新春バトウバスターズ

ウエカツ水産

2008年01月21日 17:48

 なんのことかいな,といえば,サカナの“バトウ”ですよ,“罵倒”ではありません。これすなわち「マトウダイ」の山陰地方名,“馬頭”なのであります。今回はこれをやっつけに行ったお話。
年の暮れ,久しぶりに会った先輩と,我が家で脂の乗ったブリなぞ肴に飲み進めた折り,彼が言うには,今年は水温高くてヒラメが全然いけんでバトウばっかしだわ・・・,などとけしからんことをつぶやいたのが発端。激高して問いただすと,これが美保湾のスグ沖で入れ食い,ということであり,たくさん釣れるのでモテ余しているとのこと。それではバトウ料理を追究してみようではないか,ということとなって出漁の相談,ひそひそ。

 余談であるが,この先輩,先東さんは,実は境港のウインドサーファーの草分け的大御所で,50才になる今も若手の指導育成に余念がない。かつてはステーキチェーンの総支配人も務めて松江や鳥取の市中で気炎を吐いていたらしいが,腰を痛めてからは長時間の立ち仕事を断念。その後は主夫として二人の子供の世話から掃除・洗濯・メシの段取りやPTAに自治会活動,果ては奥さんの肩もみまで。あいた時間で季節の山菜採りや,傍ら,2トンの持ち船で美保湾に出ては釣った魚をほうぼうに配り,そのお返しで野菜は来るわ肉は来るわ酒は飲めるわ服まで来るわというわけで,現代の原始共産制を地で暮らしている交換経済の達人なのだ。まことに,豊かなことこの上ない。昨年大腸ガンであわや死にかけたにもかかわらず,復帰後も変わらぬ生活を営んでいる。感服している次第。

 ともあれ,朝9時頃から半日ほど行ってきた。まずはサビキで大型の瀬付き大型マアジ(ご当地名“金アジ”)を10本ばかり釣ったあと,ちょこっと移動して餌の小アジを釣って,イザ。
水深20mなのでオモリも20号。ハリス5号に角セイゴ16号の胴付き2本針でアジを口掛けして沈めたとたん,モンモンモン,と食い込みましたね。待ってましたといわんばかりだ。
 最近流行のタイカブラ用の竿は,全調子で細くて,しかし張りがあって思いのほか錘負荷も大きく,それでいて値段もソコソコ。生き餌を使った呑ませ釣りを楽しむには実にいいですねえ。いわゆる“ライト呑ませ釣り”というのか,アブのバスリールとの組み合わせでよく曲がってオモシロイ。重たくやりとりしてドターっと甲板に。40㎝ほどか。威嚇するように大きく広げた背びれがみごと。
 
 餌の小魚を瞬時にスポッと吸い込む大口をもち,体の両側の真ん中には標準和名マトウダイ(マトウ=マト=的)の由来である黒い大きな紋印が白く縁取られて個性的なデザイン。この紋がハッキリしているのが鮮度が良いシルシ。シックに落ち着いた濃いオリーブ色の肌には海藻のような流れ文様が浮き出ていて,死んで魚屋に並んでいるときのくすんだ灰色とはえらい違いだ。この文様で擬態しながら静かに小魚に接近するのだな。
 釣り上げられると浮き袋の筋肉を震わせてグッグッと鳴くのが耳に気持ちよく,このサカナ独特の,やあ釣れた釣れた,という一種ノンキな充実感がある。久しぶりの対面を堪能したところで手カギで即殺してエラを切って海水で放血,発泡に横たえて氷を魚体に触れないように少し打つ。これでよい。
 餌のアジが中途半端に大きかったので掛け損じもありながら,昼までの3時間で二人とも6尾づつ。本日は入れ食いとまでは行かず,バスターズとはちと大げさであったが,食材としては十分確保ということでサッサと引き揚げた。釣りはすべからくこうありたいもんである。短時間必要量!これオカズ釣り師の目指す処ナリ。

それにしても・・・,

 マトウダイは当地にそれほど多くいるサカナではなかったハズ。それもこんなに浅い水深で。腹をあけてみれば卵巣が成熟しており産卵接岸だと知ったのだが,基本的にはどちらかというと亜熱帯温帯から温帯にかけてのサカナ。日本でいうと南は鹿児島,日本海側では能登,太平洋側では茨城沖あたりまで。
 それと,朝方釣った金アジのことなのだが,一般的にアジの旬として知られているのは脂の乗る夏。しかし美保湾の瀬付きのマアジは,例年寒の時期にガッツリ脂の乗せる,全国知る人ぞ知る上モノ,ということで,このデッカイ幅広のやつを釣るのが正月の楽しみだったわけだが,今回釣れた30~40㎝ほどの金アジは,これが期待を裏切り脂ナシ。肉の味はあっても脂の甘味と香りは望むべくもない。どうしたのだ,いったい。

 そういえば,例年秋から12月末まで釣れ盛るワームによる30㎝内外のアジ釣りでも,ほとんどのアジが脂を乗せずに痩せていたことが思い出される。
 あきらかに餌がないのだ。この時期,冷たい北西風にあおられ接岸するカタクチイワシ等の稚魚,すなわちシラスを連日腹一杯食ってこそ,金アジは脂を蓄えることができるのだが,これがない。これはメバルにとっても同じ条件。
事実,例年11~12月を最盛期として賑わう境港のシラス漁も,異例の10月に短期の漁があっただけで,その後市場に出ていない。やはりいないのか。
 死滅したのか,どこかにいるのか。今年はとにかく釣りに出るたびに変則的なことに遭遇するため,悩みが多い。今年,海は,明らかにおかしい。心配していたことが急速に現実となりつつあるのか。

この件については別途詳細を書かねばなるまい。今は目前のバトウと向き合うべき。
本日の品書きを紹介していこう。毎度の如く,まずは下処理からですよ~。

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 マトウダイをさばこうとして,あらためて手にしてみると,いったいどうしてこんなサカナができちゃったのかと自然界の不思議を思わざるを得ない。平たく丸いお盆のような体の前3分の1以上を占める大きな頭,というか顔というか。その口は普段はナナメ上方を向いて収まっているが,口を開ければ前方にズドーンと延びて飛び出し,ゲンコツが入るほどの大口。頭を切り落とすと,なんと小さくなってしまうのか。
 本来はほかのサカナと同様に腹を切って内蔵をとりだしたいところだが,刃を入れたい胸から肛門にかけては,アジのゼイゴにも似たヨロイ状の突起物が2列にびっしり並んで開腹拒否。おまけに三枚におろすときに刃を入れるべき背鰭と尻鰭の付け根には,堅いトゲがズラズラと並んで,これまた包丁を拒絶。
 
 こんなことだから,マトウダイは,進化の本流からははずれたサカナとして,分類上,別個の枝分かれしたグループとして扱われており,その仲間たるやわずかに数種類のみ。多くは深海に隠れ棲んでいる。同様に白身で体型や肉質の近いカワハギ諸君などとはイトコどころかハトコくらいの関係でしかない。
 この仲間で日本でときどきお目にかかるのは,マトウダイより深場にいるカガミダイというやつで,ギンギラギンの鏡のような色をしている。シンボルマークの“的”印は同じくあって,英名はそのままmirror dory(ミラー・ドーリー)。ミラーは鏡,ドーリーは,北米で昔から使われている手こぎの平底船のこと。要は平べったいサカナを表現した名称だ。ちなみにマトウダイのほうは,john dory (ジョン・ドーリー)との名前をいただいており,なにやらトモダチのような親しみ湧く響きですな。

でもそんなことはもういいや。
問題はコイツをどうするか,ということだ。

【 マトウダイの下処理 】
 マトウダイは次のように解体していく。通常のサカナとは勝手が違うが,おそるるに足らぬ。挑戦あるのみ。構造さえわかってしまえば,むしろ他のサカナよりもラクチンだ。

①ウロコは細かく柔らかく皮下に一体となっているので食べるのに支障はない。そこで,まず体全体をタワシでサッとこすって体表の粘液をとっておく。立派な背びれは邪魔なのでキッチンバサミで切り取ってしまう。
②頭を左,腹を手前に置き,まず頭骨の後ろに刃先を背骨に到達するまで入れ,そのまま少し手前に切り下げると,すぐに腹腔に刃が入る。そのまま内臓を傷つけないように腹皮を左手でつまみ上げながら,ナナメ右下の肛門に向けてソリソリと腹皮だけを切り進める。一般的なサカナのようなしっかりした腹骨はなく,皮と薄い筋肉のみなので,ソリソリッとな。
③ここで問題の腹側のヨロイ状の突起の連なりを,刃先を使って肛門の手前でバツンと断ち切る。
④頭は左のまま,向こう側に腹を置くようにひっくり返し,肛門から左ナナメ手前に頭の境目まで,同様にソリソリと腹皮を切り進む。そして,背骨の近くまで到達したら,ここで包丁を立てて切っ先を突き立てるように背骨を切断する。
⑤再び裏返して,右手で体を押さえつつ左手で頭を引き離すと,主要な内臓とカマ,胸びれなどが頭側にくっついたままきれいにはずれる。体側に残っているのは生殖巣のみなので,これを指をつっこんで引きはずして皿に取り置き,腹腔の背骨沿いに見える腎臓,血液などを歯ブラシでこすり流しておく。
⑥頭側についている内臓のうち,肌色の肝臓の横にある薄緑の液体が入った袋=胆嚢を,つぶさないようにつまみとり捨てる。これがいわゆる“苦玉”というやつで,バトウは特に大きい。これがつぶれると全体に苦みが回ってしまうので要注意。
⑦次に,同様に肝臓をとりはずして皿に取り置く。これはお宝。そしてもうひとつ,アジをひと飲みに納めるデカイ胃袋,これをエラ元から切りはずし,逆さ包丁で開き,内壁の粘膜を包丁の刃でしごきとり,水で洗ってこれも取り置く。この胃袋が旨いんだな。
⑧残った頭からのど元を切り,エラをカマごと切りはずす。通常カマと言えばおいしいところ,と見るのが一般的であるが,マトウダイの場合,ほとんど食うところがないのでこれはダシにしかならぬので捨てる。エラのはずされた頭の前2分の1,ここで食えるところは大きなほお肉と目玉のみ。いささかさびしいが,これも洗ってとっておきましょう。

これで頭と内臓の処理は終了。
 ここまででわかるとおり,コヤツは餌となるサカナを吸い込むために必要な大口を開くための,しなやかな骨格と,それらをつなぐ柔軟な皮膜と最低限の筋肉,そして小魚を丸ごと何匹でも溜め込むことのできる大きな胃と,いくら胃がふくれても大丈夫な伸びのよい腹皮,で構成されている溜め食い生活型のサカナである。まるで“吸い込み袋”だ。胃の消化力は強いらしく,その証拠が大きな胆嚢。ここから出る胆汁は膵臓から出る蛋白質消化酵素と合わさることによって脂肪と蛋白質の消化を助けるはたらきをする,これがマトウダイは強力なんであろうとみた。というのは余談。

体のほうにとりかかろう。

⑨全体の水気を拭いた体を横たえたら,まず問題の背びれ沿いにあるトゲトゲの内側を,包丁を立てた切っ先でヒレを支える骨(担鰭骨:たんきこつ,といいます)に到達する程度にシッポまで切れ目を入れる。背側も同様に。
⑩そして,シッポを手前にし,腹を右,背を左に置いたら,既に入っている切れ目から,トゲを避けてえぐるように包丁を身と骨の間に入れていく,わけであるが,通常のサカナのように,意識的に切り進むとけっこう中骨に身が残る場合がある。包丁の刃を入れたら,むしろ押し進めるように包丁を食い込ませていくと,骨と身の間がはがれるようにメリメリと刃が入っていく。おもしろいですね。
⑪背骨の中心まで切り進めると,背骨中央部が体型の割には太く盛り上がっている。丁寧にキワまで切り進めたら,身を少し起こすようにして背骨の頂上まで刃先を上手に使って山の頂上まで切り進めましょう。
⑫ここまでやったらそのままシッポを向こう側に回すと背側が右。ここを同様に切り進み,背骨の山越えを経て,通常のサカナであればここで包丁を立てて腹骨を断ち切って身をはずすところであるが,このサカナの場合,腹骨も細く短く脆弱なので,そのまま包丁を寝かせたまま切ってしまうことができる。これで半身おろし完成。反対側も同様にして三枚おろしだ。
⑬ここでまたまた不思議なことが。三枚におろした身側を上にして,よく観察していただきたい。まず中骨あるいは血合い骨と呼ばれる小骨が,どこを触っても見当たらない。そもそも血合いが存在しない。それどころか,一枚のおろし身が,おのずからタテ3つに分かれて皮一枚でつながっているではないか。これに近い身の分かれ方をするのが,そう,タチウオなんかであるが,全く親戚でもなんでもない。ワカランワカラン。でもまあそういうふうに出来ているということなので,分かれ目に沿って包丁をタテに入れ,3つに切り分けましょう。これで完成。

【 マトウダイの刺身および昆布締め 】
 マトウダイの身肉は,白身の中でも柔らかい部類。実家のジイサマなどに薄造りを食わせると「柔らかいフグといったところだな」などとつぶやいているが,フグほどの甘味とコクは持ち合わせていない。味の引きはいいのだが,いささか水っぽいといってよかろう。
 また,通常そこそこの体格をもった白身魚は活け締めしてからスグは甘味が乗らず,舌触りも悪く味気ないものであるが,マトウダイに限り,ちょっと事情が違う。締めて持ち帰ってスグならモッチリした食感を伴う甘味があるが,逆に硬直が終わって熟成(自己消化)段階に入ると,とたんに水っぽさを増し,甘味が低下する。姿ばかりか,味の出かたまでヒネクレ者なのだ。

 そこで,刺身そのままで旨く食うなら死後硬直終了まで。それを過ぎたら何らかの形で旨味を補ってやる必要がある。ということになるのだが,どんなもんか,食べ比べてみてはいかがでしょうか。ではやってみよう。

●刺身①(そぎ造り)
①三枚におろし,三節に切り分けた身の皮を包丁でひく。この皮はあとで別料理に使うのでとっておきましょう。
②皮側を下にしたままシッポの方から3~5㎜程度,厚めのそぎ切りとする。薄造りに非ず。このとき,包丁を寝かせた断面積の広い切り方ではなく,若干包丁を立て気味にして,ややポッテリとしたそぎ切りに造るのが,このサカナの淡味には合う。
③ワサビ醤油でも悪くはないが,肉の味が淡いため,すぐに食い飽きる。醤油に一味唐辛子少々を振って,好みでこれにレモン汁を垂らしたやつをちょいとつけて食うのもいい。

次に,同じ刺身でも,少し変化をつけていく。

●刺身②(細造りレモン締めネギ和え)
①三節に切り分けた身の皮を包丁でひき,身の表面をペーパーで拭いておく。
②身の全面に軽く塩を当て,20分ほどして表面にヌルミが出たら,皿ないしバットに映してレモン汁を絞り,しばらく身を返しながら全面に絡ませる。表面が白くなったところでよしとする。
③シッポの方から5㎝×5㎜程度に短冊状に細く切り,これに細ネギをみじんに切ったものを適量,サッと和える。これだけ。味は潮で既についているが,物足りなければ食べるときに薄口醤油少々をたらしてもよい。

このレモン締めネギ和えは,ヒラメや鯛など,ほとんどの白身サカナで通用するばかりか,アジやブリの脂が乗っていないやつなど青ザカナでやっても,塩で引き出されたサカナの旨味と青ネギのちょっとした変化,そして爽やかなレモンの酢臭くない酢締め風味の合わせがなかなかに旨く,気の利いた料理だと思う。
しかも,まな板の左側でサカナを切っておいて,右側でネギを切って,包丁の刃先と左手の指先でサッサッとまぶすように和える手軽さも,たいへんいいわけです。 

 それでも,白身のくせに,なんでややこしいことをしなきゃならんのか。黙って普通の刺身に切ってワサビ醤油ではいかんのか。というご指摘の方に説明いたしますと,
 実はこのサカナ,独特の青臭さをもっている。その臭味は,スズキのように粘液に由来するものではないらしく,皮自体に潜んでいるので,過去ログ「スズキの臭味」で述べたような塩と酒による臭味抜きではとれない。では臭味にはショウガかといえば,これには身の味が負けるときている。ワサビでも,この青臭さが若干残る。そこで食べる際にちょっと柑橘と薬味の力を拝借,というわけ。

ところが,これを昆布締めにするとなると様子が変わってくるので,これまたオモシロイ。たとえばこんな具合。

●昆布締め
①幅広の昆布を二枚用意し,たっぷりの酢を含ませたペーパーで拭いて置き,柔らかくしておく。酢で拭くことによって,昆布からにじみ出る粘り気が抑えられ,いわゆる昆布臭さが出ず,すっきりした味の立ち上がりとなる。
②柔らかくなった1枚の昆布の上に,刺身と同様にそぎ切りにした身を半分づつ重ねて全面に並べていく。
③片手の五指を酢で少しだけ湿らせて粗塩を軽くとり,両手の平の閉じた指の部分だけをコスリ合わせてまんべんなく塩粒がいきわたったら,その閉じた手指で昆布に乗せた刺身の表面をポンポンとひとめぐり叩いてやる。職人さんは高いところから振り塩,なんてやるのであるが,我々はこれで塩加減達成だ。合理的にいこう。
④もう一枚の昆布を上からかぶせ,軽く重しをかけて冷蔵庫へ。バットか皿に入れて砥石を乗せるか,もう一枚皿を乗せるか等々,全面に一様に重さがかかるよう工夫すればよい。
⑤10分後から食べられる。そんなに短時間で?と思うかも知れないが,このサカナの塩および昆布風味の浸透は早い。細胞の結合が緩いからだ。
⑥上に乗せた昆布をはがしてそのまま長皿に乗せて食卓に今日するのも昆布締めらしくてステキだが,むろん,一枚ずつはがした切り身が互いに貼り付かないように少しずつずらしてこんもりと,濃い色目の小皿や小鉢に重ねて盛りつけるのも,白身の昆布締めには似合ういい景色だと思う。ご家庭でもぜひ。

 そもそも昆布締めの味わいには「浅漬け」と「古漬け」の2つの味わい方がある。この点,それぞれの作り方も含めて過去ログ「アカミズ三昧」で少し述べた。すなわち,塩によって引き出された透き通ったサカナの甘味の奥にかすかに昆布の旨味が顔を出している,とすべきか,昆布の旨味がサカナの身肉を媒体として飴色にぎっしり詰まっている,とするかであって,いずれにせよ,中途半端だとつまらない。
 最近はいろんな店で昆布締めを出すようになったが,この中途半端が多いように感じる。総じてサカナを味わっているのか,昆布の旨味を味わっているのか,わからなくなる。それにだいいち,浅漬けはワサビ,古漬けには和辛子が合うというのに,どちらを所望していいか,こういう判断に困る味は困る。作り手の意図をうかがいたい,とまでは言わないうちに,だいたいは醤油だけで黙って食うのであるが,料理を追及するまごころに触れられるわけでもなく,半端ゆえにうるさく効き過ぎたコンブ味が,そこはかとなく寂しい。まあ現代大衆飲食業はそれでいい面もあるのでしょうけれど,日々の研鑽ないままにいつまでも同じことを繰り返しているとしたらいただけない,でございましょう。

 さて,ちゃんと段取りして冷蔵庫に入れたのに,わずか10分で取り出すなんて,冷える間もありゃあせんですな。冬場なら常温でもよしとしましょう。切り身がうっすらと半透明になったら出来上がりのサイン。
 こうして出来上がったマトウダイの昆布締め。刺身のときに感じられた水っぽさも抜けて,ほのかにコンブが香り,噛み下して飲み込むときに旨味がジワッと残る。これは,刺身よりもはるかにワサビと合うんです。逆に,刺身でやったようなレモン汁とか唐辛子やネギを用いた食べ方では合わなくなる。まずは醤油をつけずにワサビだけで味わってやっていただきたい,塩味がついてますから。じゃによって醤油をつけるときは,端っこをほんのちょっとだけね。

 このように,同じ生でも刺身と塩や酢で締めたものとでは,合う調味料も薬味も異なる。
前回の記事でサバ料理をやったときにも,刺身とシメサバで,似たような関係にモツレ込んだような・・・。とまあ,その問題は後日に回し,そのようになっているということでありますのでヨロシク。

 淡味なものほど淡味な調味が合う,というのは例外もあるにせよ,素材の味を前面に出そうとする限りは概ね合っており,その点,マトウダイの生食い方法のご紹介は,この程度で止めておこうかと思う。ほかにも皮付きで1㎝厚の短冊に切りつけた湯引きをポン酢で食うなど,そこそこ旨い食い方もあるにせよ,湯引きに要求されるシコッとした食感が弱いと思うし,あるいはたとえばかのカルパッチョなどやろうものなら,すっかり油や香辛料に負けてしまうほどの淡味なのであるから,あんまりいじくるべきではないと存ずる。

 とはいえ,せっかく釣ったマトウダイ。加熱すれば生とはまた違って,ガッツリと醍醐味を味わうことができるので,それらのうちから2点をご紹介。特選バトウ料理である。

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【 マトウダイの塩焼き 】
 水っぽくて味が薄いと言われがちなマトウダイ。これを単に塩焼きにしただけでは,これまた味の薄い塩焼きなのではないか,とご心配の皆様,これが焼くとなると大変身。加えて,ちょいと小技を使わせてもらいます。

①焼くときに邪魔となる大きな背びれをキッチンバサミで切り取り,包丁の刃先を使ってエラと体をつなぐ膜をぐるりと切り,エラの付け根を断ち,そのまま内臓と共に抜き取る。②体の右側の腹側下方を胸から肛門にかけて切り,残った内臓をとり除き,背骨に残った血合いをこすり取り,腹腔内および体表の水気を拭いておく。
③体側の紋印があるところを中心にバッテンに,骨に到達する程度まで切れ目を入れる。通常,サカナを焼くときの切れ目は,首の付け根から尻ビレに掛けて一本入れるだけにしているが,こいつだけバッテンにする。これにはワケがあるので後述。焼くときにワカル。
④手を少々濡らして粗塩をつけ,ペタペタと薄く全身および腹腔内にも塩をして,そのまま30分置く。本職さんは尺塩なんて振るところでしょうが,全体に塩をまわしたいとき,これのほうがよい。我々は,これまたこれでよし。
⑤うねり串を打ち炭火で焼くのがいいが,図体が入るならばグリルでもOKだ。サカナを入れる前に十分予熱しておくことをお忘れなく。
⑥焼く寸前にあらためて軽く塩を振るわけだが,これまた少しだけ湿らした右手指に粗塩をまぶし,グーに握った手をパッと開くと塩粒が飛び散る,これを利用するのです。名付けて「散らし塩」。ははは。これを2,3回やれば,まんべんなくサカナに塩が振られることとなる。やってみて下さい,上手にムラなく塩が当たりますから。塩を振ったら即座に焼きに入りましょう。
⑦腹を切った右側から中火焼き始め,7割火が通ったところで裏返して少し火を強くして3割を焼き上げるタイミング。慣れないうちは,ずっと中火でも問題ナシ。なのであるが,他方,別の問題が発生するであろう。なにしろ平べったいデカイサカナであるゆえ,狭いグリル上で裏返すのは至難のワザ,とお悩みでしょう。そこで,焼き上がった魚を乗せる大きな皿を取りだしまして,グリルの網から長い菜箸で魚体を支え上げてソウッと皿の上にスライドさせ,こんどは菜箸で魚体を抑えつつ,左手で皿を持ってゆっくりひっくり返し,体重が菜箸に移ったところで再びソウッとグリルの中へ送り返してやると,この問題は解決する。そう,大きなフライパンいっぱいの大きなオムレツを焼くとき,ひっくり返すのに蓋を使うでしょう。あの要領です。
⑧焼き上がりのタイミングは,皮目が所々香ばしく焦げ目を伴って焼き上がり,バッテンに切った身や頭についているホオ肉が,ピリッという感じで骨から浮き上がり始めたあたり。
⑨さてさて,この塩焼きは,焼き上がる少し前に準備が必要。まず,使うのは先ほどサカナを裏返すのに使った皿で結構。バターの小片をこの中央に置く。雪印なんかが出してる“切れてるバター”,あれ,便利ですね。あれをひとかけ置きます。その上にグリルから出してきたばかりの塩焼きを乗せる。サカナの熱の下敷きになってバターは溶けていく。そして,塩焼きの上面の皮にも,更に少量のバターを薄く塗りつけるのです。言っておきますが,“バター焼き”ではありませんよ,“バター塗り”であります。バターがほぼ溶けてなじんだところで一呼吸置き,熱々を食べてみい~。その味に,ヘエーッ?とオドロキますぜ。

 この「塩焼きマトウダイのバター塗り」は,我ながらそのまんまギクシャクした命名ではあるけれど,みごとにマトウダイの弱点を補ってパンチを引き出した料理だと思う。
 まず,焼き進むうちにお気づきのこととであろうが,バッテンに切った身からしたたり落ちる水分の量がハンパでなく多い。わざわざ一本でなくバッテンに切っておいたのは,これが狙いだ。マトウダイの場合,水分が落ちることによって旨味が逃げてしまうことなく,本来の柔らかい身がギュッと締まって食感と旨味濃度が増大するのである。そして青臭かった皮は,焦げ目の香り立つおいしい皮に大変身。バコーンと大きな頭の両側には,でっかいホオ肉がこぼれんばかりに反り返っている。これを噛みしめるとジャキジャキと言わんばかりの歯応えの気持ち良さ。
 
 そして,なんといっても,“なぜサカナの塩焼きにバターを塗らんといけんのか”,という問題は,香ばしく焼き上がったマトウダイの皮と肉が伝える少しの塩気と控えめな甘味に,角度の違ったバターの塩気とマトウダイが持ち得ない濃厚な風味の合わせ技,これを味わうときに,全て解消されるので,ご心配なく。
 
 まずは,バターが塗られた皮目がパリッとしているうちに,これを締まった身肉と共に口に運ぶのがおいしさのコツ。これは野趣に富んだ旨さだ。
 そして次に,皮から徐々に流れて,ほぐれた白身に染み入っていく淡い黄色のバターのゆくえが気になり始めた頃,その染みこんだあたりが,また別の,こんどは上品な旨さ,なのですよ。
 ビールなど飲みつつ夢中で食い進み,そこで裏返してもう片面に移るわけであるが,そう,サカナの下には皿の中央にひとかけのバターが置かれてありましたね。これが,今になって効いてくるわけです。人生すべからく布石が大事。段取り八割。これを仕組んでおいたおかげで,こんどは最初からじっくりバターに浸されてしっとりした皮と身肉とが深くこなれた味が味わえるというわけ。ひたすら食い進んで骨だけとなり,大きなホオ肉を噛みしめ目玉をちょっとつついたら,これで終了。

 うーん,なんでしょうな,この旨さは。
 バターとサカナを合わせたといえば,誰でもすぐに思い浮かぶのが「ムニエル」。これはいわゆる「バター焼き」とは似て非なるもので,バター焼きがサラダ油の代わりに少量のバターを用いた一種の“焼き物”であるのに対し,ムニエルとは,小麦粉をはたいたサカナの切り身を,多めのバターでじっくり火を通した,バターの少ないバター煮に近いもの。じっくりやるのでじっくりバターがしみわたるのであるが,これは西洋での白身ザカナの定番料理のひとつ。
 ムニエルは,たしかにアチラと同様にシタビラメやマスなんかでやるとじっくり旨いには違いないのだが,日本人の舌にはいささかしつこいのではあるまいか。その点,ここでご紹介したバター塗りの塩焼きマトウダイには,ムニエルにはない,小麦粉ではなくサカナ本体が発する皮と身の香ばしさと,濃厚な中にも後味のキレがよい潔さがあるように思う。バターソースなんて凝ったものではなく,単にほどよく焼いた塩焼きにバターをサラリと塗っただけのもの,このシンプルさが味を美しくしているのではないかと思う。その証拠に,洋酒はもとより冷酒にも実に合う。
 
 食を通じての私とマトウダイの因縁は,サバほどではないにせよ,実は深い。
遡ること二十数年,豪州はシドニーという街の小湾のほとりで暮らしていた折り,生きた小アジや小ダイを餌にしてマゴチ,これも1m近いマゴチがいるのであるが,これを狙っているときに,時々マトウダイも顔を出していた。だいたいが50㎝級だ。
 当時中学生であった私にとって,日常生活の中で陸から身近に釣れる大型のサカナといえば,第一にクロダイ(オーストラリアキチヌ),そして小さなボートを漕ぎ出してのマゴチとマトウダイくらいなものだった。良型とはいえ,刺身にすれば大味であるのが大陸ザカナの悲しいところ。中学生の未熟な料理であるから,結局,釣ってきた獲物は煮つけか吸い物にするか,バーベキューコンロの炭火の上で塩焼きになる運命であったわけだが,いずれもとりたてて旨いと褒められるレベルのものではなかった。刺身にいたっては,沿岸魚であえて旨いサカナを挙げるとすれば,脂が乗らなくても肉の甘味は裏切らないカワハギの類くらいであったと記憶している。
 
 味気ない魚たちがひしめく中にあって,マトウダイ,すなわち当地で言うJohn Doryはひときわ輝いていた。今思い出しても日本のマトウダイと味に遜色はなかったと思う。
 事実,豪州国内,特に東部海域における人気魚のトップに,マトウダイは君臨していた。豪州人にとってもやはり旨いモノの食い分けはあるということであるが,いかんせん食習慣は越えがたいとみえ,フィッシュ&チップスの材料から大きく抜け出せるわけでもなく,せいぜいがムニエル,あるいはホイルに包んだ蒸し焼き,あるいはそれに類する西洋料理といったところで,こうなると,はたしてこのサカナでなければならないといった食べ方ではない。

 そんなある日,定番のクロダイが釣れたため炭火焼きとしたのだが,この日は少し焼きすぎて,身がやけにバサついてしまった。味としては素朴ではあるが,とても旨いといって食えるものではない。そこで思いつきでサラダ油を少々たらしたところ,これが正解で,ギシギシバサバサが和らいで食えたのだった。ついでにコショウ少々を加えると,本来の塩焼き味からは離れるものの,これもオツであった。
 ということで,“バター塗り塩焼き魚”は,この体験の延長にあるひとつの形態だ。油で焼くのと,焼いたものに油をかけるのでは,同じ材料でもずいぶん味と風味が違うということに,しくみとして気づいたわけだ。
 以来,脂の乗っていないサカナを次々と釣っては焼き,バターを塗ってみた。結果,マダイ(ゴウシュウマダイ),クロダイ,マトウダイ,タカノハダイの仲間など,ある程度大型で,おおぶりな筋繊維をもち,その結合が緩い大陸の白身のサカナ,すなわち“大味なサカナ”であれば,全てOKという結論に達したのである。こんがり焼いて,バターぬりぬりだ。これだけで,大味だったこれらのサカナが、ちょっと小粋でしゃれた味わいに化ける。
 一方,コチやホウボウなどのように,筋繊維が細かくギシッと身が締まっているサカナには向かないようであった。皮目の弾力が強い上に,身に脂がなじみにくいのである。従って以後滞在中,チヌ以外では,特にマトウダイを集中的に追い回す日々を送ることとなった。釣れればその旨さが脳裏に走り,単純にウレシイ。生き餌を餌にして釣るヒラメやアカミズ,ブリなどに比べれば,けして釣り味が良いわけでもないのに,マトウダイが釣れるとじんわりとウレシく感じるのは,この私的体験によるところが大きい。

 このやり方が旨いとはいえ,日本で同じサカナを用いて同じことをやってみると,味が全く同じだったのはマトウダイだけで,あと近かったのはクロダイくらい。その他の白身ザカナでも,当然合わないはずもなかろうが,そんなことをする以前に既に十分いろいろ旨い日本のサカナでやるのは,いささか勿体ない,というのが結論。従って我が家では,焼き魚のバター塗りは,マトウダイの特別料理として存在するのである。
 でも,たまにはチヌでもやりますね。厚い皮がバターとなじむとモッチリして,これまた特有の味わいを醸すのがいい。
 
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 さて最後に,日本の郷土料理の中からひとつ紹介しておきたい。
これはマトウダイだけではなく,白身魚はもとより,サバやブリなどの青ザカナにも合う,浜の家庭料理だ。その名を「さしがみ」という。

 「さしがみ」とは,私が漁師修行をしていた長崎県野母崎に伝わる食べ方で,しくみを言えば,濃い甘辛醤油の煮汁を鍋に沸かして唐辛子をちぎり入れ,そこにサカナの切り身を短時間浸して表面を加熱調味したのち即食べてしまう,いわゆる“煮食い”スタイルの料理である。
 同様なしくみの料理は実は各地の沿岸地域に分布しており,その名もさまざま。たとえば九州北部から対馬を経由し島根県隠岐島まで分布する「いりやき」は,サシガミと同様に醤油ダシを用いた煮食いであるし,島根県大田から浜田にかけての沿岸に行けば,濃い醤油で骨ごとぶつ切りにしたタイやカワハギ,ノドクロ(アカムツ)などを煮食いする「へかやき」がある。
概ねこれらは濃味甘辛系の煮食いであり,本来はほとんど野菜を使わない。入れるとしても白菜とタマネギや長ネギくらいなのだが,熊本から天草地方にかけての「さしつけ」のように,薄口醤油を用い,すっきりした魚ダシで,いろんな野菜とともに味わうタイプもある

 濃い甘辛醤油汁の煮食いといえば,思い出されるのは有名な「すき焼き」。“すき”は鉄製の農機具「鋤」であり,島根のヘカヤキにおける“へか”も同様に農具につかう鉄の部分であるとのことだ。また,いりやきの“いり”は“煎り”であり,フツフツ,あるいはジクジクとたぎる煮様を指す。「さしつけ」は,互いに向かい合って箸でつつく“差し”と入れてダシに“浸ける”,すなわち“互いに鍋の中に食べ物を差し入れ合う”の意であろう。使う道具を指すか,料理行為を形容するか,の違いだ。
 現代においてはスキヤキだろうがイリヤキだろうが,農機具は当然使っておらず,使用する専用鍋が浅い鉄製の鍋である点のみ,かつての名残をとどめている。
そして,サカナを材料とするこれらの形態を,上方では総じて「魚すき」とも言うし,サバを使ったイリヤキを「サバスキ」と呼ぶ人もいる。いやはや混乱気味。

で,ちょいと横道にそれて整理すると,

 東シナ海に面した九州西部に在する長崎,特に五島列島は,青ザカナの群れを大きく囲んで獲る「まき網」発祥の地。それまでの大型漁業といえば,せいぜい定置網であって,いわゆる“待って獲る漁業”の範疇を出なかったわけだが,ここから飛び出て大きな機動力をもち,多方面に漁場を開拓していったのがまき網だ。
 これが対馬暖流に乗って,日本海を北上しつつ伝わってきたということで,北九州を経て,まき網の停泊地であった対馬,同様に隠岐,新たな漁業基地としての境港,と伝搬してきたわけだが,当然,まき網船員のつくる出身地の料理も,それぞれの地に伝わり,また土地の味覚・風土に合わせて変化してきたと考えるのは自然である。

 たとえば境港など,実はほんとうの“じげ者”は3分の1程度で,大部分が九州,対馬,隠岐などから渡来した,食文化で言えばもともと多様性のるつぼ。そんな中で,境港では青ザカナがたくさん水揚げされるので,中でも脂の乗ったサバを用いた煮食いとしてサバスキが定着したということであろうと思う。が,同時に,似たようなサバ料理をイリヤキと呼ぶ対馬や九州出身の境港人も同じ町内に同居しているわけだ。
 このように,サバを煮食いする沖ないし浜料理のかたちは,ひとつはまき網の伝来によってもたらされた経路があったと推測され,今でもまき網が盛んな地域では,引き続き素材はサバを踏襲するかたちで残っている。鍋に唐辛子を入れるかどうかは,地域によって異なる。

 一方,まき網の立ち寄り港ではあったが地域漁業としては定着せず,脂の乗ったサバがあまり獲れない地域では,料理の形態だけが残り,それがたとえば底曳き網漁業が盛んな島根県西部であれば,いろんな底魚を使ったヘカヤキとして残り,また,対馬などであれば,対馬地鶏や沿岸の磯ザカナを使ったタイプのイリヤキとして現存している,ということではないかと思われる。
 各地煮食い来歴の診断ポイントとして,「その煮食いはサバかサバでないか」,「煮るダシは,醤油甘辛汁か薄い飲める程度のダシか」,「唐辛子は入れるか入れないか」,「その地の漁業としてまき網は存在するかしないか」の4点で見ると,伝搬経路が見えてきておもしろい。ただそれだけのことなのだが,煮食い談義は尽きぬ。

 さて,いろいろあるなかで,ワタクシといたしましては,やはりサシガミ,なのであります。名称に対する愛着の問題。サシは,互いが向き合って“差し合う”であるし“箸で差し入れる”の意でもある。“ガミ”は“噛み”であって,実は熊本から長崎にかけて,地域的ではあるが,“食う”ことを“噛む”という。つまり“互いに向かい合って同じものをツツきながら食う”という,人間同士の関係としては根幹にかなり近いところでつながるステキな表現であって,いい言葉だなあと思う。
 ちなみに“噛む”については,たとえば「今日はウチでご飯ば噛んでいきんしゃい」とか,「はようメシ噛まんば,学校に遅るっぞ~」という具合に用いる。ただしほとんどがジサマバサマの用法であって,最近は聞けなくなりました。だから,よけいに懐かしさがあるんだろうなあ。

それでは,サシガミの作り方を。
 本来,野母崎で私が食っていた頃は,冬場にカゴで大量に獲れるカワハギを使ってやっていたもので,獲りたてのカワハギの短冊身がコリンとして旨いものであったが,マトウダイでやると,少しふっくらとして,皮の青臭さも消えて優しい味で,これまたなかなかに旨い。

【 マトウダイのサシガミ 】
①三枚におろして3つに切り分けた身を,皮ごと厚めにそぎ切りにして皿に盛る。
②下処理のときにとっておいた,卵巣(あれば)を2つに切り,肝臓は3つ切り,胃袋は短冊切りとし,頭と共に水気をきって別皿に盛っておく。刺身にした残りの皮があれば,これも大雑把に切って共に入れておく。
③白菜は葉を重ねて横方向に1㎝幅,タマネギは立て半割してクシ切りに1㎝幅とする。
④平鍋ないし土鍋に3㎝ほど酒を注ぎ(水で割ってもよいが半々を越えぬよう。水っぽくなるので),濃い口醤油を加えていき,塩気が決まったら,砂糖を少しずつ加えて甘辛に調整する。身がゆるいサカナでやる場合には,ミリンを用いてもよい。
⑤ここに唐辛子一本の種を抜いて半分にちぎり入れ,いったん沸騰させる。唐辛子は生ないし生の凍結ものであればなお風味がよいが,お子さまのおられるご家庭では,入れないがよろしい。食べる際にオトナが各自,柚コショウなり一味あるいは七味なりを振ればよい。沸騰してアクをすくったら,フツフツたぎる程度の火加減まで落とす。これで準備完了。
⑥まず,脂分を補うため全ての肝臓を,そしてダシをとるため頭を放り込んでおく。そして,各自が各自の切り身を箸でつまんで煮汁の中に入れ,我が切り身を注視する。煮加減は好みであるが,入れたらまず箸で揺すって生臭みを落とし,次に表面がまんべんなく白くなったところでもう一度揺すって取り出すくらいのタイミングが旨いように思う。
そのまま小皿で受けながら,ポンとほおばり,次の切り身に箸をのばす,といった具合だ。
⑦次に野菜をパラリと入れるわけだが,一気にたくさん入れないよう注意。温度が下がってサカナに生臭みが出てしまうので。野菜を入れたら,しばしじっとしていると,白菜やタマネギの切ったカドが,うっすらと醤油色に染まる。これが最高のタイミングで,ほどよく生でほどよく煮えた状態。味バランスも甘すぎず辛すぎずでよろしい。
⑧これらの合間に,卵巣や胃袋も入れていき,若干火をしっかり通して食い進む。そうこうするうちに,肝臓もふっくらと表面が色づき煮えてくるので,醜い奪い合いをせぬよう,控えめに,かつ深く味わっていくべし。頭は目玉とほお肉を食ったらあとの骨は邪魔なので取りだしてしまおう
⑨各自小皿を受け皿にするのが基本であるが,椀に盛った白飯を受け皿がわりとして酒宴のシメをとりおこなうのもヨロシ。煮汁がご飯に染み落ちていくあたりを半煮えの切り身と共にサッとほおばれば,言うことナシで完結できる。

 このサシガミという料理の何が一番いいかといえば,それこそ互いに差し合って差し入れ食い進むウチに,融和,というのでしょうか,それが生まれるのでありますなあ。
 気兼ねない相手であっても,互いに少しだけ気を遣いつつ差し合う。あ,それ,もう煮えてんじゃないの,かなんか言い合って,酒も酌み合って,おいしい肝が煮えたら暗黙に分け合って,時は少しずつ過ぎてゆく。煮上がったものが出てきて各自が食う煮付けともちがうし,奉行が采配をふるう鍋とも違う。味もさることながら,サシガミがとりもつ空間は,時間の流れ方が違うのである。
 家族でやるなら,オトーサン・オカーサンが子供に煮え加減などみてやりつつイイトコとってやって,それぞれに白メシほおばんなさい,と。
 汁が煮詰まってきたら,オトナの席だったら酒を足せばいいし,子供がいるようであれば水を足せばいい。以下,くり返し。火加減は沸騰しないように注意するだけ。メシも食い終えて,もういいやとなったなら,残った汁に残りのサカナや野菜やら全部つっこんでひと煮立ちさせ,翌朝台所で味が浸みるままに冷たくなってるやつを,朝の熱々ごはんでくうのも,またまた至福のおいしさだ。

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 毎年北西の風を聞くようになると,私は,かつて真冬の野母崎沖の船上で,かじかんだ手で引き揚げたカゴの中にペンペンと踊る太ったカワハギの愛嬌と,船長と共にセッセと竹を裂いてカゴを準備した秋の日だまりの作業や,その空気の匂いなど,天高いトンビの鳴き声のひとつふたつ,そしてなんといっても,寒い漁から戻ったあとの巣ごもりのような、熱く賑やかに暖まるサシガミ鍋の煮立つ香りと旨さを,手で触れるほど鮮明に思い出す。これからもサシガミを囲む相手や家族や季節とのつながりが,海の豊饒と共に続かんことを願うばかりだ。

 今期,沖にはまだたくさんのマトウダイが,ノホホンと泳いでいるにちがいない。夢の中までグーグー鳴いて,我が胃袋を刺激するニクイやつ。また釣りに行ってやるから待っていてほしい。


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