,ということで,オカズに困ることは,まずなかった。
メバルに限定して言えば,使用漁場は4カ所のみ。いずれも境港周辺で,いわゆる“スキマ”開拓で得た優良漁場である。たまにおつきあいで島根半島に行ったり,イカやサワラにちょっかいを出したりすることもあったが,数えるほどでもない。私のメインターゲットは,その時期に応じた旨いメバル(3型とサイズの選択)とカサゴ,そして冬場に接岸する脂の乗ったキアジ,この3種である。これだけで1年が回っていくのだから,境港の底力もたいしたものだ。
境港に来て3年が経ち,時期ごと・魚種ごとの漁場の確保とそれらの使いまわしも安定し,ようやく周年を通じてサカナの供給に心配がなくなった矢先,今年の異変は痛かった。これまでのところ,かろうじてオカズ確保はできているが,このままの状況が続くのであれば,漁場利用計画を設計しなおさねばならない。あるいは毎年更新しなければならない可能性も出てくる。
いかなる状況になろうとも,釣りというものは,漁であり,すなわち変化する自然に則さねば成立しない。初心に戻り,今年を新たにメバル釣り元年とするのもよい。各地のメバル狙う諸氏は,そのへんの諸事情如何。まだ来ていないとみるか,あるいは思わぬところに,メバルはいるのかも知れぬ。
と,いうような状況であるから,ここしばらくは日々の釣行1回ごとの観察および考察が,今期(来年の夏まで)のサカナ供給につながる。要は,「何を見るか」だ。漁場成立の目安となるのは何か,ということ。
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【漁場の指標】
たとえば,境港界隈とひとことに言っても,地形や海況によって,指標となるものが違う。どのような状態のどのようなサイズがどれだけ釣れるか,ということは直接的な指標であってわかりやすくはあるが,釣れない=良くない漁場,釣れる=良い漁場,といった型にはまり込みやすい。ひいては,釣れない=サカナがいない,ということにもなりかねない。つまり,直接的な指標のみでは,その漁場の対象魚の現状はわかっても,今後の可能性についてまでは推測しにくいのである。
そこで,どのようなものを見ていくかと言えば,まず生物と非生物の2つに大別できる。①その他の生物の状況。たとえばあるサカナが釣れている限りは水温がまだ高いのでメバルは来ない,あるいはあるサカナが出現したらメバルの漁期は終わり,といった具合。これは,実体験上,かなり相関性が高い。“あるサカナ”は,サカナとは限らない。海藻であったり,その他の生物であったり。また,ひと目でそれと確認できる大きな生物とも限らない。
なぜ,このような視点が有効かというと,ひとえに“自然界は全てが網の目のように連鎖して動いている”からである。当然のことながら,目的のサカナがそこに居て,かつ釣れてくれるためには,そのサカナがそこで餌を追っている必要がある。その餌はどこか。その餌の拠り所となる環境は何か。そして餌の蝟集・拡散と連動する指標は何か,といったことを丁寧に見つめていくと,その延長に,目的のサカナは居る。あとは,どのように釣るかである。
そして,②餌生物の動向に影響をもたらす非生物的要因。これは,たとえば風向きによってはシラスがある特定の場所に吹き溜まる,とか,波が岸壁を叩いて餌生物が落下・漂流しやすい潮位・流向とか,餌生物が発生したり,目的のサカナが警戒心を解きやすい潮の濁りや雨・雪など,等々。これらも,またひとつの指標となる。
いずれにせよ,短絡に陥ることなく,急がず騒がず,丁寧・つぶさに見てみること,これに尽きる。
その中で,毎年,何がカギとなる要素か,がだんだんわかってくるというものだ。そのカギは,大量の観察を通していくつか端的に集約される。
参考までに申し上げると,今期のメバルに関する私のカギは,
①昨シーズン7年ぶりに湧いたイカナゴが,今年も湧くか。
②春の海藻,初夏の海藻の成長如何。
③北西風主体の天候となるのはいつか。
漁場は既に押さえてあるのだから,あとはこの3点を中心にその周辺を追究し、状況に合わせて場所と釣り方を変えていく。
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釣魚をオカズという位置づけにし,必要十分量をいかに確実に獲るかをテーマとして釣りを続けていくと,やもすると,釣りを始めた初心のヨロコビ,たとえば単純に釣れてウレシイ,大きくてウレシイ,たくさん釣れてウレシイ,といったような童心を忘れがちのようにも思う。
だが一方,過去ログ“スキマの釣り”でも書いたかもしれないが,生物としての自己認識,生きている核心および食いつ食われつする生命のせめぎ合いから発生する力,といったものが静かに自分の中に湧き出でて,これまた別の次元のヨロコビを味わうことができるものだ。
このヨロコビとは何だろな,と思いめぐらしてみると,意外や,気の遠くなるような広大な世界の中で,いつか死ぬために他の生き物を食って生きている,極めて小さな自分の確認だったりする。これが動かぬ事実だ。それ以外のことは,実はおそらく,我々の勝手な錯覚・妄想の類なのではあるまいか。
しかし時にはそれに支えられて生きてゆくのも,またニンゲンだ。けなげにも思えるし,そう悪いことばかりではない。かく言う私も,釣りをしながらこんなことを書きつつ死に向かって生きている。
愉快なり。
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