2008年02月16日
雪メバル随想
雪の釣りはよい。
夜,しんしんと音にならない音で降る雪に,海のざわめきさえ消され,振り向けば,あたりは見渡すかぎり,全ての生活に関するざっぱくな塵芥の類が一面にどこまでも白く覆い隠され,降りつむ足下の降ったばかりの雪の上に,釣れ上がったばかりの旨そうなメバルのひとつふたつ,ヒラスズキの子などが銀や黒に横たわり,そのまま静かになっていく様は,ひとつの命があくまでも静かに失われていく課程と同調して,不思議にすがすがしく美しい。
何かが生まれるときの美しさと失われるときの美しさ。いざその場に立てば,同じ生命としてなかなか割りきれないにせよ,それは同等なのかもしれない。
少なくとも昨年までは,12月の中旬以降,2月いっぱいは,そういう風景を釣る日々があった。
特に,急激に冷え込む12月後半あたりから,外気との温度差で海面からもうもうと湯気が立ち上るような日,そんな日に限ってあたりは寒さの故か誰一人おらず,海は凪で物音ひとつせず,我独り次々と良型メバルを抜きあげては無心に後方の雪の上に放っている,という夜の釣りが,毎年何回かはありましたねえ。
釣果はさておき,なぜかそんなとき,家々の明るい灯り,こたつの団らん,鍋の温かい湯気,熱燗のピリッとした熱さとそれを不器用にすするしぐさ,あるいはゆっくり部屋の中で釣り具の手入れなどする釣り人,といった暖かいイメージが脳裏を去来し,寒中に釣りを続ける今の自分との対比の中で,いよいよ“独釣”という風情が際立つのであった。
今宵はこれでよしとして帰路につき,誰一人往来のない新雪の町並みを過ぎ,カギをかけたことのない我が家の玄関をあけて中に入れば,既に家人は寝静まり,水道の切れるような冷たい水で手を洗い,メバルを下ごしらえし,そのうち何尾かを,とつとつと刺身に削ぎ切り,傍らのアルミ鍋の湯で酒に燗がついたら,電灯の下,白い息を吐きながら,メバル一切れ一切れの甘みを噛みしめてゆく独酌。これがまた,いいのである。雪中に籠もる虫のような自分がある。
さて,問題はこの冬,今年は2月今頃になって,そんなことがまだ一度もないことだ。今年はあと何回雪が降るのだろうか。雪の夜のこの愉楽を,どうか失う日が来ないことを,願い,祈るのみ。我々がいくら人事を尽くしたところで,天の摂理にはかなわぬ。
境港の古き地引き網の時代を知る古老は口を揃えて言う。「大山と島根半島にしっかり雪が降らんと,サカナは沸かん」と。
例年,3月半ばから雪が止まって晴天が顔を出すようになると,大山に積もった根雪は少しずつ溶け出し,それは木々の葉から落ち,岩をつたい,土壌の栄養塩類をたっぷり含んだ清冽な天水として,ジワジワと時間をかけてゆっくり川へ,あるいは伏流水へと補給される。それらの終着駅は美保湾だ。
そして,この真水の栄養によって,まだ海の水が冷たい沿岸水域に,冬独特の“赤潮”が発生するというのだ。夏ならぬ冬の赤潮。これが春のプランクトン発生に先んじて,美保湾の豊かさをつくるのであろう。
前回ログ「今期のメバル事情2008(2月中旬現在)」でも述べたとおり,このような雪による真水の供給は,雨のように急激な温度変化をもたらさず,海藻類および全ての生産力の基礎となる植物プランクトン発生の源となる。
まさに,日本海の豊かさは,大山(だいせん)を含む中国山脈によって維持されているということだ。想えば大仕掛けなしくみで海の豊かさは保たれている。
雪を受け止め滞留させるのは山の森林であるが,日本には昔から,「魚付き林」として沿岸の漁師達が,陸上の森林を守ってきた歴史がある。
サケの遡上が見られ新潟県村上に流れる三面川では「枝一本,首一つ」,つまり,木を一本切ったら首を切るぞ,という厳しい掟を科して,藩が海岸の森林を守ってきた歴史もみられる。
私が調べ歩いた長崎県だけでも約800カ所,現代では「魚付き保安林」として,防砂林とか水源涵養林などをはじめ11種類ある保安林のひとつとして森林法で守られており,みだりに伐ってはならないこととなっている。
現代のように,餌を撒いてサカナを寄せるとか,魚群を大きなエンジンで追いかけ回して獲ってしまうような技術のない時代。サカナのほうから岸に寄ってきてもらうしかない時代。すなわちそれは,“サカナの側に立ってモノゴトを考えていた”時代に,いにしえの漁師の経験と,モノゴトの理を見抜く卓抜した直感力から,魚付き林は生まれた。
つまり,各漁村ごとに,その沿岸に来遊する海洋生物だけでなく,それを育む海岸林もまた,村民共有の財産であったということだ。そのような世界では,釣りといえども外部からいろんな最新兵器を備えた趣味人が入り込んで,浜の空間や浜の資源を集中的に騒がすなぞということは,全く起こり得なかったのである。
今はどうか。浜も漁師も釣り人も,質がずいぶん変わってしまった。
誰が責任をもって海を維持できるのであろうか。心ある漁師,心ある釣り人,海を維持する最前線たる漁村。それらがつながることのできる現代のネット文明はどうか。
毒にも薬にもならぬことでつながることもあるけれど,つまらぬことばかりではない。私はこのシステムに一縷の望みを見いだして、発信している。
昨夜から,今年ようやく初めての“積もる雪”が降り始めた。今、窓越しに広がる境水道をはさんだ島根半島も、すっかり雪景色に変わった。
この雪に助けられて海の生物がどのような活動を見せてくれるのか,それをじっと思いめぐらす静かな週末。こんなの久しぶりだなあ。
夜,しんしんと音にならない音で降る雪に,海のざわめきさえ消され,振り向けば,あたりは見渡すかぎり,全ての生活に関するざっぱくな塵芥の類が一面にどこまでも白く覆い隠され,降りつむ足下の降ったばかりの雪の上に,釣れ上がったばかりの旨そうなメバルのひとつふたつ,ヒラスズキの子などが銀や黒に横たわり,そのまま静かになっていく様は,ひとつの命があくまでも静かに失われていく課程と同調して,不思議にすがすがしく美しい。
何かが生まれるときの美しさと失われるときの美しさ。いざその場に立てば,同じ生命としてなかなか割りきれないにせよ,それは同等なのかもしれない。
少なくとも昨年までは,12月の中旬以降,2月いっぱいは,そういう風景を釣る日々があった。
特に,急激に冷え込む12月後半あたりから,外気との温度差で海面からもうもうと湯気が立ち上るような日,そんな日に限ってあたりは寒さの故か誰一人おらず,海は凪で物音ひとつせず,我独り次々と良型メバルを抜きあげては無心に後方の雪の上に放っている,という夜の釣りが,毎年何回かはありましたねえ。
釣果はさておき,なぜかそんなとき,家々の明るい灯り,こたつの団らん,鍋の温かい湯気,熱燗のピリッとした熱さとそれを不器用にすするしぐさ,あるいはゆっくり部屋の中で釣り具の手入れなどする釣り人,といった暖かいイメージが脳裏を去来し,寒中に釣りを続ける今の自分との対比の中で,いよいよ“独釣”という風情が際立つのであった。
今宵はこれでよしとして帰路につき,誰一人往来のない新雪の町並みを過ぎ,カギをかけたことのない我が家の玄関をあけて中に入れば,既に家人は寝静まり,水道の切れるような冷たい水で手を洗い,メバルを下ごしらえし,そのうち何尾かを,とつとつと刺身に削ぎ切り,傍らのアルミ鍋の湯で酒に燗がついたら,電灯の下,白い息を吐きながら,メバル一切れ一切れの甘みを噛みしめてゆく独酌。これがまた,いいのである。雪中に籠もる虫のような自分がある。
さて,問題はこの冬,今年は2月今頃になって,そんなことがまだ一度もないことだ。今年はあと何回雪が降るのだろうか。雪の夜のこの愉楽を,どうか失う日が来ないことを,願い,祈るのみ。我々がいくら人事を尽くしたところで,天の摂理にはかなわぬ。
境港の古き地引き網の時代を知る古老は口を揃えて言う。「大山と島根半島にしっかり雪が降らんと,サカナは沸かん」と。
例年,3月半ばから雪が止まって晴天が顔を出すようになると,大山に積もった根雪は少しずつ溶け出し,それは木々の葉から落ち,岩をつたい,土壌の栄養塩類をたっぷり含んだ清冽な天水として,ジワジワと時間をかけてゆっくり川へ,あるいは伏流水へと補給される。それらの終着駅は美保湾だ。
そして,この真水の栄養によって,まだ海の水が冷たい沿岸水域に,冬独特の“赤潮”が発生するというのだ。夏ならぬ冬の赤潮。これが春のプランクトン発生に先んじて,美保湾の豊かさをつくるのであろう。
前回ログ「今期のメバル事情2008(2月中旬現在)」でも述べたとおり,このような雪による真水の供給は,雨のように急激な温度変化をもたらさず,海藻類および全ての生産力の基礎となる植物プランクトン発生の源となる。
まさに,日本海の豊かさは,大山(だいせん)を含む中国山脈によって維持されているということだ。想えば大仕掛けなしくみで海の豊かさは保たれている。
雪を受け止め滞留させるのは山の森林であるが,日本には昔から,「魚付き林」として沿岸の漁師達が,陸上の森林を守ってきた歴史がある。
サケの遡上が見られ新潟県村上に流れる三面川では「枝一本,首一つ」,つまり,木を一本切ったら首を切るぞ,という厳しい掟を科して,藩が海岸の森林を守ってきた歴史もみられる。
私が調べ歩いた長崎県だけでも約800カ所,現代では「魚付き保安林」として,防砂林とか水源涵養林などをはじめ11種類ある保安林のひとつとして森林法で守られており,みだりに伐ってはならないこととなっている。
現代のように,餌を撒いてサカナを寄せるとか,魚群を大きなエンジンで追いかけ回して獲ってしまうような技術のない時代。サカナのほうから岸に寄ってきてもらうしかない時代。すなわちそれは,“サカナの側に立ってモノゴトを考えていた”時代に,いにしえの漁師の経験と,モノゴトの理を見抜く卓抜した直感力から,魚付き林は生まれた。
つまり,各漁村ごとに,その沿岸に来遊する海洋生物だけでなく,それを育む海岸林もまた,村民共有の財産であったということだ。そのような世界では,釣りといえども外部からいろんな最新兵器を備えた趣味人が入り込んで,浜の空間や浜の資源を集中的に騒がすなぞということは,全く起こり得なかったのである。
今はどうか。浜も漁師も釣り人も,質がずいぶん変わってしまった。
誰が責任をもって海を維持できるのであろうか。心ある漁師,心ある釣り人,海を維持する最前線たる漁村。それらがつながることのできる現代のネット文明はどうか。
毒にも薬にもならぬことでつながることもあるけれど,つまらぬことばかりではない。私はこのシステムに一縷の望みを見いだして、発信している。
昨夜から,今年ようやく初めての“積もる雪”が降り始めた。今、窓越しに広がる境水道をはさんだ島根半島も、すっかり雪景色に変わった。
この雪に助けられて海の生物がどのような活動を見せてくれるのか,それをじっと思いめぐらす静かな週末。こんなの久しぶりだなあ。
Posted by ウエカツ水産 at 17:08│Comments(12)
│釣・環境・水産
この記事へのコメント
こんばわっすYO!
「魚付き保安林」として,防砂林とか水源涵養林などをはじめ11種類ある保安林のひとつとして森林法で守られており,みだりに伐ってはならないこととなっている。」
過去にある番組でカキの養殖についての取り組みが特集されて興味深く見たことがあります。味のいいカキ、よりよいカキの養殖にはその湾や場所に流れくる海の水を豊かにすること、さかのぼれば川、最もさかのぼれば山や森林に滴る土壌の環境が大切であると。
そのような環境づくりについての内容であることを思い出しました。
では、そのような川なり・流域における栄養素等を実際に計測して他の地域や流域と比較・検討することでその有効性についての定量的データを示す。実際にすでに試みているかもしれませんが興味があります。
また、自然を構成する、太陽、風、海、空、空気・・・そのようなものはうまくお互いを尊重しあって、時に敬遠して密接に結びついているように改めて思いました。
「魚付き保安林」として,防砂林とか水源涵養林などをはじめ11種類ある保安林のひとつとして森林法で守られており,みだりに伐ってはならないこととなっている。」
過去にある番組でカキの養殖についての取り組みが特集されて興味深く見たことがあります。味のいいカキ、よりよいカキの養殖にはその湾や場所に流れくる海の水を豊かにすること、さかのぼれば川、最もさかのぼれば山や森林に滴る土壌の環境が大切であると。
そのような環境づくりについての内容であることを思い出しました。
では、そのような川なり・流域における栄養素等を実際に計測して他の地域や流域と比較・検討することでその有効性についての定量的データを示す。実際にすでに試みているかもしれませんが興味があります。
また、自然を構成する、太陽、風、海、空、空気・・・そのようなものはうまくお互いを尊重しあって、時に敬遠して密接に結びついているように改めて思いました。
Posted by アニー at 2008年02月17日 00:16
この荒れ気味の天候と瞬間的に忙しくなった仕事によりこの2月まったく釣りをしていない○月です。
いつもためになる文章ありがとうございます!
僕も
「海の生物がどのような活動を見せてくれるのか,それをじっと思いめぐらす静かな週末。」
がおくれるのを人生の目標に、
また海を守れる1人になれるよう頑張ります。
いつもためになる文章ありがとうございます!
僕も
「海の生物がどのような活動を見せてくれるのか,それをじっと思いめぐらす静かな週末。」
がおくれるのを人生の目標に、
また海を守れる1人になれるよう頑張ります。
Posted by ○月 at 2008年02月17日 22:22
雪の島根半島・・・その後・・・初めての経験になりそうです。
今期は本当に雪に阻まれ、我車では峠越えを果たす事すらできませんでした(笑)
実に興味深く、趣のある文に感嘆いたしました!
『いにしえの海の守人』 ロマンです♪
今期は本当に雪に阻まれ、我車では峠越えを果たす事すらできませんでした(笑)
実に興味深く、趣のある文に感嘆いたしました!
『いにしえの海の守人』 ロマンです♪
Posted by FFF at 2008年02月18日 08:35
to:アニー殿
ごぶさたしております。
あのカキ養殖の人、畠山さんといいます。養殖場は宮城の唐桑という小さく美しい湾にあり、そこに注ぐ小さな川の役割を見出した人。
川が海を養っていると直観し、上流にある村落との交流を始めた。上流の村長いわく、「海の人からお礼を言われたのは初めてだ」と。
その後、、「漁師の森」の植樹活動を展開し、その哲学は今や全国の心ある漁師達に伝わり、各地で小さいながらも漁師による植樹がおこなわれている。「森は海の恋人」って本、聞いたことないかな~。
このような動きが始まったのが20数年前のこと。
さて、問題は、これは不思議なことなんだが、いまだにサカナと森林の関係は、あくまでも定性的な分析の域を出ず、データ収集・解析による定量的な研究がみられないこと。
要素の一部は「水系学」として最近脚光を浴びているが、なかなか進まん。それがナゼなのか、わからんけど、もったいない話ですなあ。
このテーマだけで一生食えるのにねえ。と、学生時代、学会の懇親会で、よく言われました。さりとて今さら、研究生活に戻る動機はねえなあ。
メバル釣りに忙しいし??!!
ごぶさたしております。
あのカキ養殖の人、畠山さんといいます。養殖場は宮城の唐桑という小さく美しい湾にあり、そこに注ぐ小さな川の役割を見出した人。
川が海を養っていると直観し、上流にある村落との交流を始めた。上流の村長いわく、「海の人からお礼を言われたのは初めてだ」と。
その後、、「漁師の森」の植樹活動を展開し、その哲学は今や全国の心ある漁師達に伝わり、各地で小さいながらも漁師による植樹がおこなわれている。「森は海の恋人」って本、聞いたことないかな~。
このような動きが始まったのが20数年前のこと。
さて、問題は、これは不思議なことなんだが、いまだにサカナと森林の関係は、あくまでも定性的な分析の域を出ず、データ収集・解析による定量的な研究がみられないこと。
要素の一部は「水系学」として最近脚光を浴びているが、なかなか進まん。それがナゼなのか、わからんけど、もったいない話ですなあ。
このテーマだけで一生食えるのにねえ。と、学生時代、学会の懇親会で、よく言われました。さりとて今さら、研究生活に戻る動機はねえなあ。
メバル釣りに忙しいし??!!
Posted by ウエカツ水産 at 2008年02月18日 10:21
to:○月さま
おひさしぶりです。
1ヶ月間釣りナシですか、いやいや・・・。
でも、そんな時期があってもいいのかも。
何かを突破すべく創造アタマで命がけで悩む経験は、後になるほど有益ですよねえ。必ずきっと誰かがそれによって救われてますし。
さておき、
“行きたいけど行けない”、ならばいいのですが、“行きたいと思えなくなった”、と、こうなると重症なのであります。
東京や神戸、九州の各所に同職の釣り好きが散らばっておりますが、その多くが、久しぶりに出会って、“行ってる?”と人差し指を立ててみせると、“もうぜんぜん行かなくなった”と疲れ顔。
“枯れちゃあいかんぜ”と言って別れるのですが、その後を見る限り、彼の当面の人生と、まさに重なるのですね。
結局、こう思います。
釣りも突き詰めれば、狩りであり、自然と相対する真剣勝負でありますから、そりゃあちゃんと獲ろうと思えば精神・肉体共にエネルギーを要するわけです。行きたいけど行けないならまだいいが、行きたいと思わなくなった釣り人、これは当然、そのエネルギーが枯れかかっているということでありますが、しかしそのエネルギーは生命力と源を同じくするものであるから、日常にも影響が出てくるはず。
こわいですねえ。
そうなると、根っからの釣り人が釣りをやめてしまったら、泳ぐのをやめたマグロに同じ。釣りが体の芯に染みているか。釣りが潜在意識まで到達しているか。また、そうなるほどに真剣に釣りをしているか、等々。究極を言えば、自分がサカナにならんと安定的にサカナは獲れん。
別に釣りは必ずしも修行じゃないから、こんなことはどうでもいいのかもしれんけど、結果として、釣り人の生命と釣りの関係は、こういうしくみになっておるんじゃなかろうか、と思うわけです。
外見上、完全な釣りキチに見えていた人が、忙しくなったり病気になったりを契機に、釣りに行きたいと思う、その心自体を失っていくとき、
本来釣りというものが、サカナを獲る、という生命の根源に由来する行為なだけに、その人の中にあったいのちの輝き、のようなものが失われていくようで、痛々しく、また悲しいのであります。
>「海の生物がどのような活動を見せてくれるのか,それをじっと思いめぐら>す静かな週末。」
>がおくれるのを人生の目標に、また海を守れる1人になれるよう頑張ります。
静かな週末、これが年に何回あるのか、なかなかね。
現場で問題勃発とか、ニョーボがやかましいとか、子供らが体をよじのぼるとか、等々。されど、その対応最中にあっても、心は静かにサカナを想いメラメラと炎を燃やし続けることが出来るのが、釣り人だよね!○月さん。
おひさしぶりです。
1ヶ月間釣りナシですか、いやいや・・・。
でも、そんな時期があってもいいのかも。
何かを突破すべく創造アタマで命がけで悩む経験は、後になるほど有益ですよねえ。必ずきっと誰かがそれによって救われてますし。
さておき、
“行きたいけど行けない”、ならばいいのですが、“行きたいと思えなくなった”、と、こうなると重症なのであります。
東京や神戸、九州の各所に同職の釣り好きが散らばっておりますが、その多くが、久しぶりに出会って、“行ってる?”と人差し指を立ててみせると、“もうぜんぜん行かなくなった”と疲れ顔。
“枯れちゃあいかんぜ”と言って別れるのですが、その後を見る限り、彼の当面の人生と、まさに重なるのですね。
結局、こう思います。
釣りも突き詰めれば、狩りであり、自然と相対する真剣勝負でありますから、そりゃあちゃんと獲ろうと思えば精神・肉体共にエネルギーを要するわけです。行きたいけど行けないならまだいいが、行きたいと思わなくなった釣り人、これは当然、そのエネルギーが枯れかかっているということでありますが、しかしそのエネルギーは生命力と源を同じくするものであるから、日常にも影響が出てくるはず。
こわいですねえ。
そうなると、根っからの釣り人が釣りをやめてしまったら、泳ぐのをやめたマグロに同じ。釣りが体の芯に染みているか。釣りが潜在意識まで到達しているか。また、そうなるほどに真剣に釣りをしているか、等々。究極を言えば、自分がサカナにならんと安定的にサカナは獲れん。
別に釣りは必ずしも修行じゃないから、こんなことはどうでもいいのかもしれんけど、結果として、釣り人の生命と釣りの関係は、こういうしくみになっておるんじゃなかろうか、と思うわけです。
外見上、完全な釣りキチに見えていた人が、忙しくなったり病気になったりを契機に、釣りに行きたいと思う、その心自体を失っていくとき、
本来釣りというものが、サカナを獲る、という生命の根源に由来する行為なだけに、その人の中にあったいのちの輝き、のようなものが失われていくようで、痛々しく、また悲しいのであります。
>「海の生物がどのような活動を見せてくれるのか,それをじっと思いめぐら>す静かな週末。」
>がおくれるのを人生の目標に、また海を守れる1人になれるよう頑張ります。
静かな週末、これが年に何回あるのか、なかなかね。
現場で問題勃発とか、ニョーボがやかましいとか、子供らが体をよじのぼるとか、等々。されど、その対応最中にあっても、心は静かにサカナを想いメラメラと炎を燃やし続けることが出来るのが、釣り人だよね!○月さん。
Posted by ウエカツ水産 at 2008年02月18日 17:10
to:FFFさま
ははあ、そうですか!
恵みの雪が阻みの雪にねえ!ははは、
中国山脈も、やってくれますなあ。
でも、雪中の静かなメバル釣り、これは本当に気持ちがいいものですよ。
ほかにはない“釣り味”があります。ただし、磯場はなしね。コワイコワイ。
>『いにしえの海の守人』 ロマンです♪
いやー、現場にいますとね、そのへんの維持がまさに泥臭い真剣勝負。
何かを良くしたり、何かを守ったり、一時が万事これ全てにおいて、人また人の調整の連続です。弱音は吐きませんが、しんどいですねえ。
たしかにいいとこピックアップして文章にすればロマン、現代の当事者からすれば苦難。
でも、せめてロマンだけでも感じていただければ、我々浜の者としては幸甚、なのであります。これからもヨロシクお願いいたします。
ははあ、そうですか!
恵みの雪が阻みの雪にねえ!ははは、
中国山脈も、やってくれますなあ。
でも、雪中の静かなメバル釣り、これは本当に気持ちがいいものですよ。
ほかにはない“釣り味”があります。ただし、磯場はなしね。コワイコワイ。
>『いにしえの海の守人』 ロマンです♪
いやー、現場にいますとね、そのへんの維持がまさに泥臭い真剣勝負。
何かを良くしたり、何かを守ったり、一時が万事これ全てにおいて、人また人の調整の連続です。弱音は吐きませんが、しんどいですねえ。
たしかにいいとこピックアップして文章にすればロマン、現代の当事者からすれば苦難。
でも、せめてロマンだけでも感じていただければ、我々浜の者としては幸甚、なのであります。これからもヨロシクお願いいたします。
Posted by ウエカツ水産 at 2008年02月18日 17:25
おお!
さすがウエカツ様!
最近、たまに考える不安のど真ん中を射抜いておられます。
釣りへの欲求の減少=生を謳歌する欲望への減少
将来的にこんな事にならないかという不安は最近ふと心をよぎります。
しかし現段階では枯れたつもりはないので…
しかし逆説的に
釣りにいけないといっている自分=枯れているのか!?
となっている2月。
そろそろ狩りに出撃して”生”を取り戻します!!!
さすがウエカツ様!
最近、たまに考える不安のど真ん中を射抜いておられます。
釣りへの欲求の減少=生を謳歌する欲望への減少
将来的にこんな事にならないかという不安は最近ふと心をよぎります。
しかし現段階では枯れたつもりはないので…
しかし逆説的に
釣りにいけないといっている自分=枯れているのか!?
となっている2月。
そろそろ狩りに出撃して”生”を取り戻します!!!
Posted by ○月 at 2008年02月18日 17:36
ウーン、ナイスです!行きますか、狩りに!
枯れてませんねえ、ダンナ。
たとえ行けなくったって、イメトレがある。
これがけっこう実効果あるんですよ~。
枯れてませんねえ、ダンナ。
たとえ行けなくったって、イメトレがある。
これがけっこう実効果あるんですよ~。
Posted by ウエカツ水産 at 2008年02月18日 17:55
こんばんわっす。
久々の釣行、有意義でした。
コウイカ大事な食材もGETです。
メバルは潮のせいか・なにか
当たりはなしでした。
すこしづつですが考える釣りができてきましたですです。
久々の釣行、有意義でした。
コウイカ大事な食材もGETです。
メバルは潮のせいか・なにか
当たりはなしでした。
すこしづつですが考える釣りができてきましたですです。
Posted by アニー at 2008年03月09日 01:36
昨夜は有り難う御座いました。色々聞いて邪魔してすいませんでした。
そして、今夜もお疲れ様でした。またの機会を楽しみにしてます!
そして、今夜もお疲れ様でした。またの機会を楽しみにしてます!
Posted by イルカ師 at 2008年03月12日 01:46
to:イルカ師さま
とんでもござんせん。
私も楽しかったのです。ああなれば釣れる釣れないは二の次よ。
出張が明日になったので、今日はちょいと稼ぎに行くかな~。
でも東の風がちょっとね。
またやりましょう!
とんでもござんせん。
私も楽しかったのです。ああなれば釣れる釣れないは二の次よ。
出張が明日になったので、今日はちょいと稼ぎに行くかな~。
でも東の風がちょっとね。
またやりましょう!
Posted by ウエカツ水産 at 2008年03月12日 16:36
おはよう御座います。昨日はご訪問頂き有り難う御座いました。こちらの記事を拝読させて頂きましたが、食に携わるものとして非常に身につまされる様な事や又とても共感させて頂く事等も多々有り是非次回の更新を楽しみにお待ち致しております。
ところで、環境の事がやはり気になる所ですが、私は専門家ではありませんので只漠然としかわからないんですが、具体的にこの先いったいどうなる事が予測されますでしょうか?ご多忙であると察しますがお時間のあるときに是非ご鞭撻の程よろしくお願いします。
ところで、環境の事がやはり気になる所ですが、私は専門家ではありませんので只漠然としかわからないんですが、具体的にこの先いったいどうなる事が予測されますでしょうか?ご多忙であると察しますがお時間のあるときに是非ご鞭撻の程よろしくお願いします。
Posted by meltingpotxxs1nsk8 at 2008年03月17日 07:37
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