2008年01月09日
サバ味の深淵
過日,職場の同僚の実家からサバをいただいた。みごとなマサバです。新年お目出サバ。
発泡箱をあけると,体長40㎝ばかりのが十数本,氷の上でピーンとしている。尾を持ってみるとカラダがパンと堅い。背の青が緑がかっている。眼球を覆う皮膜は,横たわってなお,海の青を遠く見つめて澄んでいる。
まったくコーフンしますなあ,いいサバは! 今回は心ゆくまで“サバ味”を追究してみたい。
かつて20年くらい前は,地元漁協の事務室に貼ってある“2㎏”のサバの魚拓が示すとおり,境港および山陰界隈の沖では,そりゃもうスゴイサバが獲れていたようだ。いわく,カツオと見まがうばかり,だったとか。日本のまき網船が獲ってくる済州島沖のサバや,青森で揚がる北方系群のサバが脂の乗りがいいとはいうが,なんといっても日本海山陰沖のマサバは脂と肉のバランスが良くてクドさがない。総合的に品がいいので贈答用としても恥ずかしくない。
ここ10年くらい山陰沖のマサバの漁獲は低迷したままで,サカナッ食い,とりわけ熱烈な“サバ食い”であるワタクシとしては,寂しい思いをし続けてきたが,このところ,少しは増えてきているようで嬉しいこと限りなし。境港に来て苦節4年,待てば海路の日和あり。どれほどサバ好きかといえば,死ぬ前に食うんだったらサバ食って死にたい,と思っているほど好きなのです。
サバは平日の午後にいただいたのだが,もうこうなると仕事が手につかない。自然の営みは人間を待ってはくれない。つまりサバはオシッコしてる間にも刻々と鮮度が落ちるのだ。早く家に帰らなきゃ・・・サバがあるから。できれば早退さしてもらえんかな・・・サバがあるから。安全運転で帰らなくては・・・車の振動でサバが傷むから。てな具合に勤め人にあるまじき状況となり,終業のチャイムと同時に脱兎の如くサバ箱へと走り,ソウーッとかつ速やかに,車に積んで我が家にすべり込んだのであった。
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さて,料理にかかる前に,サバ談義を少々。
【 サバの繊細さについて 】
一般的に1に釣り,2に定置,3にまき網と底曳き。これは,同種・同時期・同水域のサカナでも漁法によって質に差が出ることを端的に言ったもので,要は,サカナが死ぬまでのストレスの度合いと死に方が質を左右するということで,左記の順に上等,ということになっている。もちろん,どんなに獲り方がよくてもその後の処理・保存の方法がまずければ台無しにもなる。そのへんの詳細は当家過去ログ「サカナの鮮度(維持と保存)」に書いた。
アジ・サバ・イワシのような,いわゆる“青ザカナ”,資源学的には「浮魚」とも言うが,この仲間は,たとえばまき網に囲まれた群れが大量に押し合いへし合いしたり,掛かったまま自然死したりすると極端にその質が低下する。具体的には,肉に血が回ってしまったり,筋肉の結合が離れて身割れする,あるいは体表が擦れて内出血したり,圧迫されて内臓や皮が破れてしまう,といったようなことだ。
中でも,特に血合いの多いサバの仲間,この親玉はマグロなのであるが,これらは高速で一生を遊泳して暮らすため,血合い部分に我々の血中のヘモグロビンよりたくさんの酸素を蓄えられる血色素「ミオグロビン」を含んでいる。酸素量が多いということは筋肉中の燃焼効率が高いということであるから発熱も大きく,苦しんで暴れ回ると他の魚類よりも体温が上昇する。
その結果何が起こるかといえば,“ヤケ”と称する状態,血合い周辺の筋肉が低温火傷になったように灰色がかった状態になりやすい。そうなると肉には特有の酸味と臭みが発生するため,たとえ見かけ上は鮮度が良いと判断されるものであったとしても,刺身はおろか,ほとんどの料理に使えなくなってしまうのである。“サバの活き腐れ”などと昔から言われる所以だ。
また,殺したあとの保存についても,通常の魚屋の店頭のように氷を敷いた上にサバを乗せておくと,氷に接した面だけが部分的に冷えて,体内の温度差によって筋肉収縮の不均衡が生じ,身割れの原因となる。更に,自分の体重で,氷に接した筋肉が氷に合わせてデコボコになってしまうといった問題もある。ということだから,サバの保存には水氷がよいということになる。サバの体に負担をかけずに全体を一定にまんべんなく冷やすことができるからだ。
ことほど左様に,良いサバを得ることは難しいのであり,それだけに手に入ったときの感動は大きい。
鮮度が良くて,かつ旨いサバは,青いサカナとはいっても厳密には背中が緑色がかっている。そして首後ろの肩のあたりと肛門付近の腹を指で軽く触ってみると,堅く反発する張りがある。腹皮は虹色の光沢をたたえた銀白色。目がスッキリ澄んでいることは当然のことながら,意外と見落としやすいのが肛門からにじみ出ている黄褐色の汁の有無。これが出ているものは,外側がきれいでも食べた餌の消化が進んでしまって内部に臭味が移っている可能性がある。
更にいいサバの条件を言うならば,幅が広く,シッポの方まで太っていて,パッと見たときに相対的的に頭が小さく感じるもの。そして腹側の銀白色の上に,金色をうっすら刷毛で塗ったような光沢があるもの。これはサイコウだ。このようなサバに遭遇するとワタクシなどは,見ただけで興奮のあまり体中の血が逆流し,その場で財布を開いちゃう。お好きなのね,と言われれば,まったくホントそのとおり。
とにかくサバの鮮度と品質の維持は難しいということで,全国津々浦々,魚食う人々はこれの技術向上に腐心する。
たとえば,,,
かの関サバで有名な大分県佐賀関を基地とするアジ・サバ釣り漁師や四国は高知県土佐のゴマサバ釣り漁師は,内臓の自己消化を早める撒き餌は一切使わず,釣れ上がったサバもいっさい手を触れなくていいように針のはずし方などを工夫している。市場の競りのときにも,“ツラ買い”といって,泳いでいるのを目で見て値をつける方式だ。
また,屋久島のゴマサバなどは,網から取り上げるときに,一尾ずつ生きたやつの首を上方に折って神経経路を断ち,速やかに放血する「首折れサバ」として知られているし,各所の優秀な沿岸サバ漁場を抱える地域では,首を半落としにして,放血したあと露出した背骨にピアノ線などを通して神経を殺すといった努力も一般的になってきた。
最近では,大量漁獲をする大型まき網でさえ,青森県八戸あたりでは,船上に揚がったサバを生きた状態のままで,過冷却した液体に浸けて急速凍結する試みを開始した。
かつてはイワシと並んで大衆魚の代名詞であったサバが,ここまで手厚いお世話を受ける日が来るとは,サバ当人も思わなかったことであろう。或いは単にこれまで人間が,サバ味ワールドの深淵に気づかなかっただけなのか。
これらの努力は,あれもこれも全ては鮮度のいい旨いサバを食いたいという欲求に応えるものであって,その実現が付加価値を生むということだ。このように21世紀“サバ食い”の執念は,全国の海に渦巻いているのである。これをオソロシイというべきかタノモシイというべきか。良サバと見ればすぐにサイフを開いてしまうワタクシであるが,やはりこれだけの手間がかかってこその旨いサバであれば,やせ我慢して買う価値もアリと思う。
【 サバの種類と“食あたり”の真実 】
ところで,一般に我々が食うサバの代表選手にはマサバとゴマサバがいる。
両者ともサバというかぎり紡錘形で体の断面が丸っこいサカナなのであるが,マサバは断面がやや楕円形で体高があり背はサバ模様で腹は銀白色。ゴマサバは,より細身型で断面が丸に近く,背のサバ模様は同じだが腹の銀白色の中にうっすらと灰色の虫食い模様がある。そう,日焼け跡のソバカスないしシミ,みたいなカンジ。それをもって“ゴマ”,と呼ばれているのだ。世の女性諸君はお肌の部分的な色素の沈着を嫌がる傾向のようであるが,ゴマサバを愛する者にとっては違和感がまったくない。それどころか美しいとさえ思う。世が代われば,あの人ステキなゴマ肌ね,などとささやかれる日が来るやもしれぬ。それが文化だ。
さて,一般的に,マサバは冬にかけてのサカナ,ゴマサバは夏にかけてのサカナ,ということになっており,それぞれの季節に旨い。いわゆる味の旬ということで,特に刺身でもおいしく味わえるのがこの時期。
と同時に,よく心配されるのがイカやタラなどの生食で問題になる寄生虫「アニサキス」。これは体長数ミリ大の針状の線虫で,生きたままニンゲン様の胃袋に到達すると,胃壁に食い込み七転八倒の痛みを与える憎いヤツ。当人に悪気はないのであるが,彼らの生きる道であるからいたしかたない。まあ,こやつがサバにもいるのである。
この虫は面白いことに,季節によって,魚体内で居場所を変える。筋肉中にいるときもあれば,腹腔部の内側や,内臓、特に胃腸や肝臓にいるときもある。たとえばマサバの場合,味の旬である冬場には,アニサキスは筋肉から出て腹腔や内臓にいるのである。
よく観察してみると,マサバの旬,冬の彼らの状態は,夏場の筋肉中にいるときのようにうねうねと自己主張せず,小さな渦巻き状に丸まって,腹腔の皮下や内臓の表面にポツリポツリと静かに眠っているかに見える。ゴマサバでは,その旬の夏に同じような状況だ。アニサキス諸君の都合詳細は存ぜぬが,とにかくこうなっているのであーる。
つまり,いずれのサバにせよ,鮮度に気をつけて旬の最盛期を食っている限りは,アニサキスを生食いして胃に食いつかれました,というようなことは起こらない。さあ,寄生虫学者さんは,これについてなんと言うであろうか。
いずれにせよ,ワタクシは幼少のころよりこうして季節限定でサバの刺身を食べてきており,なんら問題は生じていないのだから,身をもって公言できるというわけだ。
むろん,それでも心配な人は,生食をあきらめて加熱して食べればよろしい。そうそう,ついでにシメサバも断念していただかねば。筋肉中にアニサキスが入っていたとすれば,蛋白質を固化する酢は,よほどきっちり漬けないとアニサキスまで届かないし,ちゃんと塩で締めたのにと言ってみたところで,ヤツは塩分では死なないのですから無意味。つまり,ときどき耳にする「アニサキスが危ないのでシメサバにします」という解釈はマチガイ。
それでは低温攻めはどうじゃということで,サケの“ルイベ”のように凍らせてしまっては,アニサキスは死ぬけど繊細なサバの細胞が凍結・解凍に耐えられず,身が崩れてしまっていけない。ああ,いよいよアキラメねばなるまいて。サバ刺しとシメサバはサバ料理の真骨頂なのに,残念なことですなあ。
そしてもうひとつ問題らしきことが。
サバに限らず血合いの多いカツオ・マグロ類の肉,特に血合い部分には,“ヒスチジン”いう物質が多く含まれている。これは必須アミノ酸のひとつであって,本来なんら問題ないのであるが,魚の体表や,それが触れたまな板・包丁に付着する微生物の作用によって“ヒスタミン”に変化する。
これは言わずと知れたアレルギー症状の元となる物質で,特に人間の体が弱っているときにはジンマシンや発熱,嘔吐などを惹起することがある。現代人は体内環境が狂ってきているのか,これに対する耐性が昔より弱ってきているように思う,が,これもサバと健康の管理次第で解決できること。
いずれにせよサバを食う場合には,とにかく鮮度,そして迅速かつ適切な処理が肝要ということになりましょう。そして,サバを食うためにも健全なカラダを造っておくことです。“健全な味覚は健全なカラダに宿る”,ということもありますし。
なお,世間で“サバにアタリました”,というとき,アニサキスによるものと,ヒスタミンによるものとが混同されている場合も見受けられる。状況に応じて適切な処方を願う次第。あらためてサバのために言わせていただくと,「人間がちゃんと適切な管理をして食う限り問題は起きませんよ」ということで,宣言しておきますので念のため。
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さてさて,目前のサバに戻ろうではありませんか。これ以上の講釈はいらぬ。
今回のサバはまき網モノだから“最高”ではないにしろ,市場で大小サイズを分ける「選別機」に通す前に選んで抜いてきたものであるから,機械の振動による筋肉疲労も少なくて状態がいいハズ。
せっかく久しぶりの良サバですし,珠玉のサバ料理を数品ほど,ご紹介しておきましょう。まずは下ごしらえです。
【 サバの下処理 】
サバは,既に書いたように大変デリケート。筋肉の弾力をみるときでも首の付け根と腹の一部を指一本でチョンと触るだけだし,ちょっとした振動や,体温の熱,保存状態の温度変化などを嫌う。従って,できるだけ触らず,触るときには手を冷やし,包丁を入れる回数も極力少なく,速やかに下処理してやる必要がある。以下の如し。
①切れない包丁はサバの身に負担をかけるので,まずよく切れる包丁を準備。
②解体中にサバから血液がたくさん出るので,固く絞った清潔なフキンを用意。
③サバは魚体を触らず,シッポないし頭を持つように扱う。頭を左に,腹を手前に置いたら,胸びれの寸前で筒切りに首を落とす。切っ先から突き刺すように肩口に刃を入れたら,前ナナメ下方向に向かって,刃元まで使って軽やかに一気にズドンと切り落とす。力だけの,いわゆる“押し切り”になると身が傷むのでご注意。
④左手でシッポをつかんで腹が右に来るように回し,肛門から逆さ包丁を入れて上方向へ切り抜くと,包丁の切っ先に内臓の堅い部分が引っ掛かってくるので,そのままはずす。
(ただし例外として,後述するサバの味噌煮にする場合には腹を切らないほうがいいので,内臓が入ったまま5㎝程度に筒切りにし,その断面から内臓を抜く)
⑤引き続きシッポをつかんだまま,右手指で肛門付近につながっている腸の端と生殖巣をはずしとったら,切り開いた腹が上になるように持ち,流水,あるいは夏であればボールに張った氷水の中で,背骨沿いにある血合いを歯ブラシでスバヤクこすり落とし,速やかにフキンで腹腔内部および体表の水分を軽く押さえるようにして拭く。洗うときに握りすぎないよう注意。
※この水洗いのときに腹骨(肋骨)が身から離れているようであれば,既に刺身やシメサバには適さないということなので,加熱して食べるようにする。以上で第一関門突破,下処理完了。早速次の調理にとりかかりましょう。
1.生で食う
【 サバの刺身 】
サバを刺身にできる条件は,鮮度が良くて,身割れをしておらず,先述した「アニサキスが身に入る季節」でないことが肝要。中~大型の冬のマサバ,夏のゴマサバであればOKだ。いずれにせよポイントは,身を崩さぬよう,手早く的確におろすことだ。
①下処理して水分を拭きとったサバの背を手前に置き,切り口から背骨沿いに包丁の刃元を入れ,包丁全体を使うようにシッポへ向けて一気に切り下ろす。いわゆる“大名おろし”だ。このとき,“一気に”が肝心であって,包丁をギコギコと前後に動かすと身割れの原因となるのでご注意。下身も同様にし,三枚に。
②ペーパーで身ににじんだ血液を吸い取ったら,腹骨を包丁ですくい取り,皮側を下,頭のほうを右に置いて,骨抜きで小骨(血合い骨)を頭方向に向かってナナメ上方に抜いていく。骨がどのような方向でどの程度入っているかをイメージしながらやると上達が早い。逆方向に向かって抜くと血合いのある真ん中からタテに身割れを生じるので要注意。身の中ほどから尾にかけては小骨が短く柔らかいので取らなくてもよい。
この血合い骨とりは,骨抜きを使わずとも,身の前半の小骨が堅い部分だけを皮一枚残して溝状にV字に切り去る方法もあるのだが,一連の小骨の所在と方向を熟知していることが前提。またこの場合,わずかではあるが身の損失はいたしかたなし。まずは毛抜きでうまく抜けるよう,いろんなサカナで練習してみてほしい。
※ここで使う「骨抜き」もしくは「毛抜き」の品質は,ストレス無く速やかに作業を進める上で大切だと思う。ちゃんとしたものを入
手するのが望ましい。というのは,使ってみればわかることだが,いいかげんなモノでは,なかなか骨をしっかり掴めなかったり,途中で骨が折れてしまったりが頻発する。きちんと精密な作りの骨抜きは,髪の毛1本でもしっかりつかみ,かつ引っぱっても途中で切れない。先端部の挟む面の接触面積が大きく,すり合わせがしっかりしているからだ。そういうわけで,私の場合は日本橋「木屋」の一番上等なヤツを使っているが,やはり違う。
※また,骨を抜かなくとも,たとえば大型のサカナをサクにとるときのように,おろし身の真ん中をタテ半分に切って血合いと共に小骨を切り取ればいいのではないか,と思われるかもしれない。が,これをしないのにはワケがある。食べれば即座にナルホドと理解できることだが,サバの身の背側と腹側は,味が違う。背側はかすかな酸味を伴ったコクのある旨味,腹側は甘味を伴った脂の風味が主体となっていることに気づくはずだ。従って,めんどうでも小骨を抜いて,刺身一切れに背肉と腹肉の両方が付いている状態で食べてこそ,咀嚼するほどに,サバ特有の“じっくり旨く,優しく甘酸っぱい香り”が口中および鼻腔に立ち上り,気分は天国に近づいていくのである。この点,よろしくご理解願いたい。切り方ひとつで味が変わる,ということの一例。
③流水もしくは氷水で冷やして水気を拭いた手で,肩口から表皮を剥がしていく。体温を伝えぬよう身の触り方に注意しつつ手早くおこなう。
④皮側を下,頭方向を右に置き,シッポのほうから5㎜程度のそぎ切りとして皮目を上に皿に並べていく。皿をあらかじめ水に浸けて冷やして拭いておくことをお忘れなく。そぎ切りとするのは,舌に伝わる味のバランスが通常の平造りよりいいからだが,薄すぎたり厚すぎてはツマラナイ。
⑤あしらいはスライスして水にさらしたタマネギ,カイワレ少々など。そして,汁気をほどよく絞ったおろしショウガと醤油が合う。醤油はいわゆる“たまり”でもよい。甘いたまり醤油は万能ではないが,肉にかすかな酸味を伴う脂の乗った青ザカナ,ブリ類やサワラなどには合う。サバの刺身に伴う薬味は基本的にショウガであって,ワサビや溶き芥子などは,不思議とこれが合わぬ。
さて,せっかくサバ刺をやるのだったら,併せて次にご紹介する「塩ナマス」も,ぜひ味わっていただきたい。これはサカナの生身に塩をあてて暫く寝かせた生食い方法であるが,刺身以上にサバの香りと旨味を引き出す食べ方だと思う。サバ食いゴロシの一品だ。
【 サバの塩ナマス 】
①三枚におろしたサバを,シメサバを作るときの要領で全体に強めの塩を振り,皮側を下にして30~1時間程度,冷蔵庫に置く。塩の粒子がすっかり溶けて肉表面のヌルミが厚くなった頃合いが目安。
②流水ですばやく表面の塩気を洗い流し,ペーパーで軽く押さえて水気をキチッととる。あとは刺身と同様に腹骨をすきとり,小骨を抜き,皮を剥いたら身側を上にしてシッポの方からそぎ切りとする。
③この塩ナマスには,醤油はいらない。ガチンコのサバ味で勝負するのだ。薬味は,ショウガを細く針に切ったものを水にさらしてパリッとさせて水気を切ったもの。いわゆる「針ショウガ」だが,繊維に対してタテに細く長めの針に切るのがよい。面倒くさいと思うかもしれないが,これだけで味が違うのだから,いたしかたなし。これを箸でチョイとつまんで適宜サバの切り身に乗せつつ食うのである。塩によって凝縮されたサバの旨味とショウガの爽やかな食感と香り。このコントラストが実に鮮やか。サバ刺しやシメサバを食い慣れた諸兄も,この味には唸らざるを得まい。ホントのサバ味がするからだ。
※なお,上記のように塩をしたサバを,小口に5㎜程度に細く切り,これをスライスしたタマネギ適量と,少量のサラダ油,極少量の酒と共に和えておいても,これまた塩じめサバの和え物として,サッパリして良い。柑橘汁をちょっと搾ってもいいし,サラダ油の代わりにゴマ油少々をたらしても良い。ただし,ゴマ油を用いる場合,旨いとはいえサバの風味はゴマの香りでマスクされてしまうので好きずきだ。
【 シメサバ 】
塩したサバを堪能したとなれば,次はいよいよシメサバでしょう。
一般的に「酢締めのサカナ」とは,魚の切り身に塩を当てて水気を抜くと共に旨味を凝縮させ,酢に浸けて塩味を緩和すると同時に表面を殺菌・固化させた料理。
「締め鯖」は,夕方スーパーの惣菜コーナー専門のヤンキーママでさえ「サバといえばシメサバね!」と元気に明るく発声するくらい,サバの食い方としては代名詞格となっていますね!
しくみとしては,前出の塩ナマスを酢に浸けたのがシメサバ,ということになるわけだが,塩加減・置き加減・切り加減などが若干異なるところが“加減センス”の見せ所。では作り方を。
①三枚におろしたサバに表面にうっすら白くなるくらいの強い塩を当て,皮を下にしてザル上に30分置く。鮮度が良ければ塩の通りがいいので置く時間を短くするなど加減。ここまでは「塩ナマス」と同様。
②流水でスバヤク塩を洗い流し,ボウルに酢と水を6:4で調合したものをサバの身が半分浸るくらい注いでおき,この中で身の表面がわずかに白くなる程度,軽く洗う。これを“下洗い”といい,この酢は表面に水分と共ににじみ出た血液や生臭みを洗うものであって,漬け込み用には使わない。
③酢で洗ったサバの身を一枚ずつペーパーが隅々まで身に密着するように包み,ボウルに入れた少量の新しい生酢にくぐらせ,タッパーなどに30分置く。通常,酢に漬ける,というときに,サバ全体が浸かるくらいにたっぷりの酢が必要と思われているのであるが,これが勿体ない,と全国の主婦は思っているはず。毎日シメサバを作るわけじゃなし。そのとおり。そこで,ペーパーの毛細管現象の力を借りて最小限の酢で全体に酢を回してやる,という作戦だ。これだとムダがない。昆布の風味が欲しければ,あらかじめ酢の中に昆布の小片を放り込んで暫く置いておけばよい。
④漬け終わったら,ペーパーをはぎとり,あとは腹骨や小骨を取って皮をはぎ,切ればいい。ただし切り方が違う。刺身や塩ナマスでは「そぎ切り」としたが,シメサバは皮側を上にして頭方向から通常の平造りのように切ってゆくほうが,酢が当たって締まった部分と生身部分とのバランスが良いように思う。そして,小口切りとしながらも,薄く切ってこそ生まれる舌に伝わる味バランスと,口中で噛みしめたときのちょうどいいボリューム感を両立するには「八重造り」にしてやることだ。本来これは脂乗りが良くて醤油を弾いてしまうようなサカナ,或いは皮が旨いのだが堅いために口中に残ってしまうサカナの刺身などに対し,一切れの皮側に1ないし数カ所の切れ目を入れる技法である。慣れればカンタン。刃先で表面をツーッと撫でてやるように切れ目を入れればよい。一回おきに浅い包丁目を入れるだけのことだ。見たことあるでしょう? たとえば1㎝厚の刺身一切れの中ほど5㎜のところに1回浅い包丁目が入っているような状態。
⑤サバ刺の薬味にはショウガが適したのであるが,どういうわけかシメサバにはショウガが合わぬ。ワサビなのだ。なぜだろう,不思議だと思いませんか? この問題については,また機をあらためて記述せねばならないので,今回はこれまで。シメサバにはショウガではなくワサビだ。そして,甘いタマリ醤油も合わぬ。キリッと酢の利いた硬派なシメサバの味が,タマリではだらけてしまうのだ。甘くない生醤油がよろしい。また,他の旨味成分,カツオダシなどが入った醤油なども,サバ味を損ねるのでオススメしない。
結局,塩で30分,生酢で30分。これを千葉県南房総の漁師連中は「サンサン締め」と呼んでひとつのスタンダードとしている。かつて「サバのタモ掬い漁」があった頃からの慣習だ。
とはいえ,シメサバの“シメ加減”については百家争鳴,しっかりシメてこそシメサバだとか,生に近いシメ加減でないとワシャ食わんとか,うるさ型が大勢おられる。
その問題を追究するにあたり,方法が2つある。
①漬け込む液体の,酢と水の配分を調整する。
②水で割らない生酢を用い,漬ける時間を調整する。
①は,生酢:水を10:0から6:4くらいまで変化させて加減する。水の割合が増えすぎるとふやけてしまい臭みを生じるので注意を要するが,そこが加減というもの。このやり方は,鮮度の高いサバを生に近い味と食感で味わうには適している。
②は,表面はギュッと締まるものの,短時間すぎれば塩気と臭みが十分に抜けきらないし,長時間になると酢の浸透が早いので堅くなってしまう問題が残る。これらいずれにせよ作り手の判断次第だ。
総じてシメサバとは,塩・酢・水の加減を駆使した総合スキルなのである。まあ,いろいろやってみられることです。その先にあるのがそれぞれ“我が家のシメサバ”,ということになりますな,精進精進。
そしてシメサバ編の最後に,もうひとつふたつ変則的なことを申し述べると,通常,シメサバといえば塩と酢で締めるものと考えがちであるが,砂糖で締めてやる方法もあることをご存じだろうか。
生魚に砂糖を当てるとは違和感があるかもしれないが,思いのほかそんなことはない。砂糖は塩以上に浸透圧が高いので脱水効果が大きい。ところが,その効果は少々異なっており,砂糖は脱水しつつ細胞の結合を緩ませ,塩は脱水しつつ細胞の結合を強める。これは中国で言うところの陰陽の原理だ。
従って,砂糖を用いると,締まりつつも柔らかな風味・食感に仕上がるのであるが,味としては,個人的には軟弱でイマイチ。具体的な方法を書いておくと,砂糖で15分締め,流水で洗い落として塩で30分締めて,以下同様,ということで,たしかに優しげな味とはなる。細切りにしてちらし寿司に混ぜるときや,鯖寿司に作るときなどは,いいと思う。好きずきだ。
優しい味のシメサバといえば,酢が苦手な客に供する場合の酢味の緩和対策として私が採用する方法は,漬け込む生酢にミリンを少量,感じるか感じないか程度,垂らしてやることだ。これで酢のキツさ,すなわち“カド”がとれる。そしてこの手法は,次に紹介する「甘酢漬け」へと発展してゆく。
【 サバの甘酢漬け 】
しくみとしてはシメサバの延長にあるが,作業内容は若干異なる境港の漁師料理だ。
サッとできてサッと旨い。シメサバが一切れずつじっくり味わう料理であるのに対し,こちらはパクパク食えてしまう気安さと豪快さがある。
①三枚におろしたサバの腹骨をすき取って皮を剥ぎ,真ん中からタテに切って血合い骨を切りとる。
②小口からナナメに1㎝程度に切ったものをボウルに入れ,シメサバのときより少し少ない塩を当て,ザッとひと混ぜして30分置く。
③これを酢で下洗いし,ザルに上げて酢を切っておく。
④タッパーなどに生酢に対して1割の水を足し,そこに少しずつミリンを注ぎ,酢のカドが取れて若干甘めになったら,少量の薄口醤油を加え,これに③のサバを浸す。液体の分量はサバ身がヒタヒタと泳ぐ程度でよい。
⑤これにタマネギのスライスを水にさらさずに加えて混ぜ合わせ,最低30分冷蔵庫で寝かせる。これでタマネギの辛味もとれ,同時に香味が酢に移る。
シメサバが酒菜に偏って存立しているのに対し,これは飯の副菜としての役割も務めてくれるので,上戸下戸にかかわらず喜ばれる家庭の惣菜として重宝する。沢山作っておいて,甘酸っぱくキュンと締まったサバの切り身をタマネギと共にほおばり,皆の衆,食うべし食うべし。
たくさん作って余ったら,翌朝の飯で食えばいいのだ。3日間は美味しく食べられるし,漬かり具合が進むに従って変化する味わいを楽しむのも捨てがたい。フランス人が栓を抜いたワインの味の変化を楽しむようなものだ。朝食の湯気立つ白メシを眺めたとき,思わず,おい,きのうのアレ,まだ残ってたろう,などと,つい口に出てしまう。
なお,残った漬け汁は,汁が極端に濁らない限り,酢とミリンを適宜足しながら繰り返し使える。塩して同様に下洗いしたサバをタマネギと共に漬ければよい。漬ける前の下洗いさえちゃんとしておけば3回は使える。
【 参 考 】シメサバの欧米型流用について
サバは,見渡せば西洋諸国でも広く食べられている。ギリシャやスペイン,イタリアなどではそのまま塩焼き(グリルというのか)もあり,北欧には薫製あり,とまあいろいろだ。
日本のサバ食と違ってアチラ方面で共通しているのは,オリーブ油やハーブなどの香辛料,各種調味料や野菜と合わせることがほとんどである点だ。日本は基本的には素材単品勝負,アチラは合わせ技。意図するところは,やはり西洋人には好まれぬ青ザカナの臭みをマスクすることであろう。我々サカナ食いには,魚臭さも時には大切な要素のひとつなのだが。
そう言って思い当たるのが最近流行のカルパッチョ。この料理の真実については過去ログ「カルパッチョについて,ひとこと」で少し述べたところであるが,これの原理はよく考えたら塩サバとほぼ同じ塩と酸,これに油と香辛料が加わって構成されている。というわけだから,スライスタマネギを敷いた皿にそぎ切りにしたシメサバを並べて粗挽きコショウでも振って,オリーブ油をかけ回して食うのも,当然の如く悪くない。
料理上、和に出会いのモノがあるのだから,当然,洋にも出会いのモノがある。特に西洋の肉料理で感心するのは,フルーツ=果物との合わせ方だ。甘味と酸味と香り。日本にも柿などを使った和え物があるが,真っ向から魚や肉類と合わせることは,あまりない。西洋ほどに香りの強い果物の種類が多くなく,また,味が素朴なものが多いということもあろう。料理はその地の環境から生まれた所以だ。
サカナでいうと,特にイワシ・サバ・サンマなど青ザカナの味と果物の風味は,血の気が多い青ザカナと畜肉との相似性という意味で合わせやすいように思う。白身のサカナより強くストレートな脂のコクと旨味に,酸味を伴った果物の自然な甘味が意外なほどよく合うはずだ。たとえば三枚におろして軽く塩を当てたイワシの身に干しぶどうとパン粉を少量のオリーブ油で和えたものを乗せてコショウを振り,ハーブを乗せてオーブンで焼いたものなどは,サカナ味の真剣勝負とは言えないにしてもオツな味がする。かつてスコットランドで,サケの薫製とグレープフルーツのむき身を大振りにバラして和えたサラダが出され,その旨さに意表をつかれたこともあった。
だいたい生ハムとメロンが合うというのだから,塩を利かせた魚肉と果物が合ったとしてもおかしくはない。かといって,ナントカソースでございます,というのはいささかやりすぎの感があり,私の性分としては肌に合わぬ。
そこで,ささやかにやってみました。
マサバの季節に合った香りの果物といえば,リンゴだ。サカナ臭いウエカツには似合わぬ,とおっしゃることなかれ。ちょうど八戸にイカ船をもつ境港の船主さんからいただいた,いいリンゴがあったのだ。西野さん、またよろしくおねがいします。
●シメサバとリンゴのクラッカー乗せ
①酸味のある紅玉の皮を剥き,芯を除いてタテに5㎜程度の薄切りとし,薄い塩水に暫く放ったのち水気を拭いておく。
②プレーンのクラッカーにリンゴのスライスを乗せ,その上にサバ刺しの要領で同大にそぎ切りにしたシメサバを乗せ,その上にスライスしたタマネギを少量乗せる。
③これをたくさん皿に並べておいて,上から粗挽きコショウを振る。
これだけのこと。であるが,これが絶妙に旨い。
リンゴ特有の芳香と甘酸っぱさが,シメサバの酢の匂いと酢味のカドを相殺することによって肉の旨味のみを強調し,リンゴの自然な甘味とサバの塩味が見事に調和する。そこにタマネギが韮科野菜特有の野性味を加え,粗挽きコショウが総合味をギュッと締める。クラッカーと共に噛み砕くと,香ばしく焼けた小麦粉がこなれて全体をうまくまとめ,味の調和が更に進む。噛み進むとき見え隠れするリンゴの食感がまたよい。ただしリンゴの水気をしっかり拭いておかないとクラッカーが湿気てしまってつまらないのでご注意。
私は,けして最近の前衛料理家のように味さえ合えばなんでもいいというスタイルではないし,場当たり的で中途半端な合わせワザはむしろ害だと思っているが,その旬が合致しており,風味が合い,季節感が創出される限りにおいて,通念意外の料理にも手を出すことがある。そんな中から,ポツリポツリではあるが,定番となる料理も生まれるというわけだ。
それにしてもサバとリンゴ,これホントにいいですぞ。サケの薫製でやるよりも各段上の味です。上品な仕上がりの割には白い皿にほんのチョットなんてこともなく気取らずに食えるし,しかも洋酒に合うので言うことナシ。サバでウイスキー,サバでワイン,大変結構ですな。
【 サバの琉球 】
刺身に始まり,ここまで味を複雑にしてきたところで,もう一歩進めた生食い料理をご紹介しておく。大分県の郷土料理であって,技法分類としては“ヅケ”の一種である「リュウキュウ」だ。これについては過去ログ「アカミズ三昧」で少し書いたと思う。
大分なのに「琉球」とは,これいかに。この技法が琉球の漁師から伝わったのでこの名アリとは一説であるが,類似する料理といえば,過去ログ「アカミズ三昧」で書いた,愛媛県の「さつま」や豊後水道版「鯛飯」,それに海賊料理が原点と言われる「日向飯」。いろいろあるにせよ,地理的には南方の沖縄からの伝播と考えるには飛び石状態もいいとこ。もっと途中の地,たとえば鹿児島や宮崎などに名残があっていいはずでは?。ということでこの料理の名称および来歴については引き続き考察を要すところ。
大分の佐賀関あたりの漁師に尋ねれば,そもそもリュウキュウとは,醤油に砂糖を溶き,刻んだネギとすりゴマを加えたところに刺身を漬けただけ,という返事であり,漁師料理であるかぎり凝った料理はあり得ないにせよ,はたしてそれが原点なのかは定かではない。そこで,ワタクシ流のリュウキュウの作り方は,以下のとおり。これを食った大分の漁師は,旨いとしつつも「ずいぶん高級なリュウキュウだな」と述べたのがおかしかった。特に大幅な変更はしていないのだが,やはり本来はもっと素朴な味なのだろう。
①サバを,既に述べた刺身の作り方と同様に削ぎ切りしておく。
②醤油にミリンを少しずつ加えていき,塩味が丸くなったところで止め,日本酒をごく少量加えておく。総分量は刺身がヒタヒタに浸かる程度。
③小口に細く刻んだネギと,大葉の千切り,たっぷりの白すりゴマを加え混ぜ,サバを投入して20分ほど漬ける。子供がいなければ,漬け込むときに七味や一味唐辛子を少々振っておくと,更に風味が増す。漬け上がりの目安は,切り身の肉の表面に飴色の透明感が出た頃合い。
④漬け上がったら,目の細かいザルに入れて,軽く余分な汁気を濃しとる。これは漬かり過ぎを防止するため。
これは,そのまま食べて酒の肴にもいいが,すりゴマやネギがすっかりなじんで絡まったままの刺身の幾片かを熱い飯に乗せて,あるいはその上に熱湯ないし熱いお茶をかけ回して,ガガガっと掻き込むのが旨い。そっと乗せて一呼吸置いて、ガガガっと。この緩と急も味のうち。本来のリュウキュウには入れないという大葉を刻み込むことにより,飯と合わせたときの香りの立ち上りが,ちょっといい。この、ちょっとした違いが格段にいい。
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2.加熱して食う
さて,次は加熱調理の部に移ろう。
サバの肉は,生→調味→加熱,に従って,別の旨味を見せてくれる。“溶け出る旨味”から“噛みしめる旨味”への変身だ。やるねえ,サバは。まるでサカナ味の万華鏡だ。
【 煮サバ 】
サバの煮たやつといえば,三枚におろした皮目が濃い煮汁に洗われてしっとりつやつやの醤油煮と,プンとショウガの香りがして,こっくりほっくり湯気を立てる滋味深い筒切りの味噌煮,この二つにつきますなあ,いやはやなんとも。
まずは醤油煮のほうからいきますか。
●サバ醤油煮
サバ醤油煮のコツは,一気に加熱してアクをとり,一気に濃いめの味で仕上げること。結果として,中はみずみずしく,外は濃厚,その合わせ味が醍醐味だ。あまり煮込んでしまってはそのメリハリが失われるので勿体ない。かといって,濃い煮汁でサッと煮ただけの,いわゆるサッと煮では,ジューシー感はあったとしても,こんどは“肉の香ばしさ”が出ない。ここのところが,試行錯誤の中でつかみたいところ。
①下処理したサバを二枚(上身は骨なし,下身は骨付き)ないし三枚におろしておく。三枚におろしておけば,頭と中骨を使って汁もできますね(後述)。家族の人数に応じて適宜切り分けるが,それぞれの身に切れ目は入れない。
②平鍋に酒と水を2:1に割って強火で沸かし,アルコールが飛んだら砂糖で甘めに調える。とはいえ,あとでミリンを加えるのでその分を勘案すべし。総分量は,鍋の形状と大きさにもよるが,サバを入れたときに身の半分が浸る程度。意外と少なめです。
③強火のまま,皮を上に,互いが触れないようにサバを並べ蓋をする。温度が急激に下がると生臭みに通ずるので,一切れずつ一呼吸の間をおいて入れていく。
④強火で熱しつつアクをとっていき,濁っていた煮汁が澄んだら火は引き続き強火のままで,そこに濃い口醤油を加えていく。のだが,だいたい3回に分けて最後の味を決めるカンジとし,初めから一気に十分量の醤油を入れないこと。一度に塩分濃度が高まると表面が急激に脱水されて堅くなり,味がなじみにくく,表面だけが塩辛くなりやすいからだ。一回注いで再度沸くのを待ち,同じようにして更にもう一回,最後にもう一回。そして再度煮立ったらミリン少々を注ぐ。煮汁の味を見て,その家庭なりの“濃いめの甘カラ”,であればそれでよい。①から④までで約10分ほど。
⑤ここまで来ると煮汁に粘性が高まり,強火のままであれば盛り上がるように泡を生じてくるので,吹きこぼれない範囲で泡がサカナの表面を洗うように火を微調整する。ガラス窓のついた蓋であれば蓋をしたまま見ながらやればいいし,アルミホイルに穴をあけて作った落としぶたをするのであれば,それが少し浮き上がる程度の加減でよろしい。サバの皮目を煮汁の泡が洗っていく感じ。要は,「泡で炊く」のだ。この感じをつかんでほしい。
⑥皮オモテが,つややかな飴色となったら完成。皮をそっと指先で触るとムッチリとひっつくような煮上がり。皿に盛り,煮汁を少しかけ,そのままでもいいが,水でさらした針ショウガや白髪ネギのあしらいなどでも相性がいい。だいたい15分ほどで完成だ。
●サバ味噌煮
同じサバの煮物なのに,醤油煮とはいささか趣きが異なる。醤油煮がスバヤク煮上げて素材と煮汁の味の輪郭を際立たて,その合わせ味を味わう手法なのに対し,こちらは骨ごと煮込んだ時に出てくる渾然となったまた別の旨さを味わう料理だと思う。従って,素材の切り方も違ってくる。
①醤油煮のときのように2ないし3枚におろしてもいいのだが,醤油煮のように比較的短時間煮る一般的な味噌煮ならばこれでもよい。しかしここでは,じっくり煮込む流儀なので,できれば「筒切り」にしていただきたい。サバの首を落としたら,肛門のすぐ前で一カ所切り,前半後半をそれぞれ5㎝程度に切り分ける。身が崩れないよう,切っ先から刃元までを使って一気に切り抜く。
②切った断面から内臓を抜き,手早く血合いを歯ブラシでこすり落とし,流水でサッと洗って水分を拭いておく。
③深めの鍋に酒と水を1:1で割り注ぎ,ここにショウガを皮付きのまま3㎜厚に切って多めに加える。沸かしてアルコールを飛ばしたら,砂糖を若干甘めになるまで加える。ここにサバを入れていくわけだが,このとき,皮がやぶれないよう鍋底につけないことが大切。つまり筒切りしたサバをタテに置くのだ。このための筒切りなのだ。煮汁の分量はヒタヒタよりちょっと少な目くらいでよい。
④強火のままアクをとっていき,汁が澄んだ頃合いを見計らって,濃い口醤油を,感じるか感じない程度,チョロッと加える。これがコク味の基礎を支えてくれる隠し味となる。
⑤再沸騰したら,煮汁をボウルにとって味噌を溶き,これを鍋に戻す。優しい甘さで濃厚な味に仕上げるわけだが,最初は味を見ながら,少しずつ加えていけばよい。何回か作れば,はじめからだいたいの量がわかってくる。その点,毎日の味噌汁と同じナリ。
※使用する味噌は好きずきであるが,私は九州の麦味噌を使っている。白と赤を2:1くらいで合わせたも味噌でもいい。いずれにせよ,それ自体に味があって白のもつ甘さと赤の持つコクと渋みがバランス良く備わっていればよい。田舎味噌のように特有の発酵臭を有するもの,あるいは信州味噌の辛口などは,出来上がりの味にクセやトゲが出るように思う。味噌のような基本調味料は,各家庭の味があるので,いろいろ試してみられたらよい。
⑥ひと煮立ちしたらミリン少々を加え,中火に落とし,ポコポコと煮続ける。その間,ゆっくりと煮汁をサバにかけながら世話してやってくださいまし。
⑦煮上がりの目安は,サバ肉の断面が脱水してうっすらとへこんだあたり。この頃になると煮汁はかなり粘性を増しているはず。かけた煮汁がサバに絡みつくようになったら火を止める。ここで蓋をし,数分間冷まして出来上がり。これによってグッと味が落ち着いてくる。このやり方だと,完成までだいたい30分ほど。
この煮方だと,醤油煮のようなジューシーさはないものの,筋肉が絹のようにほぐれてしっとり噛みしめる旨さが味わえる。冷めても旨いし,日持ちもする。アナタがどちらをとるか,だ。
このまま食べてもよいが,白髪ネギやさらしネギを盛って食うのもいい。よく針ショウガを盛って出すことがあるが,ショウガは既に入っているではないか。皮付きショウガのスライスを一緒に煮ていましたね。
これが,実は旨いのです。骨付きサバと味噌の旨味を十分に吸って煮上がったショウガ。皮付きで厚めにスライスして多めに入れておいたのは,実はこれを食うため。つまり,ここではショウガは臭味消しではなく,立派な“炊き合わせ”の素材であるということ。サバ・ときどきショウガ,という感じで食い進めるわけです。サバで酒,ショウガで飯,というのも,いいですねえ。じっくり煮て,じっくりお楽しみ下され。
さて刺身も煮物もできました,というところでカラダを潤す汁を作っていきましょうか。
刺身や煮物で出たアラを使ってやるのです。
【 サバの塩汁 】
サカナの塩汁で代表的な郷土料理に「じゃっぱ汁」「三平汁」「船場汁」などがあるが,「じゃっぱ」はタラなどのアラを使ったもの,「三平」は,本来糠漬け塩ニシンを使ったもの,「船場汁」は,日本海で獲れて塩され関西に運ばれた塩サバのアラを使った汁。共通しているのは,強い塩をしたサカナの旨味と塩味を利用した汁であること。ここで紹介するのは,船場汁に最も近いが,三陸の漁師などは同じものをサンペイと呼んでいる。塩サバでやるのも味があるけれど,たくさん釣れちゃった小さなサバや,生食いして残ったサバのアラを塩して用いると,これまた各段に旨いのだ。料理のしくみは過去ログ「もうひとつの塩煮」で紹介した九州型の塩煮と同じ。要は,きつめの塩をして置き,湯で煮出して旨味と塩味を引き出す,というやり方だ。
古来より福井県若狭で獲れた見事なサバを,背割りに開いてひと塩あてて,馬の背に積んで京都に至った「若狭の塩サバ」。この旅の道は,言わずと知れた「サバ街道」と呼ばれて今日に至る。京の都は,旅の間にほどよく塩がなじんだこのサバを,甘めの酢飯と共に型に押して,天下の美味「鯖寿司」として賞味した。
まさか,京都で作ったサバ寿司の残りアラが大坂に運ばれ船場汁となったわけでもあるまいが,大坂商人の倹約だけでない合理的な旨さの追求ぶりがうかがわれようというものだ。
①サバの頭はタテに半割にし,身や中骨は適当ぶつ切り,ボウルに入れて全体に強めの塩をまぶしておく。置く時間は,最低30分,長い場合は一晩冷蔵庫に置いてもよい。まぶした塩が溶けて,身の表面がヌルヌルしてくれば,もうそれでいい。あまり長く冷蔵庫に置きすぎると脂の酸化臭を生じるので要注意。
②鍋に水を張り,3㎜程度のイチョウに薄切りした大根およびニンジンを入れてアクをとりつつ強火で茹でる。長ネギを入れてもいいが,甘味が出すぎればサバにはあまり合わないように思う。
③野菜に火が通ったら,サバを入れ,そのまま強火で沸かしつつアクをとり,スープが澄んだ時点で火を弱火に落とす。
④味をみて,塩気が足りなければ塩を足していき,もうちょっと足りないかな,というところで薄口醤油少々をたらして完成。吸い口として山椒や柚皮,ショウガやコショウなどを使う人もいるが,私は何も足さない。少し変化が欲しければ刻みネギを少々。基本的にはサバの風味と野菜の甘味だけで味わうのを良しとしている。
しごくカンタン,きわめて滋味。
なのであるが,この汁,まさに“煮えばな”が勝負。時間がたつほどに刻々と味が落ちる。まして翌日にもち越しするなど,これはいけない。江戸っ子じゃないが,宵越しのサバ汁はもたねえということにしていただきたい。風味が落ちればショウガやネギなどを入れなくてはならぬ。かといって入れればサバの旨さを純粋に味わえたとは言えぬ。人数分作って熱いうちに食べきって終わり,としていただきたい。適切な処理と食べるタイミング,これさえ押さえておけば,サバは生臭みなど微塵も感じさせない。仮に生臭いと思ったら,サカナ選びから下処理,調理の過程でどこかが間違っていたと振り返るべき。あるいはそもそも実は自分はサバ味が好かぬのではないかといった疑問も検証する必要があろう。でもそんな人にはあまりお目にかかったことがない。悪いねあたしゃサバアレルギーですという方にはごめんなさい。
さあ,もう本日のオカズは十分揃った。え,まだサバがある?
それではおいしい保存食を作っておきましょう。
【 おいしい自家製「塩サバ」 】
最近は,塩サバといえばノルウエー産の大西洋サバが当たり前になってしまったが,国産との違いがおわかりであろうか。背の模様が違いますねえ。虫食い模様になっている国産鯖に対し,ハッキリとひらがなの「く」の字状に模様が入っているのが大西洋サバの特徴。今や,北陸の郷土保存食用糠漬けである「へしこ」や,各地に在するシメサバや鯖寿司なども,大西洋サバを使うことが多くなってしまった。脂の乗りはアチラが勝ることがあっても,身肉の,思わず噛みしめてしまう味わいは,コチラのマサバならではのこと。
それにしても国産塩サバは,特に都会のスーパーあたりではなかなかお目にかかれない。見つけても,裏書きを見るとなんやかんやと添加物が添加されていて,誠実に作られた国産塩サバは,今やちょっとしたブランドだ。かといって自分で作るとなると,塩加減をどうするか,といった問題もあろう。
前出の若狭の塩サバを作る工程を見ていると,ゴム手をはめたおばちゃん達が開いたサバにバサーッとぶっきらぼうに塩を振っているように見えるが,品質は全て安定しているわけだし,その加減が長年の経験をもって絶妙なのである。サバに塩振ってウン十年の手練れの技をご家庭に,というノウハウがあればウレシイが,そうはいくまい。真似して直塩した挙げ句,だいたいは塩辛くなりすぎて,小さな我が子に食わせるにはちょっとね,という事態が生じるであろうし,かといって,まんべんなく塩をいきわたらせることのできる「立て塩(塩水に浸ける)」では,サバの旨味は逃げるし,水っぽくなってしまうので干さねばならぬ。となるとこれはもう干しサバであって,塩サバではない。そのへんの問題をなんとかクリアしたいと思いませんか?
そんなアナタに朗報です。ご家庭で,誰でもカンタンに作れて,しかも塩加減絶妙な塩サバの作り方を伝授いたすので,聞き漏らされることなきよう。
①下処理したサバを三枚におろす。骨や頭はサバ汁用に塩をしておけばよい。
②おろした身ににじんでいる血液などを流水でサッと流し,ひとふりして軽く水気を切り,これをキッチンペーパーで一枚ずつ包む。若干の残り水分でサバの身にペーパーが張り付いた状態。くるんだペーパーの表面がわずかにしっとりしているのが理想的。
③ペーパーの上から両面に軽く叩きつけるように粗塩を当て,すぐに余分な塩粒を払い落とす。ムニエルや唐揚げをするときのように,余分な粉をはたき落とす感じ。この時点でペーパーの表面にはザラザラと一様に塩粒が付着している状態。
④このままタッパーの中に,背側の身が厚い部分が下になるようにタテに並べていき,冷蔵庫で一晩置く。夜に作れば翌朝から食べられるが,寝かせるほどに塩が浸透し脱水していくので,好みの段階でペーパーをはがして一枚ずつラップでくるんで冷凍しておけばよい。冷蔵庫のチルドで風味が持つのは3日間まで。冷凍のサバは解凍することなく,そのまま中火で身の側から焼けばよい。
これは,和食界で言うところの「紙塩」の技術を粗雑に用いたものだ。直塩では強すぎるし,かといってタテ塩では水っぽくなる,というとき,全体にまんべんなく穏やかに塩を当てたいときに,サカナに貼り付けた和紙に霧吹きをかけ,そこに振り塩をするのだ。本来の技法はもっと繊細なのだが,家庭で大量の塩サバをいちどに作りたいときなど,三枚におろしてサッと洗ってペーパーでくるんで塩当てて払い落として冷蔵庫にポン,で完了。紙塩の要件を満たしているから体裁は別にかまわんのである。
このやりかたで作った塩サバは,出来上がりは表面付近の身肉がキュッと締まって,焼けた皮がパリッと黄金色で,中身はありゃまあと思うほどみずみずしい。噛めば肉汁がジュワリとほとばしる。身の側から7割,残り3割を皮側から焼き上がるのがコツ。
そして、このような塩サバには醤油がいらない。そして,オトナの皆様に申し上げておくが,いちど,とにかく何もつけずに“ワサビだけで”食べてみてほしい。これは,良く仕上がった干物や,塩加減が上手に焼き上がった焼き魚をワサビだけで食べるのが旨いのと同じ理屈だ。
こんなのを普通の塩サバだと思って朝から焼いてワサビで食べた日にゃあ,ああもう今日は会社なんか休もうか,一杯これからやっちゃおうか,てなことになってしまうわけでありますから,いささか問題アリか。
●塩サバを茹でることについて
ついでながら書いておくと,塩サバは,なにも焼いて食うだけが味ではない。「茹で塩サバ」,あえて料理名をつけるならば,すなわち「塩サバの湯煮」もなかなかにイケるものなんである。ノルウエーの塩サバでも,こうするときつい脂と酸化臭が抜けてちょうどよい。沸騰した湯に塩サバを投じ入れ,火が通ったところで皿に取り出し,水気を絞ったたっぷりの大根オロシと醤油で食う。
焼き塩サバが,脂の乗った皮目の焦げで香ばしく欲望を刺激するのに対し,茹でた塩サバには,「ある夜ふけ 塩サバを茹で 独り食うわれ」,といった“静寂味”があるように思う。天の高みから見下ろすお月様の青い光と,手持ちのコップに満たした一杯の冷や酒が,疲れた心を静かに癒してくれる秋の一幕だ。
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さてと。
ここまでは,“サバ丸出し”の味,いわば源泉を味わう料理であって,これぞ真のサバ味を伝える王道なわけであるが,サバ料理も世間にはいろいろあって混乱する中,特にこれはサバならばこそと納得させられる,少しだけ手の込んだ料理を3品ほどご紹介。凝ったといっても外国の基本料理の範疇だ。中,伊,印,でいこう。
【 サバの水餃子 】中国
私は学生時代,祭りがあると,手作り餃子の屋台,水餃子であるが,これを相棒とゲリラ的にやって,けっこう稼いでいた。稼いだ金は,ビールで冷蔵庫を毎日いっぱいにしたり,普段食えない旨いモンなぞダラダラと食い漁って,今を思えばくだらんことに使ってしまったと反省しているのであるが,なかなかに楽しい日々ではあった。
さておき,最初の頃はスタンダードな豚肉と白菜にキャベツ,ニラ,シイタケなんぞを合わせた具でやっていたのだが,本場中国ではいろんな具があるのだということで,次に作り始めたのが鶏肉とシイタケとネギの餃子,そしてエスカレートして,私のダイスキなサバをネギとショウガに合わせた餃子,これら三部作を提供するに至った。当時は塩サバを使っていたと思う。
豚肉,鶏肉,サバ,と,3種類の水餃子を看板に売りだしていったのであるが,だいたい客は3種類注文して食べる。その結果,まずサカナッ食いであれば,もう他のはいらんからサバだけおかわり,となる。そして“非”サカナッ食いの場合,え?サバ?ちょっと生臭いんじゃないの?ムシャムシャふーんナルホドね。じゃおかわりもうひとつ試してみようかな。となるのである。いずれにせよ食うのじゃないか,スナオに食え,と言いたい。見よ,これがサバの実力。このように,サバの餃子はヤミツキになる味なのだ。包む皮は当時留学してきていた中国大連のオトーサン直伝だ。
ともあれ,ご家庭で,ちょっと作ってみませんか,別にサバでなくてもいいから。要は,皮で包んで茹でればいいんですから。でも奇抜なのはご勘弁。とり合わせの相性を考えて。
かの中国では,餃子は年の暮れに親族が集まったときにみんなで皮から作ってみんな包んでオカーサンが茹でて,山盛りにして腹一杯食う。そして,数百個の餃子のうち何個かの中には銅貨が入っており,それに当たった者は,その年ずっと幸運なのだとか。いい話じゃないですか。
まず,中に入れる具から先に作っていきましょう。
①サバは三枚におろしてタテに切って小骨を切り除いてサイコロ状にコマ切れにし,長ネギ及びショウガのみじん切りと混ぜ,これに塩とゴマ油少々を加えて軽く包丁で叩いてまとめておく。
②ボウルに入れて軽く練ったら押さえつけて空隙の空気を抜き,冷蔵庫で味がなじむまで寝かせておく。練りすぎると出来上がりがカマボコのようになってしまってつまらないので注意。細かく切った筋肉の繊維がつぶれていないくらいが丁度良い。
具材のとり合わせは,もっと野菜ッ気がほしければ,みじん切りにして水分を堅く絞った白菜を加えてもよいが,加えすぎると加熱したときに水気が出てきて生臭みを生じる原因となる。また,ショウガも,効かせ過ぎは風味がきつすぎるのでご注意。
次に皮を作ろう。
③強力粉と薄力粉と水を3:1:1でボウルに混ぜ合わせ,よく練る。堅さは耳たぶ程度となるよう,水加減は適宜。良く練って表面が滑らかになってきたら,ゲンコツ大にまとめ,表面が乾燥しないように固く絞ったぬれぶきんをボウルにかぶせて1時間ほど寝かせる。この作業によって,生地に粘りと腰が出るのである。
④中華料理やならば麺打ち台などがあるのでしょうが,ウチにはない。食卓をそのまま使うわけにもいかぬ。で,どうするかといえば,コタツの天板を持ち出し,表面を濡らしたフキンで拭き,乾かぬうちに,ここに切って開いた大きなゴミ袋(ナイロン質のものがよい)をピッタリ貼り付けて使用するとズレず汚れずで具合がよいのである。台の表面を濡らしすぎても乾きすぎても,ピッタリは張り付かないので,そのへん加減されたし。
⑤台の表面に薄力粉で打ち粉をし,両手で粘土細工の要領で,寝かせた生地を直径3~4㎝の棒状(ヒモ状)に長くする。これを1~1.5センチほどに包丁で切ったそれぞれが皮1個分。当然ながら皮の大きさは,ニョロニョロにする太さと切る幅で決まってくるので調節すればよい。
⑥切り分けた皮一個分を断面を上に置き,広げた手の掌の真ん中で押しつぶす。そして,丸くつぶれた生地の外側から中心へ向かってギュッと麺棒で延ばしていく。麺棒は細めがいいので,大勢でやるときは塩ビ管をノコギリでちょん切ったものを用意すればいい。さて,皮を延ばすとき,一回中心まで延ばしたら,左手で皮の向こう側をつまんで右回りに少し回してやる,そして次の一回を延ばし,という具合にくり返し,4回程度で,丸い薄い皮になれば完成。別に,厚くたってイビツだって構わない。うまくできれば周りから中心に向けて押し延ばしていった結果,皮の真ん中に小さなおへそのような厚い部分ができているはず。この歯ごたえがまた旨いのである。さあ,誰が一番上手にできるかな?
⑦できあがった皮に,具を包む。左手に皮を乗せ,小さじで具を乗せたら,まず皮の向こう端に手前端を重ねるように向こう側に半分に折る。そして,左右から皮を寄せてきて手の指を組むようにした中に餃子を持って,交叉させた両手の人差し指と指圧するようなかたちで揃えた親指の間で,ギュッと挟んで,口を閉じてやる。中の空気が抜けるように気配りをよろしく。ワカルカナ? 市販の皮と違って,水をつけなくてもくっつきます。市販の焼き餃子のようにヒダヒダをつける必要もナシ。ただし,入れる具が多すぎると皮が破れてしまうのでご注意。
⑧包み終わった餃子は,互いにくっつかないように打ち粉をしたバットに並べておく。
さあ,準備ができたら茹でましょう。
⑨大きめの鍋に湯を沸騰させ,お玉でゆっくりと水流を作ってやりながら,餃子を投じていく。この間,ずっと強火でよい。一回に入れる個数は,鍋の表面に餃子が浮いたときに重ならず一様に分布する程度。
⑩湯が吹き上がって餃子が浮いてきたら,差し水をコップに1杯注ぎ,ひき続きお玉でかき混ぜていく。いったん餃子が沈みますね。
⑪再び餃子が浮いたら,再度差し水を。そして,次に餃子が浮き上がったときが食べ頃。小さい餃子に作った場合は,差し水を一回して次の吹き上がりで完成。大きさにより差し水~吹き上がりの回数を調節するわけだ。茹で上がりの目安は,餃子の皮の縁が半透明になった頃合い。目を離せない勝負どころ。
⑫茹で上がったら皿にとって熱々を各自小皿の各種タレに浸して食うわけだが,シンプルに酢醤油にゴマ油ないしラー油少々を垂らして食うのが最上と思う。ほかは各家庭でご随意に。
このようにして次々と茹でて,ムシャムシャと,腹一杯,食ってくだされ。
焼き餃子のような面倒もいらず,大量にどんどん作って,居合わせる皆が幸せになってゆくのが,水餃子のいいところなのであります。みんなで作った餃子は,そりゃおいしいよ~。
次はねえ・・・。
たとえば休日の昼下がりなど,ちょいと洒落て,サバを使ったスパゲッティーなどいかがでしょうか。できれば前の晩にソースだけ作っておくのがいいな。
【 サバのパスタ 】伊太利亜
スペイン・イタリアは,欧米諸国に属する中でも秀でたサカナッ食いカントリー。サバのパスタがあるのです。と言っても実際にアチラで食べたことはないので,あるらしいのです,というのが正確なところであるが,これが自己流にやっても十分旨い。要は,アチラの料理の構造を理解していけば,何とでもなる,ということ。ここで紹介するのは,いわばサバのボロネーズ,すなわちミートソースだ。生サバでなくとも塩サバでやってもよい。
①サバは三枚におろし,タテ半分に切って中骨を切り除き,1~2㎝程度のサイコロ状に切り,軽く塩を当てて味がなじむまで暫く置く(塩サバは塩をせずにそのまま用いてよい)。
②深手のフライパンないし鍋にオリーブ油をゆるやかに熱し,ニンニクのみじん切り少々とタカノツメ1本で香りが出たら中火にしてサバを投入し,粗挽きコショウを振って炒め,ここにワインもしくは酒少量を注いで煮立たせアルコールを飛ばす。
③ここに5㎜程度にクシ切りにしたタマネギをざっくり加えてしんなりするまで炒めたら,トマトを摺り下ろして加える。竹で作った「鬼おろし」があると作業が早いので重宝する。トマトの旬からはずれた時期であれば,市販のトマトピューレやトマトソースの瓶詰めを用いても可。
④強めの強火で煮立たせアクを取り終えたら,塩で味加減し,月桂樹の葉を一枚加えてそのまま弱めの中火で煮詰めていく。好みでバジルやオレガノを少量振っておいてもよい。水分が蒸発してドロッとなってきた頃に味をみたとき,“ほんのちょっと塩気が足りないかな”,と思うくらいに味を仕上げておく。ここできつめの塩気を入れてしまうと,食べ終わりの時点ではかなりきついと感じるハメとなる。濃い味が特に好きな方はその限りではないが,およそ麺類のダシやソースの塩加減は,食べ終わったときに味の充足感が満たされる程度とするのが丁度良いように思う。かといって,単なる薄味では物足りない。そこが見極めのセンスというものだ。丁度良さってどんな良さ? こういうところにこそ果敢に挑戦してみてほしい。
⑤うっすらと芯が残る程度に塩水で茹で上げた好みのパスタの水気を切り,オリーブ油を薄くひいたフライパンを熱したところに投入し,ひと炒めしたところで④までで出来上がったソースを適量かけ回し,あおって絡ませたらひと呼吸置いて火を止める。これで完成。
粉チーズをかけても差し支えなく合う。
先述したシメサバとリンゴの取り合わせといい,このサバパスタといい,西洋風にアレンジしたとたんに洋酒が合うようになる。広範なサカナの中でもサバでなくてはこの味が出ない,という料理は多いものの,畜肉の料理をサバでやってもナカナカに合うところをみると,サバ肉が,サカナとしての主張を保ちつつ,畜肉にも通ずる血液および旨味バランスをもっているということなのだろう。
そして,最後に紹介するのがサバカレー,これぞ異国版サバ料理として秀逸な一品。
【 サバのカレー 】印度
およそサバほどカレー風味と合う魚もあるまい。不思議であるが,試してみられたらよい。イワシでは生臭みが勝るし骨がましい。アジやサンマなどでは筋肉繊維が頼りなくコクが足りぬ。マグロでは味と筋肉はしっかりしていてもバサバサ感が否めず大味となる。南洋の島モルジブあたりではカツオのカレーが定番であるが,味はマグロ寄りでキメが粗くて食い飽きる。タラを使ってあっさり仕上げてもいいのであるが,なにやら物足りないのでほかのダシなど入れざるを得ない。あえて対抗馬を挙げるならばブリあたりか。とはいえやはり,総合点でサバには勝てぬ。
これまで何度やってみても,結局サバに帰着してしまうのである。迷宮に入って辻に立ついろいろな人物にいろいろなことを教わったけれど結局元に戻りました,という感じでサバに戻ってくる。これこそ「サバでもできる」ではなく,「サバでなければいけない」ということなのだ。いやホント。ウソだと思ったらやってみて。
要は,サバのもつ特質,あの太さに対する断面積と筋繊維の質,そして皮側にある脂と肉の旨味とコク,多すぎない骨の所在と数など,ぶつ切りや半身にしたときの総合的なバランスが,カレーと相性が良い。何よりも,カレー味に負けない味のパンチを備えているということだ。
我が家では,サカナのカレーといえばサバであるが,十数年前に,まき網大国:千葉県銚子の加工業者が「サバカレー」の缶詰を売り出して,今も続くヒット商品となっており,道の駅なんかで売っている。缶詰としてはけして安くはないのに売れている。イワシカレーも併せて販売しているが,やはりコチラはたいした味ではない。ワタクシとて振り返れば,サバカレーでひと山当てることもできたのではないか,などと妄想するも風の彼方。いずれにせよ,缶詰にそんな金をかけずとも自家製が十二分に旨いのだから,せっせと自宅で煮込むこととなる。
というわけでサバカレーの作り方を。これも生サバだけでなく塩サバを用いてもOKの料理だ。ただしカレーの本場,かのインドでこのようなサバを使ったカレーがあるや否や,それは存じ上げぬ。
①サバは二枚におろして3~5㎝幅に切り,塩・コショウを振って表面に水分がにじみ出るまで暫く置く。骨がイヤだという人は,つまらないが三枚におろして身だけ用いても結構。ただし出来上がりの味わいが減じるのはいたしかたなし。
②サバは全体に軽く塩をして30分ほど置き,薄力粉をまぶし,フライパンに多めに熱したサラダ油で深めのキツネ色になるまで中火で焼き上げ,別皿に取り置く。粉を無駄なく使うには,スーパーの袋に少々の小麦粉を入れ,ここに切り身を放り込み,空気で膨らませてバタバタ振る。これでまんべんなく粉がつくし,余分な粉も落ちる。
③サバの脂香が残っている同じ鍋の3分の1のと多めのタマネギをみじん切りにして入れて弱火とし,ゆっくり炒め,飴色になったところでカレー粉を加えて更に炒め,香りが立ったら水を注ぐ。炒めるときタマネギと共にニンニク及びショウガのみじん切りを加えてもよい。
④ニンジン,ジャガイモ等,日本型カレーライスの定番野菜を小さめの小口に切り投入し,しっかり火が通るまで煮る。
⑤野菜に十分火が通ったら,取り置いたサバを投入し,中火にしてアクをとりながら煮ていく。煮進むほどにサバを包んだ香ばしい小麦粉が溶けだしてとろみがつくし,サバからはダシがにじみ出てくる。ここで塩と少量の薄口醤油で味を調える。市販のカレールーを用いる場合には,調味料は加えず,ここで火を弱火にしてルーを加える。
⑥そのまま弱火で,時々かきまぜながら煮詰めていき,最後にもういちど確認して完成。
多くの畜肉を用いたカレーが,出来上がりから一晩寝かせたほうが味が落ち着き旨さを増すのに対し,一般的にエビやイカ,貝類などの海鮮カレーはできたてが旨く,寝かせると具材が脱水してバサつくようになる。が,サバの場合,畜肉に近いためか,寝かせて翌日も,更に旨くなっているので大変よろしい。
こうして書いている間にも,何やらムラムラと食いたくなってくるサバカレーの誘惑。いちど味わってみてほしい。
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ここまで,生モノ5品,加熱モノ4品,外国モノ3品と,紹介してきたが,これらとは別に,日本海にはタマシイを揺さぶるサバ料理の逸品が存在する。しかしこの料理は,“作り方”,などと記述表現できるような性質のものではなく,次項,別記として記すにとどめおくのでお目汚しまで。
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別記1【 サバの浜焼き 】
世にはたいした郷土料理がひしめいている。中でもサバに火を通した料理で,保存もきき,食べて旨く,姿がいい,そんな料理がこの「浜焼き」だ。
浜焼きとひとくちに言ってもここでは単なる野外でやる海鮮バーベキューではなく,保存食ないし贈答用などハレの食として加工・伝承された浜焼きのことだ。同じ「浜焼き」の発音であっても日本海と瀬戸内海では趣きと扱われ方が違う。共通しているのは,単なる塩を振って焼いたものではなく,保存性と旨味性を両立するべく,塩が内部まで浸透するよう加減されており,しっかりと焼き締められている点だ。
瀬戸内海の浜焼きは,鯛に代表され,主に塩田があった香川県讃岐地方や,播州赤穂といった各地域で,その塩を用いて作られる焼き鯛のこと。最近では養殖ダイも増えたが,本来は春の「魚島(瀬戸内海で餌となるイカナゴが大発生する時期に,それを追ったタイやサワラが集結する様を指した表現)」の頃,獲れたタイに塩を当て,炭火や塩竃で焼き上げたもので,全体が桜色がかったキツネ色に仕上がっているにもかかわらず,ヒレ一本として焦げ落ちていない,その技術と塩加減がみごと。
特に香川のそれは「菅笠」に挟まれて店頭に並んでいる,明らかに尋常の食とは異なるいでたちであり,やはり今も贈答用や引き出物などに使われている,いわゆる「祝い鯛」だ。菅笠といえば四国の太平洋側徳島県の阿波踊りには欠かせざる装束。瀬戸内の焼き鯛との出会いやいかにと思い巡らすが,とりあえず保留。
一方,日本海のそれは,山陰から北陸を中心として発達しており,本来は漁師が獲ってきたサカナを下ごしらえし,塩を振って串を打って軒先でおこした炭火で姿良くこんがり焼き上げ,市中・山中などの鮮魚に手が届かない人々に売り歩いたのが原型だ。今は加工屋や魚屋が作っていることが多いが,元々漁師起源のせいか,マダイ,アマダイ,アジ,サバ等々,種類が多い。 タイは別格としても,その他のサカナは専ら日常食である。こちらも瀬戸内に負けず,美しい焼き上がりを呈している。ここで言う「サバの浜焼き」はそれだ。
獲れたサバを背割りにして塩を当て,開かれた身を元の形に戻すようにして太めの平たい竹串で縫うように“うねり串”を打つ。やわからいサバが見事に原型を取り戻し,そして頭を下にして炭火にかざされ,じっくり焼かれていく。さすがに今はガス火が主流となったものの,今でも炭火で焼いてくれるウレシイ家がある。
タイをはじめとして他のサカナの浜焼きもたいしたものではあるのだが,サバの浜焼きには特有の美しさと味わいがある。まず,まんべんなく表面が飴色がかった金色に輝く焼き色を呈している。が,一点も焦げてはいない。それが泳ぐようにうねる様は,じっくり眺めるうちに自分の心もいつしかいっしょにうねり躍動してくる。サバが自分か,自分がサバか。我と浜焼きサバが同化してゆくのだ。
かような幻想を振り払い、そのままかじりついたって気持ちがいいには違いないが,ここはまあとりあえず串をはずし,箸をつけると,堅からず柔らかからずで,しっとりと水分と脂が抜けており,深く香ばしく旨い。しかも焼いて時間が経って冷めているにもかかわらず,サバの香りはあっても臭味はないのがスゴイ。鮮度・処理・塩加減・焼き加減のなせるワザだ。
また,それを当地では“むしって食う”という庶民性がステキだ。今日のお昼は味噌汁炊いて浜焼きむしってご飯にしました,という飾り気のなさだ。むろん,タイだろうが何だろうが,浜焼きはムシらんと食えんわけだが,その響きはサバのためにあるように思う。最近では「焼きサバ寿司」と称して,浜焼きサバと酢飯を押した寿司がけっこう出回っているが,これは最近にわかに作られはじめたもので,味付けや添加物など,いろいろいじりすぎていて,本来の風味を損ねているように思う。
ここ境港でも,島根と鳥取どっちつかずの辺境の土地柄ながら,スーパーにもサバの浜焼きがトレイにラップされて並ぶ。残念ながら国産サバは滅多に見なくなったが,あればやはり手を伸ばしてしまう。
むしって食うのもいい。それを野菜だけの味噌汁の実として落とすのもいいし,むしった身をフライパンで暖めて醤油をちょっと加え,炊きたてのご飯に混ぜて食うのも,なんとも旨いものだ。塩もみしたキュウリを水でさらして絞ったやつと酢の物にするのもいい。このときには煎りゴマを共に和える。焼きサバ自身の塩味も良い加減であるが,むしった身を酢醤油やショウガ醤油,あるいは唐辛子をちぎった醤油などに,チョンとつけて噛みしめつつ冷や酒を飲むのもいい。
「サバの浜焼き」をあえて“別記”としたのは,素材の入手からはじまって技術および設備的に考えても自宅で真似して容易に作れるようなものではなく,素材が入手できる環境と長い土着の歴史の中で培われた経験的ノウハウがあってこそ初めて完成を見るのであって,やはりそのようなものは当地に赴き買い求めねばならぬ,というのがその理由だ。最近は“お取り寄せ”もあるにせよ,土地の暮らしの匂いと一体となった風味・雅味は味わえまい。いずれにせよサカナ好きにはこたえられない一品なので,よろしければ心の片隅に置いてやっていただきたい。
別記2【 サバ寿司 】
日本海が生み,京の都が育んだ,この郷土料理がもつ諸々の奥深さについては,過去ログ「末期のサカナ」で全て書いたので,今更述べるべくもない。三枚におろしたサバを塩と酢で締め,甘めの酢飯に乗せて棒状に押した寿司だ。
ドコソコの店のが旨いといったグルメ評論も見かけるが,基本的には家庭のものだ。この寿司の親戚として,薄く梳き昆布を貼り付けて角形に押した関東のバッテラや,頭をつけたまま背開きにして白ゴマ入り酢飯と押した高知の姿寿司,その他各地にちらほら類似性のあるサバ寿司が分布するが,そのような知識はこの料理の本質とはかかわりのないことだ。それぞれの舌と心の底に結びついていればそれでいい。
どういうわけか,私のこれまでの人生において,さまざまな形で,サバ寿司は心象風景と強く結びついている。いろんなところでいろんな人と,いろんな気持ちで食べたサバ寿司があった。そのシーンが,どうわけかほとんど記憶に残っている。別に京都の人間というわけではないのだが。
左様にサバ寿司とワタクシとの関係は,混沌として深く,旨さを越えた何かがあるようで,実はあまり多くを語れない。ですから,皆様それぞれにとっての良きサバ寿司との出会いを祈るのみ。
作り方については,またいつか書く日もあろう。
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今回は,以上。
よく,サバは“青ザカナ臭い”と言われる。だから,昔から方程式のように,青ザカナはショウガで臭味を消してと言われてきたし,最近ではハーブやカレー粉などの香辛料を加えてどうのこうのといった料理も世間には多いように見受ける。
が,これまで紹介してきたサバ料理の中で,たとえばショウガなどを使ったとしても,臭味消しとしてではないことをお気づきであろうか。たとえばサバの味噌煮のように,それはその料理とショウガの味および風味が合うから使うのであって,けして臭味消しではないのである。
逆に,サバ料理=臭味消しが必要=ショウガ使用,といった先入観は,せっかくの“サバ風味”,すなわち甘味と酸味とコク味が渾然となった味わいバランスを無視して単調な味にしてしまうことのほうが,むしろ多い。
状態の良いサバを入手し,適切な処理と調理方法,たとえば汁であれば前回の「アクとつき合う」で述べたアクの取り加減を意識していれば,何等臭くはならない。既に述べたように,もし生臭いと感じたら,これらの工程でなんらかの不備があったと振り返るべきだ。
世間には,もっと臭味消しが必要な魚がたくさんある。青ザカナの中でもイワシの方が若干臭味が強いのでショウガを求めることがあるが,これも鮮度と処理問題の範疇で,いらない場合も多い。
むしろ過去ログでお話ししたスズキの青臭さ然り,スルメイカやアオリイカの臭み然り,意外と思うかも知れないが白身魚で淡泊と言われるシロギスやアイナメ特有のクセ然り,白身系の魚であっても特有のクセを持つものは多いのであって,むしろそのようなものにこそ臭味消しの意味でのショウガは合う。でなければ,先述したように,サバの刺身にはショウガが合って,シメサバにはショウガが合わずワサビが合うといったことの説明がつかない。
やはりひとえに,味として相性がいいかどうかが吟味の第一であって,その観点からも,いいかげんに我々はサバをショウガの束縛から解き放ってやらねばならんのではないか,と思う次第。
九州地方には豚骨ラーメンで気合いの入ったスープを吸わせてくれる店が何軒かあるが,本当の豚骨好きは,紅ショウガを入れない。豚骨の風味を殺してしまうと言うのだ。臭味と香りは紙一重の面があるにせよ,上手にとった豚骨ダシは,その線がしっかりしていて、単純に臭いだけではないからだ。
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今回はワタクシ的に主力たるサバがテーマだけあって,これまでにない長編になってしまった。ご迷惑かとも思うが,サバぢからのなせるワザということでご容赦を。サバの旨さは,食べ重ねるほどに筆舌に尽くしがたいと,つくづく思う。
以上述べ来た料理のほか,竜田やフライに揚げたり,グラタンだとか薫製にしたりと世間にはいろいろあって,それぞれに旨いものにはちがいないが,あんまりアレコレありすぎても混乱するし,あんまりいじくるとサバの真味を損なうと思うので割愛した。まあ、サバはよほどヘタを打たないかぎり,どうやっても旨いサカナですから,それを信じて更においしくしてやってほしい。
サバよ,ありがとう。
発泡箱をあけると,体長40㎝ばかりのが十数本,氷の上でピーンとしている。尾を持ってみるとカラダがパンと堅い。背の青が緑がかっている。眼球を覆う皮膜は,横たわってなお,海の青を遠く見つめて澄んでいる。
まったくコーフンしますなあ,いいサバは! 今回は心ゆくまで“サバ味”を追究してみたい。
かつて20年くらい前は,地元漁協の事務室に貼ってある“2㎏”のサバの魚拓が示すとおり,境港および山陰界隈の沖では,そりゃもうスゴイサバが獲れていたようだ。いわく,カツオと見まがうばかり,だったとか。日本のまき網船が獲ってくる済州島沖のサバや,青森で揚がる北方系群のサバが脂の乗りがいいとはいうが,なんといっても日本海山陰沖のマサバは脂と肉のバランスが良くてクドさがない。総合的に品がいいので贈答用としても恥ずかしくない。
ここ10年くらい山陰沖のマサバの漁獲は低迷したままで,サカナッ食い,とりわけ熱烈な“サバ食い”であるワタクシとしては,寂しい思いをし続けてきたが,このところ,少しは増えてきているようで嬉しいこと限りなし。境港に来て苦節4年,待てば海路の日和あり。どれほどサバ好きかといえば,死ぬ前に食うんだったらサバ食って死にたい,と思っているほど好きなのです。
サバは平日の午後にいただいたのだが,もうこうなると仕事が手につかない。自然の営みは人間を待ってはくれない。つまりサバはオシッコしてる間にも刻々と鮮度が落ちるのだ。早く家に帰らなきゃ・・・サバがあるから。できれば早退さしてもらえんかな・・・サバがあるから。安全運転で帰らなくては・・・車の振動でサバが傷むから。てな具合に勤め人にあるまじき状況となり,終業のチャイムと同時に脱兎の如くサバ箱へと走り,ソウーッとかつ速やかに,車に積んで我が家にすべり込んだのであった。
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さて,料理にかかる前に,サバ談義を少々。
【 サバの繊細さについて 】
一般的に1に釣り,2に定置,3にまき網と底曳き。これは,同種・同時期・同水域のサカナでも漁法によって質に差が出ることを端的に言ったもので,要は,サカナが死ぬまでのストレスの度合いと死に方が質を左右するということで,左記の順に上等,ということになっている。もちろん,どんなに獲り方がよくてもその後の処理・保存の方法がまずければ台無しにもなる。そのへんの詳細は当家過去ログ「サカナの鮮度(維持と保存)」に書いた。
アジ・サバ・イワシのような,いわゆる“青ザカナ”,資源学的には「浮魚」とも言うが,この仲間は,たとえばまき網に囲まれた群れが大量に押し合いへし合いしたり,掛かったまま自然死したりすると極端にその質が低下する。具体的には,肉に血が回ってしまったり,筋肉の結合が離れて身割れする,あるいは体表が擦れて内出血したり,圧迫されて内臓や皮が破れてしまう,といったようなことだ。
中でも,特に血合いの多いサバの仲間,この親玉はマグロなのであるが,これらは高速で一生を遊泳して暮らすため,血合い部分に我々の血中のヘモグロビンよりたくさんの酸素を蓄えられる血色素「ミオグロビン」を含んでいる。酸素量が多いということは筋肉中の燃焼効率が高いということであるから発熱も大きく,苦しんで暴れ回ると他の魚類よりも体温が上昇する。
その結果何が起こるかといえば,“ヤケ”と称する状態,血合い周辺の筋肉が低温火傷になったように灰色がかった状態になりやすい。そうなると肉には特有の酸味と臭みが発生するため,たとえ見かけ上は鮮度が良いと判断されるものであったとしても,刺身はおろか,ほとんどの料理に使えなくなってしまうのである。“サバの活き腐れ”などと昔から言われる所以だ。
また,殺したあとの保存についても,通常の魚屋の店頭のように氷を敷いた上にサバを乗せておくと,氷に接した面だけが部分的に冷えて,体内の温度差によって筋肉収縮の不均衡が生じ,身割れの原因となる。更に,自分の体重で,氷に接した筋肉が氷に合わせてデコボコになってしまうといった問題もある。ということだから,サバの保存には水氷がよいということになる。サバの体に負担をかけずに全体を一定にまんべんなく冷やすことができるからだ。
ことほど左様に,良いサバを得ることは難しいのであり,それだけに手に入ったときの感動は大きい。
鮮度が良くて,かつ旨いサバは,青いサカナとはいっても厳密には背中が緑色がかっている。そして首後ろの肩のあたりと肛門付近の腹を指で軽く触ってみると,堅く反発する張りがある。腹皮は虹色の光沢をたたえた銀白色。目がスッキリ澄んでいることは当然のことながら,意外と見落としやすいのが肛門からにじみ出ている黄褐色の汁の有無。これが出ているものは,外側がきれいでも食べた餌の消化が進んでしまって内部に臭味が移っている可能性がある。
更にいいサバの条件を言うならば,幅が広く,シッポの方まで太っていて,パッと見たときに相対的的に頭が小さく感じるもの。そして腹側の銀白色の上に,金色をうっすら刷毛で塗ったような光沢があるもの。これはサイコウだ。このようなサバに遭遇するとワタクシなどは,見ただけで興奮のあまり体中の血が逆流し,その場で財布を開いちゃう。お好きなのね,と言われれば,まったくホントそのとおり。
とにかくサバの鮮度と品質の維持は難しいということで,全国津々浦々,魚食う人々はこれの技術向上に腐心する。
たとえば,,,
かの関サバで有名な大分県佐賀関を基地とするアジ・サバ釣り漁師や四国は高知県土佐のゴマサバ釣り漁師は,内臓の自己消化を早める撒き餌は一切使わず,釣れ上がったサバもいっさい手を触れなくていいように針のはずし方などを工夫している。市場の競りのときにも,“ツラ買い”といって,泳いでいるのを目で見て値をつける方式だ。
また,屋久島のゴマサバなどは,網から取り上げるときに,一尾ずつ生きたやつの首を上方に折って神経経路を断ち,速やかに放血する「首折れサバ」として知られているし,各所の優秀な沿岸サバ漁場を抱える地域では,首を半落としにして,放血したあと露出した背骨にピアノ線などを通して神経を殺すといった努力も一般的になってきた。
最近では,大量漁獲をする大型まき網でさえ,青森県八戸あたりでは,船上に揚がったサバを生きた状態のままで,過冷却した液体に浸けて急速凍結する試みを開始した。
かつてはイワシと並んで大衆魚の代名詞であったサバが,ここまで手厚いお世話を受ける日が来るとは,サバ当人も思わなかったことであろう。或いは単にこれまで人間が,サバ味ワールドの深淵に気づかなかっただけなのか。
これらの努力は,あれもこれも全ては鮮度のいい旨いサバを食いたいという欲求に応えるものであって,その実現が付加価値を生むということだ。このように21世紀“サバ食い”の執念は,全国の海に渦巻いているのである。これをオソロシイというべきかタノモシイというべきか。良サバと見ればすぐにサイフを開いてしまうワタクシであるが,やはりこれだけの手間がかかってこその旨いサバであれば,やせ我慢して買う価値もアリと思う。
【 サバの種類と“食あたり”の真実 】
ところで,一般に我々が食うサバの代表選手にはマサバとゴマサバがいる。
両者ともサバというかぎり紡錘形で体の断面が丸っこいサカナなのであるが,マサバは断面がやや楕円形で体高があり背はサバ模様で腹は銀白色。ゴマサバは,より細身型で断面が丸に近く,背のサバ模様は同じだが腹の銀白色の中にうっすらと灰色の虫食い模様がある。そう,日焼け跡のソバカスないしシミ,みたいなカンジ。それをもって“ゴマ”,と呼ばれているのだ。世の女性諸君はお肌の部分的な色素の沈着を嫌がる傾向のようであるが,ゴマサバを愛する者にとっては違和感がまったくない。それどころか美しいとさえ思う。世が代われば,あの人ステキなゴマ肌ね,などとささやかれる日が来るやもしれぬ。それが文化だ。
さて,一般的に,マサバは冬にかけてのサカナ,ゴマサバは夏にかけてのサカナ,ということになっており,それぞれの季節に旨い。いわゆる味の旬ということで,特に刺身でもおいしく味わえるのがこの時期。
と同時に,よく心配されるのがイカやタラなどの生食で問題になる寄生虫「アニサキス」。これは体長数ミリ大の針状の線虫で,生きたままニンゲン様の胃袋に到達すると,胃壁に食い込み七転八倒の痛みを与える憎いヤツ。当人に悪気はないのであるが,彼らの生きる道であるからいたしかたない。まあ,こやつがサバにもいるのである。
この虫は面白いことに,季節によって,魚体内で居場所を変える。筋肉中にいるときもあれば,腹腔部の内側や,内臓、特に胃腸や肝臓にいるときもある。たとえばマサバの場合,味の旬である冬場には,アニサキスは筋肉から出て腹腔や内臓にいるのである。
よく観察してみると,マサバの旬,冬の彼らの状態は,夏場の筋肉中にいるときのようにうねうねと自己主張せず,小さな渦巻き状に丸まって,腹腔の皮下や内臓の表面にポツリポツリと静かに眠っているかに見える。ゴマサバでは,その旬の夏に同じような状況だ。アニサキス諸君の都合詳細は存ぜぬが,とにかくこうなっているのであーる。
つまり,いずれのサバにせよ,鮮度に気をつけて旬の最盛期を食っている限りは,アニサキスを生食いして胃に食いつかれました,というようなことは起こらない。さあ,寄生虫学者さんは,これについてなんと言うであろうか。
いずれにせよ,ワタクシは幼少のころよりこうして季節限定でサバの刺身を食べてきており,なんら問題は生じていないのだから,身をもって公言できるというわけだ。
むろん,それでも心配な人は,生食をあきらめて加熱して食べればよろしい。そうそう,ついでにシメサバも断念していただかねば。筋肉中にアニサキスが入っていたとすれば,蛋白質を固化する酢は,よほどきっちり漬けないとアニサキスまで届かないし,ちゃんと塩で締めたのにと言ってみたところで,ヤツは塩分では死なないのですから無意味。つまり,ときどき耳にする「アニサキスが危ないのでシメサバにします」という解釈はマチガイ。
それでは低温攻めはどうじゃということで,サケの“ルイベ”のように凍らせてしまっては,アニサキスは死ぬけど繊細なサバの細胞が凍結・解凍に耐えられず,身が崩れてしまっていけない。ああ,いよいよアキラメねばなるまいて。サバ刺しとシメサバはサバ料理の真骨頂なのに,残念なことですなあ。
そしてもうひとつ問題らしきことが。
サバに限らず血合いの多いカツオ・マグロ類の肉,特に血合い部分には,“ヒスチジン”いう物質が多く含まれている。これは必須アミノ酸のひとつであって,本来なんら問題ないのであるが,魚の体表や,それが触れたまな板・包丁に付着する微生物の作用によって“ヒスタミン”に変化する。
これは言わずと知れたアレルギー症状の元となる物質で,特に人間の体が弱っているときにはジンマシンや発熱,嘔吐などを惹起することがある。現代人は体内環境が狂ってきているのか,これに対する耐性が昔より弱ってきているように思う,が,これもサバと健康の管理次第で解決できること。
いずれにせよサバを食う場合には,とにかく鮮度,そして迅速かつ適切な処理が肝要ということになりましょう。そして,サバを食うためにも健全なカラダを造っておくことです。“健全な味覚は健全なカラダに宿る”,ということもありますし。
なお,世間で“サバにアタリました”,というとき,アニサキスによるものと,ヒスタミンによるものとが混同されている場合も見受けられる。状況に応じて適切な処方を願う次第。あらためてサバのために言わせていただくと,「人間がちゃんと適切な管理をして食う限り問題は起きませんよ」ということで,宣言しておきますので念のため。
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さてさて,目前のサバに戻ろうではありませんか。これ以上の講釈はいらぬ。
今回のサバはまき網モノだから“最高”ではないにしろ,市場で大小サイズを分ける「選別機」に通す前に選んで抜いてきたものであるから,機械の振動による筋肉疲労も少なくて状態がいいハズ。
せっかく久しぶりの良サバですし,珠玉のサバ料理を数品ほど,ご紹介しておきましょう。まずは下ごしらえです。
【 サバの下処理 】
サバは,既に書いたように大変デリケート。筋肉の弾力をみるときでも首の付け根と腹の一部を指一本でチョンと触るだけだし,ちょっとした振動や,体温の熱,保存状態の温度変化などを嫌う。従って,できるだけ触らず,触るときには手を冷やし,包丁を入れる回数も極力少なく,速やかに下処理してやる必要がある。以下の如し。
①切れない包丁はサバの身に負担をかけるので,まずよく切れる包丁を準備。
②解体中にサバから血液がたくさん出るので,固く絞った清潔なフキンを用意。
③サバは魚体を触らず,シッポないし頭を持つように扱う。頭を左に,腹を手前に置いたら,胸びれの寸前で筒切りに首を落とす。切っ先から突き刺すように肩口に刃を入れたら,前ナナメ下方向に向かって,刃元まで使って軽やかに一気にズドンと切り落とす。力だけの,いわゆる“押し切り”になると身が傷むのでご注意。
④左手でシッポをつかんで腹が右に来るように回し,肛門から逆さ包丁を入れて上方向へ切り抜くと,包丁の切っ先に内臓の堅い部分が引っ掛かってくるので,そのままはずす。
(ただし例外として,後述するサバの味噌煮にする場合には腹を切らないほうがいいので,内臓が入ったまま5㎝程度に筒切りにし,その断面から内臓を抜く)
⑤引き続きシッポをつかんだまま,右手指で肛門付近につながっている腸の端と生殖巣をはずしとったら,切り開いた腹が上になるように持ち,流水,あるいは夏であればボールに張った氷水の中で,背骨沿いにある血合いを歯ブラシでスバヤクこすり落とし,速やかにフキンで腹腔内部および体表の水分を軽く押さえるようにして拭く。洗うときに握りすぎないよう注意。
※この水洗いのときに腹骨(肋骨)が身から離れているようであれば,既に刺身やシメサバには適さないということなので,加熱して食べるようにする。以上で第一関門突破,下処理完了。早速次の調理にとりかかりましょう。
1.生で食う
【 サバの刺身 】
サバを刺身にできる条件は,鮮度が良くて,身割れをしておらず,先述した「アニサキスが身に入る季節」でないことが肝要。中~大型の冬のマサバ,夏のゴマサバであればOKだ。いずれにせよポイントは,身を崩さぬよう,手早く的確におろすことだ。
①下処理して水分を拭きとったサバの背を手前に置き,切り口から背骨沿いに包丁の刃元を入れ,包丁全体を使うようにシッポへ向けて一気に切り下ろす。いわゆる“大名おろし”だ。このとき,“一気に”が肝心であって,包丁をギコギコと前後に動かすと身割れの原因となるのでご注意。下身も同様にし,三枚に。
②ペーパーで身ににじんだ血液を吸い取ったら,腹骨を包丁ですくい取り,皮側を下,頭のほうを右に置いて,骨抜きで小骨(血合い骨)を頭方向に向かってナナメ上方に抜いていく。骨がどのような方向でどの程度入っているかをイメージしながらやると上達が早い。逆方向に向かって抜くと血合いのある真ん中からタテに身割れを生じるので要注意。身の中ほどから尾にかけては小骨が短く柔らかいので取らなくてもよい。
この血合い骨とりは,骨抜きを使わずとも,身の前半の小骨が堅い部分だけを皮一枚残して溝状にV字に切り去る方法もあるのだが,一連の小骨の所在と方向を熟知していることが前提。またこの場合,わずかではあるが身の損失はいたしかたなし。まずは毛抜きでうまく抜けるよう,いろんなサカナで練習してみてほしい。
※ここで使う「骨抜き」もしくは「毛抜き」の品質は,ストレス無く速やかに作業を進める上で大切だと思う。ちゃんとしたものを入
手するのが望ましい。というのは,使ってみればわかることだが,いいかげんなモノでは,なかなか骨をしっかり掴めなかったり,途中で骨が折れてしまったりが頻発する。きちんと精密な作りの骨抜きは,髪の毛1本でもしっかりつかみ,かつ引っぱっても途中で切れない。先端部の挟む面の接触面積が大きく,すり合わせがしっかりしているからだ。そういうわけで,私の場合は日本橋「木屋」の一番上等なヤツを使っているが,やはり違う。
※また,骨を抜かなくとも,たとえば大型のサカナをサクにとるときのように,おろし身の真ん中をタテ半分に切って血合いと共に小骨を切り取ればいいのではないか,と思われるかもしれない。が,これをしないのにはワケがある。食べれば即座にナルホドと理解できることだが,サバの身の背側と腹側は,味が違う。背側はかすかな酸味を伴ったコクのある旨味,腹側は甘味を伴った脂の風味が主体となっていることに気づくはずだ。従って,めんどうでも小骨を抜いて,刺身一切れに背肉と腹肉の両方が付いている状態で食べてこそ,咀嚼するほどに,サバ特有の“じっくり旨く,優しく甘酸っぱい香り”が口中および鼻腔に立ち上り,気分は天国に近づいていくのである。この点,よろしくご理解願いたい。切り方ひとつで味が変わる,ということの一例。
③流水もしくは氷水で冷やして水気を拭いた手で,肩口から表皮を剥がしていく。体温を伝えぬよう身の触り方に注意しつつ手早くおこなう。
④皮側を下,頭方向を右に置き,シッポのほうから5㎜程度のそぎ切りとして皮目を上に皿に並べていく。皿をあらかじめ水に浸けて冷やして拭いておくことをお忘れなく。そぎ切りとするのは,舌に伝わる味のバランスが通常の平造りよりいいからだが,薄すぎたり厚すぎてはツマラナイ。
⑤あしらいはスライスして水にさらしたタマネギ,カイワレ少々など。そして,汁気をほどよく絞ったおろしショウガと醤油が合う。醤油はいわゆる“たまり”でもよい。甘いたまり醤油は万能ではないが,肉にかすかな酸味を伴う脂の乗った青ザカナ,ブリ類やサワラなどには合う。サバの刺身に伴う薬味は基本的にショウガであって,ワサビや溶き芥子などは,不思議とこれが合わぬ。
さて,せっかくサバ刺をやるのだったら,併せて次にご紹介する「塩ナマス」も,ぜひ味わっていただきたい。これはサカナの生身に塩をあてて暫く寝かせた生食い方法であるが,刺身以上にサバの香りと旨味を引き出す食べ方だと思う。サバ食いゴロシの一品だ。
【 サバの塩ナマス 】
①三枚におろしたサバを,シメサバを作るときの要領で全体に強めの塩を振り,皮側を下にして30~1時間程度,冷蔵庫に置く。塩の粒子がすっかり溶けて肉表面のヌルミが厚くなった頃合いが目安。
②流水ですばやく表面の塩気を洗い流し,ペーパーで軽く押さえて水気をキチッととる。あとは刺身と同様に腹骨をすきとり,小骨を抜き,皮を剥いたら身側を上にしてシッポの方からそぎ切りとする。
③この塩ナマスには,醤油はいらない。ガチンコのサバ味で勝負するのだ。薬味は,ショウガを細く針に切ったものを水にさらしてパリッとさせて水気を切ったもの。いわゆる「針ショウガ」だが,繊維に対してタテに細く長めの針に切るのがよい。面倒くさいと思うかもしれないが,これだけで味が違うのだから,いたしかたなし。これを箸でチョイとつまんで適宜サバの切り身に乗せつつ食うのである。塩によって凝縮されたサバの旨味とショウガの爽やかな食感と香り。このコントラストが実に鮮やか。サバ刺しやシメサバを食い慣れた諸兄も,この味には唸らざるを得まい。ホントのサバ味がするからだ。
※なお,上記のように塩をしたサバを,小口に5㎜程度に細く切り,これをスライスしたタマネギ適量と,少量のサラダ油,極少量の酒と共に和えておいても,これまた塩じめサバの和え物として,サッパリして良い。柑橘汁をちょっと搾ってもいいし,サラダ油の代わりにゴマ油少々をたらしても良い。ただし,ゴマ油を用いる場合,旨いとはいえサバの風味はゴマの香りでマスクされてしまうので好きずきだ。
【 シメサバ 】
塩したサバを堪能したとなれば,次はいよいよシメサバでしょう。
一般的に「酢締めのサカナ」とは,魚の切り身に塩を当てて水気を抜くと共に旨味を凝縮させ,酢に浸けて塩味を緩和すると同時に表面を殺菌・固化させた料理。
「締め鯖」は,夕方スーパーの惣菜コーナー専門のヤンキーママでさえ「サバといえばシメサバね!」と元気に明るく発声するくらい,サバの食い方としては代名詞格となっていますね!
しくみとしては,前出の塩ナマスを酢に浸けたのがシメサバ,ということになるわけだが,塩加減・置き加減・切り加減などが若干異なるところが“加減センス”の見せ所。では作り方を。
①三枚におろしたサバに表面にうっすら白くなるくらいの強い塩を当て,皮を下にしてザル上に30分置く。鮮度が良ければ塩の通りがいいので置く時間を短くするなど加減。ここまでは「塩ナマス」と同様。
②流水でスバヤク塩を洗い流し,ボウルに酢と水を6:4で調合したものをサバの身が半分浸るくらい注いでおき,この中で身の表面がわずかに白くなる程度,軽く洗う。これを“下洗い”といい,この酢は表面に水分と共ににじみ出た血液や生臭みを洗うものであって,漬け込み用には使わない。
③酢で洗ったサバの身を一枚ずつペーパーが隅々まで身に密着するように包み,ボウルに入れた少量の新しい生酢にくぐらせ,タッパーなどに30分置く。通常,酢に漬ける,というときに,サバ全体が浸かるくらいにたっぷりの酢が必要と思われているのであるが,これが勿体ない,と全国の主婦は思っているはず。毎日シメサバを作るわけじゃなし。そのとおり。そこで,ペーパーの毛細管現象の力を借りて最小限の酢で全体に酢を回してやる,という作戦だ。これだとムダがない。昆布の風味が欲しければ,あらかじめ酢の中に昆布の小片を放り込んで暫く置いておけばよい。
④漬け終わったら,ペーパーをはぎとり,あとは腹骨や小骨を取って皮をはぎ,切ればいい。ただし切り方が違う。刺身や塩ナマスでは「そぎ切り」としたが,シメサバは皮側を上にして頭方向から通常の平造りのように切ってゆくほうが,酢が当たって締まった部分と生身部分とのバランスが良いように思う。そして,小口切りとしながらも,薄く切ってこそ生まれる舌に伝わる味バランスと,口中で噛みしめたときのちょうどいいボリューム感を両立するには「八重造り」にしてやることだ。本来これは脂乗りが良くて醤油を弾いてしまうようなサカナ,或いは皮が旨いのだが堅いために口中に残ってしまうサカナの刺身などに対し,一切れの皮側に1ないし数カ所の切れ目を入れる技法である。慣れればカンタン。刃先で表面をツーッと撫でてやるように切れ目を入れればよい。一回おきに浅い包丁目を入れるだけのことだ。見たことあるでしょう? たとえば1㎝厚の刺身一切れの中ほど5㎜のところに1回浅い包丁目が入っているような状態。
⑤サバ刺の薬味にはショウガが適したのであるが,どういうわけかシメサバにはショウガが合わぬ。ワサビなのだ。なぜだろう,不思議だと思いませんか? この問題については,また機をあらためて記述せねばならないので,今回はこれまで。シメサバにはショウガではなくワサビだ。そして,甘いタマリ醤油も合わぬ。キリッと酢の利いた硬派なシメサバの味が,タマリではだらけてしまうのだ。甘くない生醤油がよろしい。また,他の旨味成分,カツオダシなどが入った醤油なども,サバ味を損ねるのでオススメしない。
結局,塩で30分,生酢で30分。これを千葉県南房総の漁師連中は「サンサン締め」と呼んでひとつのスタンダードとしている。かつて「サバのタモ掬い漁」があった頃からの慣習だ。
とはいえ,シメサバの“シメ加減”については百家争鳴,しっかりシメてこそシメサバだとか,生に近いシメ加減でないとワシャ食わんとか,うるさ型が大勢おられる。
その問題を追究するにあたり,方法が2つある。
①漬け込む液体の,酢と水の配分を調整する。
②水で割らない生酢を用い,漬ける時間を調整する。
①は,生酢:水を10:0から6:4くらいまで変化させて加減する。水の割合が増えすぎるとふやけてしまい臭みを生じるので注意を要するが,そこが加減というもの。このやり方は,鮮度の高いサバを生に近い味と食感で味わうには適している。
②は,表面はギュッと締まるものの,短時間すぎれば塩気と臭みが十分に抜けきらないし,長時間になると酢の浸透が早いので堅くなってしまう問題が残る。これらいずれにせよ作り手の判断次第だ。
総じてシメサバとは,塩・酢・水の加減を駆使した総合スキルなのである。まあ,いろいろやってみられることです。その先にあるのがそれぞれ“我が家のシメサバ”,ということになりますな,精進精進。
そしてシメサバ編の最後に,もうひとつふたつ変則的なことを申し述べると,通常,シメサバといえば塩と酢で締めるものと考えがちであるが,砂糖で締めてやる方法もあることをご存じだろうか。
生魚に砂糖を当てるとは違和感があるかもしれないが,思いのほかそんなことはない。砂糖は塩以上に浸透圧が高いので脱水効果が大きい。ところが,その効果は少々異なっており,砂糖は脱水しつつ細胞の結合を緩ませ,塩は脱水しつつ細胞の結合を強める。これは中国で言うところの陰陽の原理だ。
従って,砂糖を用いると,締まりつつも柔らかな風味・食感に仕上がるのであるが,味としては,個人的には軟弱でイマイチ。具体的な方法を書いておくと,砂糖で15分締め,流水で洗い落として塩で30分締めて,以下同様,ということで,たしかに優しげな味とはなる。細切りにしてちらし寿司に混ぜるときや,鯖寿司に作るときなどは,いいと思う。好きずきだ。
優しい味のシメサバといえば,酢が苦手な客に供する場合の酢味の緩和対策として私が採用する方法は,漬け込む生酢にミリンを少量,感じるか感じないか程度,垂らしてやることだ。これで酢のキツさ,すなわち“カド”がとれる。そしてこの手法は,次に紹介する「甘酢漬け」へと発展してゆく。
【 サバの甘酢漬け 】
しくみとしてはシメサバの延長にあるが,作業内容は若干異なる境港の漁師料理だ。
サッとできてサッと旨い。シメサバが一切れずつじっくり味わう料理であるのに対し,こちらはパクパク食えてしまう気安さと豪快さがある。
①三枚におろしたサバの腹骨をすき取って皮を剥ぎ,真ん中からタテに切って血合い骨を切りとる。
②小口からナナメに1㎝程度に切ったものをボウルに入れ,シメサバのときより少し少ない塩を当て,ザッとひと混ぜして30分置く。
③これを酢で下洗いし,ザルに上げて酢を切っておく。
④タッパーなどに生酢に対して1割の水を足し,そこに少しずつミリンを注ぎ,酢のカドが取れて若干甘めになったら,少量の薄口醤油を加え,これに③のサバを浸す。液体の分量はサバ身がヒタヒタと泳ぐ程度でよい。
⑤これにタマネギのスライスを水にさらさずに加えて混ぜ合わせ,最低30分冷蔵庫で寝かせる。これでタマネギの辛味もとれ,同時に香味が酢に移る。
シメサバが酒菜に偏って存立しているのに対し,これは飯の副菜としての役割も務めてくれるので,上戸下戸にかかわらず喜ばれる家庭の惣菜として重宝する。沢山作っておいて,甘酸っぱくキュンと締まったサバの切り身をタマネギと共にほおばり,皆の衆,食うべし食うべし。
たくさん作って余ったら,翌朝の飯で食えばいいのだ。3日間は美味しく食べられるし,漬かり具合が進むに従って変化する味わいを楽しむのも捨てがたい。フランス人が栓を抜いたワインの味の変化を楽しむようなものだ。朝食の湯気立つ白メシを眺めたとき,思わず,おい,きのうのアレ,まだ残ってたろう,などと,つい口に出てしまう。
なお,残った漬け汁は,汁が極端に濁らない限り,酢とミリンを適宜足しながら繰り返し使える。塩して同様に下洗いしたサバをタマネギと共に漬ければよい。漬ける前の下洗いさえちゃんとしておけば3回は使える。
【 参 考 】シメサバの欧米型流用について
サバは,見渡せば西洋諸国でも広く食べられている。ギリシャやスペイン,イタリアなどではそのまま塩焼き(グリルというのか)もあり,北欧には薫製あり,とまあいろいろだ。
日本のサバ食と違ってアチラ方面で共通しているのは,オリーブ油やハーブなどの香辛料,各種調味料や野菜と合わせることがほとんどである点だ。日本は基本的には素材単品勝負,アチラは合わせ技。意図するところは,やはり西洋人には好まれぬ青ザカナの臭みをマスクすることであろう。我々サカナ食いには,魚臭さも時には大切な要素のひとつなのだが。
そう言って思い当たるのが最近流行のカルパッチョ。この料理の真実については過去ログ「カルパッチョについて,ひとこと」で少し述べたところであるが,これの原理はよく考えたら塩サバとほぼ同じ塩と酸,これに油と香辛料が加わって構成されている。というわけだから,スライスタマネギを敷いた皿にそぎ切りにしたシメサバを並べて粗挽きコショウでも振って,オリーブ油をかけ回して食うのも,当然の如く悪くない。
料理上、和に出会いのモノがあるのだから,当然,洋にも出会いのモノがある。特に西洋の肉料理で感心するのは,フルーツ=果物との合わせ方だ。甘味と酸味と香り。日本にも柿などを使った和え物があるが,真っ向から魚や肉類と合わせることは,あまりない。西洋ほどに香りの強い果物の種類が多くなく,また,味が素朴なものが多いということもあろう。料理はその地の環境から生まれた所以だ。
サカナでいうと,特にイワシ・サバ・サンマなど青ザカナの味と果物の風味は,血の気が多い青ザカナと畜肉との相似性という意味で合わせやすいように思う。白身のサカナより強くストレートな脂のコクと旨味に,酸味を伴った果物の自然な甘味が意外なほどよく合うはずだ。たとえば三枚におろして軽く塩を当てたイワシの身に干しぶどうとパン粉を少量のオリーブ油で和えたものを乗せてコショウを振り,ハーブを乗せてオーブンで焼いたものなどは,サカナ味の真剣勝負とは言えないにしてもオツな味がする。かつてスコットランドで,サケの薫製とグレープフルーツのむき身を大振りにバラして和えたサラダが出され,その旨さに意表をつかれたこともあった。
だいたい生ハムとメロンが合うというのだから,塩を利かせた魚肉と果物が合ったとしてもおかしくはない。かといって,ナントカソースでございます,というのはいささかやりすぎの感があり,私の性分としては肌に合わぬ。
そこで,ささやかにやってみました。
マサバの季節に合った香りの果物といえば,リンゴだ。サカナ臭いウエカツには似合わぬ,とおっしゃることなかれ。ちょうど八戸にイカ船をもつ境港の船主さんからいただいた,いいリンゴがあったのだ。西野さん、またよろしくおねがいします。
●シメサバとリンゴのクラッカー乗せ
①酸味のある紅玉の皮を剥き,芯を除いてタテに5㎜程度の薄切りとし,薄い塩水に暫く放ったのち水気を拭いておく。
②プレーンのクラッカーにリンゴのスライスを乗せ,その上にサバ刺しの要領で同大にそぎ切りにしたシメサバを乗せ,その上にスライスしたタマネギを少量乗せる。
③これをたくさん皿に並べておいて,上から粗挽きコショウを振る。
これだけのこと。であるが,これが絶妙に旨い。
リンゴ特有の芳香と甘酸っぱさが,シメサバの酢の匂いと酢味のカドを相殺することによって肉の旨味のみを強調し,リンゴの自然な甘味とサバの塩味が見事に調和する。そこにタマネギが韮科野菜特有の野性味を加え,粗挽きコショウが総合味をギュッと締める。クラッカーと共に噛み砕くと,香ばしく焼けた小麦粉がこなれて全体をうまくまとめ,味の調和が更に進む。噛み進むとき見え隠れするリンゴの食感がまたよい。ただしリンゴの水気をしっかり拭いておかないとクラッカーが湿気てしまってつまらないのでご注意。
私は,けして最近の前衛料理家のように味さえ合えばなんでもいいというスタイルではないし,場当たり的で中途半端な合わせワザはむしろ害だと思っているが,その旬が合致しており,風味が合い,季節感が創出される限りにおいて,通念意外の料理にも手を出すことがある。そんな中から,ポツリポツリではあるが,定番となる料理も生まれるというわけだ。
それにしてもサバとリンゴ,これホントにいいですぞ。サケの薫製でやるよりも各段上の味です。上品な仕上がりの割には白い皿にほんのチョットなんてこともなく気取らずに食えるし,しかも洋酒に合うので言うことナシ。サバでウイスキー,サバでワイン,大変結構ですな。
【 サバの琉球 】
刺身に始まり,ここまで味を複雑にしてきたところで,もう一歩進めた生食い料理をご紹介しておく。大分県の郷土料理であって,技法分類としては“ヅケ”の一種である「リュウキュウ」だ。これについては過去ログ「アカミズ三昧」で少し書いたと思う。
大分なのに「琉球」とは,これいかに。この技法が琉球の漁師から伝わったのでこの名アリとは一説であるが,類似する料理といえば,過去ログ「アカミズ三昧」で書いた,愛媛県の「さつま」や豊後水道版「鯛飯」,それに海賊料理が原点と言われる「日向飯」。いろいろあるにせよ,地理的には南方の沖縄からの伝播と考えるには飛び石状態もいいとこ。もっと途中の地,たとえば鹿児島や宮崎などに名残があっていいはずでは?。ということでこの料理の名称および来歴については引き続き考察を要すところ。
大分の佐賀関あたりの漁師に尋ねれば,そもそもリュウキュウとは,醤油に砂糖を溶き,刻んだネギとすりゴマを加えたところに刺身を漬けただけ,という返事であり,漁師料理であるかぎり凝った料理はあり得ないにせよ,はたしてそれが原点なのかは定かではない。そこで,ワタクシ流のリュウキュウの作り方は,以下のとおり。これを食った大分の漁師は,旨いとしつつも「ずいぶん高級なリュウキュウだな」と述べたのがおかしかった。特に大幅な変更はしていないのだが,やはり本来はもっと素朴な味なのだろう。
①サバを,既に述べた刺身の作り方と同様に削ぎ切りしておく。
②醤油にミリンを少しずつ加えていき,塩味が丸くなったところで止め,日本酒をごく少量加えておく。総分量は刺身がヒタヒタに浸かる程度。
③小口に細く刻んだネギと,大葉の千切り,たっぷりの白すりゴマを加え混ぜ,サバを投入して20分ほど漬ける。子供がいなければ,漬け込むときに七味や一味唐辛子を少々振っておくと,更に風味が増す。漬け上がりの目安は,切り身の肉の表面に飴色の透明感が出た頃合い。
④漬け上がったら,目の細かいザルに入れて,軽く余分な汁気を濃しとる。これは漬かり過ぎを防止するため。
これは,そのまま食べて酒の肴にもいいが,すりゴマやネギがすっかりなじんで絡まったままの刺身の幾片かを熱い飯に乗せて,あるいはその上に熱湯ないし熱いお茶をかけ回して,ガガガっと掻き込むのが旨い。そっと乗せて一呼吸置いて、ガガガっと。この緩と急も味のうち。本来のリュウキュウには入れないという大葉を刻み込むことにより,飯と合わせたときの香りの立ち上りが,ちょっといい。この、ちょっとした違いが格段にいい。
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2.加熱して食う
さて,次は加熱調理の部に移ろう。
サバの肉は,生→調味→加熱,に従って,別の旨味を見せてくれる。“溶け出る旨味”から“噛みしめる旨味”への変身だ。やるねえ,サバは。まるでサカナ味の万華鏡だ。
【 煮サバ 】
サバの煮たやつといえば,三枚におろした皮目が濃い煮汁に洗われてしっとりつやつやの醤油煮と,プンとショウガの香りがして,こっくりほっくり湯気を立てる滋味深い筒切りの味噌煮,この二つにつきますなあ,いやはやなんとも。
まずは醤油煮のほうからいきますか。
●サバ醤油煮
サバ醤油煮のコツは,一気に加熱してアクをとり,一気に濃いめの味で仕上げること。結果として,中はみずみずしく,外は濃厚,その合わせ味が醍醐味だ。あまり煮込んでしまってはそのメリハリが失われるので勿体ない。かといって,濃い煮汁でサッと煮ただけの,いわゆるサッと煮では,ジューシー感はあったとしても,こんどは“肉の香ばしさ”が出ない。ここのところが,試行錯誤の中でつかみたいところ。
①下処理したサバを二枚(上身は骨なし,下身は骨付き)ないし三枚におろしておく。三枚におろしておけば,頭と中骨を使って汁もできますね(後述)。家族の人数に応じて適宜切り分けるが,それぞれの身に切れ目は入れない。
②平鍋に酒と水を2:1に割って強火で沸かし,アルコールが飛んだら砂糖で甘めに調える。とはいえ,あとでミリンを加えるのでその分を勘案すべし。総分量は,鍋の形状と大きさにもよるが,サバを入れたときに身の半分が浸る程度。意外と少なめです。
③強火のまま,皮を上に,互いが触れないようにサバを並べ蓋をする。温度が急激に下がると生臭みに通ずるので,一切れずつ一呼吸の間をおいて入れていく。
④強火で熱しつつアクをとっていき,濁っていた煮汁が澄んだら火は引き続き強火のままで,そこに濃い口醤油を加えていく。のだが,だいたい3回に分けて最後の味を決めるカンジとし,初めから一気に十分量の醤油を入れないこと。一度に塩分濃度が高まると表面が急激に脱水されて堅くなり,味がなじみにくく,表面だけが塩辛くなりやすいからだ。一回注いで再度沸くのを待ち,同じようにして更にもう一回,最後にもう一回。そして再度煮立ったらミリン少々を注ぐ。煮汁の味を見て,その家庭なりの“濃いめの甘カラ”,であればそれでよい。①から④までで約10分ほど。
⑤ここまで来ると煮汁に粘性が高まり,強火のままであれば盛り上がるように泡を生じてくるので,吹きこぼれない範囲で泡がサカナの表面を洗うように火を微調整する。ガラス窓のついた蓋であれば蓋をしたまま見ながらやればいいし,アルミホイルに穴をあけて作った落としぶたをするのであれば,それが少し浮き上がる程度の加減でよろしい。サバの皮目を煮汁の泡が洗っていく感じ。要は,「泡で炊く」のだ。この感じをつかんでほしい。
⑥皮オモテが,つややかな飴色となったら完成。皮をそっと指先で触るとムッチリとひっつくような煮上がり。皿に盛り,煮汁を少しかけ,そのままでもいいが,水でさらした針ショウガや白髪ネギのあしらいなどでも相性がいい。だいたい15分ほどで完成だ。
●サバ味噌煮
同じサバの煮物なのに,醤油煮とはいささか趣きが異なる。醤油煮がスバヤク煮上げて素材と煮汁の味の輪郭を際立たて,その合わせ味を味わう手法なのに対し,こちらは骨ごと煮込んだ時に出てくる渾然となったまた別の旨さを味わう料理だと思う。従って,素材の切り方も違ってくる。
①醤油煮のときのように2ないし3枚におろしてもいいのだが,醤油煮のように比較的短時間煮る一般的な味噌煮ならばこれでもよい。しかしここでは,じっくり煮込む流儀なので,できれば「筒切り」にしていただきたい。サバの首を落としたら,肛門のすぐ前で一カ所切り,前半後半をそれぞれ5㎝程度に切り分ける。身が崩れないよう,切っ先から刃元までを使って一気に切り抜く。
②切った断面から内臓を抜き,手早く血合いを歯ブラシでこすり落とし,流水でサッと洗って水分を拭いておく。
③深めの鍋に酒と水を1:1で割り注ぎ,ここにショウガを皮付きのまま3㎜厚に切って多めに加える。沸かしてアルコールを飛ばしたら,砂糖を若干甘めになるまで加える。ここにサバを入れていくわけだが,このとき,皮がやぶれないよう鍋底につけないことが大切。つまり筒切りしたサバをタテに置くのだ。このための筒切りなのだ。煮汁の分量はヒタヒタよりちょっと少な目くらいでよい。
④強火のままアクをとっていき,汁が澄んだ頃合いを見計らって,濃い口醤油を,感じるか感じない程度,チョロッと加える。これがコク味の基礎を支えてくれる隠し味となる。
⑤再沸騰したら,煮汁をボウルにとって味噌を溶き,これを鍋に戻す。優しい甘さで濃厚な味に仕上げるわけだが,最初は味を見ながら,少しずつ加えていけばよい。何回か作れば,はじめからだいたいの量がわかってくる。その点,毎日の味噌汁と同じナリ。
※使用する味噌は好きずきであるが,私は九州の麦味噌を使っている。白と赤を2:1くらいで合わせたも味噌でもいい。いずれにせよ,それ自体に味があって白のもつ甘さと赤の持つコクと渋みがバランス良く備わっていればよい。田舎味噌のように特有の発酵臭を有するもの,あるいは信州味噌の辛口などは,出来上がりの味にクセやトゲが出るように思う。味噌のような基本調味料は,各家庭の味があるので,いろいろ試してみられたらよい。
⑥ひと煮立ちしたらミリン少々を加え,中火に落とし,ポコポコと煮続ける。その間,ゆっくりと煮汁をサバにかけながら世話してやってくださいまし。
⑦煮上がりの目安は,サバ肉の断面が脱水してうっすらとへこんだあたり。この頃になると煮汁はかなり粘性を増しているはず。かけた煮汁がサバに絡みつくようになったら火を止める。ここで蓋をし,数分間冷まして出来上がり。これによってグッと味が落ち着いてくる。このやり方だと,完成までだいたい30分ほど。
この煮方だと,醤油煮のようなジューシーさはないものの,筋肉が絹のようにほぐれてしっとり噛みしめる旨さが味わえる。冷めても旨いし,日持ちもする。アナタがどちらをとるか,だ。
このまま食べてもよいが,白髪ネギやさらしネギを盛って食うのもいい。よく針ショウガを盛って出すことがあるが,ショウガは既に入っているではないか。皮付きショウガのスライスを一緒に煮ていましたね。
これが,実は旨いのです。骨付きサバと味噌の旨味を十分に吸って煮上がったショウガ。皮付きで厚めにスライスして多めに入れておいたのは,実はこれを食うため。つまり,ここではショウガは臭味消しではなく,立派な“炊き合わせ”の素材であるということ。サバ・ときどきショウガ,という感じで食い進めるわけです。サバで酒,ショウガで飯,というのも,いいですねえ。じっくり煮て,じっくりお楽しみ下され。
さて刺身も煮物もできました,というところでカラダを潤す汁を作っていきましょうか。
刺身や煮物で出たアラを使ってやるのです。
【 サバの塩汁 】
サカナの塩汁で代表的な郷土料理に「じゃっぱ汁」「三平汁」「船場汁」などがあるが,「じゃっぱ」はタラなどのアラを使ったもの,「三平」は,本来糠漬け塩ニシンを使ったもの,「船場汁」は,日本海で獲れて塩され関西に運ばれた塩サバのアラを使った汁。共通しているのは,強い塩をしたサカナの旨味と塩味を利用した汁であること。ここで紹介するのは,船場汁に最も近いが,三陸の漁師などは同じものをサンペイと呼んでいる。塩サバでやるのも味があるけれど,たくさん釣れちゃった小さなサバや,生食いして残ったサバのアラを塩して用いると,これまた各段に旨いのだ。料理のしくみは過去ログ「もうひとつの塩煮」で紹介した九州型の塩煮と同じ。要は,きつめの塩をして置き,湯で煮出して旨味と塩味を引き出す,というやり方だ。
古来より福井県若狭で獲れた見事なサバを,背割りに開いてひと塩あてて,馬の背に積んで京都に至った「若狭の塩サバ」。この旅の道は,言わずと知れた「サバ街道」と呼ばれて今日に至る。京の都は,旅の間にほどよく塩がなじんだこのサバを,甘めの酢飯と共に型に押して,天下の美味「鯖寿司」として賞味した。
まさか,京都で作ったサバ寿司の残りアラが大坂に運ばれ船場汁となったわけでもあるまいが,大坂商人の倹約だけでない合理的な旨さの追求ぶりがうかがわれようというものだ。
①サバの頭はタテに半割にし,身や中骨は適当ぶつ切り,ボウルに入れて全体に強めの塩をまぶしておく。置く時間は,最低30分,長い場合は一晩冷蔵庫に置いてもよい。まぶした塩が溶けて,身の表面がヌルヌルしてくれば,もうそれでいい。あまり長く冷蔵庫に置きすぎると脂の酸化臭を生じるので要注意。
②鍋に水を張り,3㎜程度のイチョウに薄切りした大根およびニンジンを入れてアクをとりつつ強火で茹でる。長ネギを入れてもいいが,甘味が出すぎればサバにはあまり合わないように思う。
③野菜に火が通ったら,サバを入れ,そのまま強火で沸かしつつアクをとり,スープが澄んだ時点で火を弱火に落とす。
④味をみて,塩気が足りなければ塩を足していき,もうちょっと足りないかな,というところで薄口醤油少々をたらして完成。吸い口として山椒や柚皮,ショウガやコショウなどを使う人もいるが,私は何も足さない。少し変化が欲しければ刻みネギを少々。基本的にはサバの風味と野菜の甘味だけで味わうのを良しとしている。
しごくカンタン,きわめて滋味。
なのであるが,この汁,まさに“煮えばな”が勝負。時間がたつほどに刻々と味が落ちる。まして翌日にもち越しするなど,これはいけない。江戸っ子じゃないが,宵越しのサバ汁はもたねえということにしていただきたい。風味が落ちればショウガやネギなどを入れなくてはならぬ。かといって入れればサバの旨さを純粋に味わえたとは言えぬ。人数分作って熱いうちに食べきって終わり,としていただきたい。適切な処理と食べるタイミング,これさえ押さえておけば,サバは生臭みなど微塵も感じさせない。仮に生臭いと思ったら,サカナ選びから下処理,調理の過程でどこかが間違っていたと振り返るべき。あるいはそもそも実は自分はサバ味が好かぬのではないかといった疑問も検証する必要があろう。でもそんな人にはあまりお目にかかったことがない。悪いねあたしゃサバアレルギーですという方にはごめんなさい。
さあ,もう本日のオカズは十分揃った。え,まだサバがある?
それではおいしい保存食を作っておきましょう。
【 おいしい自家製「塩サバ」 】
最近は,塩サバといえばノルウエー産の大西洋サバが当たり前になってしまったが,国産との違いがおわかりであろうか。背の模様が違いますねえ。虫食い模様になっている国産鯖に対し,ハッキリとひらがなの「く」の字状に模様が入っているのが大西洋サバの特徴。今や,北陸の郷土保存食用糠漬けである「へしこ」や,各地に在するシメサバや鯖寿司なども,大西洋サバを使うことが多くなってしまった。脂の乗りはアチラが勝ることがあっても,身肉の,思わず噛みしめてしまう味わいは,コチラのマサバならではのこと。
それにしても国産塩サバは,特に都会のスーパーあたりではなかなかお目にかかれない。見つけても,裏書きを見るとなんやかんやと添加物が添加されていて,誠実に作られた国産塩サバは,今やちょっとしたブランドだ。かといって自分で作るとなると,塩加減をどうするか,といった問題もあろう。
前出の若狭の塩サバを作る工程を見ていると,ゴム手をはめたおばちゃん達が開いたサバにバサーッとぶっきらぼうに塩を振っているように見えるが,品質は全て安定しているわけだし,その加減が長年の経験をもって絶妙なのである。サバに塩振ってウン十年の手練れの技をご家庭に,というノウハウがあればウレシイが,そうはいくまい。真似して直塩した挙げ句,だいたいは塩辛くなりすぎて,小さな我が子に食わせるにはちょっとね,という事態が生じるであろうし,かといって,まんべんなく塩をいきわたらせることのできる「立て塩(塩水に浸ける)」では,サバの旨味は逃げるし,水っぽくなってしまうので干さねばならぬ。となるとこれはもう干しサバであって,塩サバではない。そのへんの問題をなんとかクリアしたいと思いませんか?
そんなアナタに朗報です。ご家庭で,誰でもカンタンに作れて,しかも塩加減絶妙な塩サバの作り方を伝授いたすので,聞き漏らされることなきよう。
①下処理したサバを三枚におろす。骨や頭はサバ汁用に塩をしておけばよい。
②おろした身ににじんでいる血液などを流水でサッと流し,ひとふりして軽く水気を切り,これをキッチンペーパーで一枚ずつ包む。若干の残り水分でサバの身にペーパーが張り付いた状態。くるんだペーパーの表面がわずかにしっとりしているのが理想的。
③ペーパーの上から両面に軽く叩きつけるように粗塩を当て,すぐに余分な塩粒を払い落とす。ムニエルや唐揚げをするときのように,余分な粉をはたき落とす感じ。この時点でペーパーの表面にはザラザラと一様に塩粒が付着している状態。
④このままタッパーの中に,背側の身が厚い部分が下になるようにタテに並べていき,冷蔵庫で一晩置く。夜に作れば翌朝から食べられるが,寝かせるほどに塩が浸透し脱水していくので,好みの段階でペーパーをはがして一枚ずつラップでくるんで冷凍しておけばよい。冷蔵庫のチルドで風味が持つのは3日間まで。冷凍のサバは解凍することなく,そのまま中火で身の側から焼けばよい。
これは,和食界で言うところの「紙塩」の技術を粗雑に用いたものだ。直塩では強すぎるし,かといってタテ塩では水っぽくなる,というとき,全体にまんべんなく穏やかに塩を当てたいときに,サカナに貼り付けた和紙に霧吹きをかけ,そこに振り塩をするのだ。本来の技法はもっと繊細なのだが,家庭で大量の塩サバをいちどに作りたいときなど,三枚におろしてサッと洗ってペーパーでくるんで塩当てて払い落として冷蔵庫にポン,で完了。紙塩の要件を満たしているから体裁は別にかまわんのである。
このやりかたで作った塩サバは,出来上がりは表面付近の身肉がキュッと締まって,焼けた皮がパリッと黄金色で,中身はありゃまあと思うほどみずみずしい。噛めば肉汁がジュワリとほとばしる。身の側から7割,残り3割を皮側から焼き上がるのがコツ。
そして、このような塩サバには醤油がいらない。そして,オトナの皆様に申し上げておくが,いちど,とにかく何もつけずに“ワサビだけで”食べてみてほしい。これは,良く仕上がった干物や,塩加減が上手に焼き上がった焼き魚をワサビだけで食べるのが旨いのと同じ理屈だ。
こんなのを普通の塩サバだと思って朝から焼いてワサビで食べた日にゃあ,ああもう今日は会社なんか休もうか,一杯これからやっちゃおうか,てなことになってしまうわけでありますから,いささか問題アリか。
●塩サバを茹でることについて
ついでながら書いておくと,塩サバは,なにも焼いて食うだけが味ではない。「茹で塩サバ」,あえて料理名をつけるならば,すなわち「塩サバの湯煮」もなかなかにイケるものなんである。ノルウエーの塩サバでも,こうするときつい脂と酸化臭が抜けてちょうどよい。沸騰した湯に塩サバを投じ入れ,火が通ったところで皿に取り出し,水気を絞ったたっぷりの大根オロシと醤油で食う。
焼き塩サバが,脂の乗った皮目の焦げで香ばしく欲望を刺激するのに対し,茹でた塩サバには,「ある夜ふけ 塩サバを茹で 独り食うわれ」,といった“静寂味”があるように思う。天の高みから見下ろすお月様の青い光と,手持ちのコップに満たした一杯の冷や酒が,疲れた心を静かに癒してくれる秋の一幕だ。
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さてと。
ここまでは,“サバ丸出し”の味,いわば源泉を味わう料理であって,これぞ真のサバ味を伝える王道なわけであるが,サバ料理も世間にはいろいろあって混乱する中,特にこれはサバならばこそと納得させられる,少しだけ手の込んだ料理を3品ほどご紹介。凝ったといっても外国の基本料理の範疇だ。中,伊,印,でいこう。
【 サバの水餃子 】中国
私は学生時代,祭りがあると,手作り餃子の屋台,水餃子であるが,これを相棒とゲリラ的にやって,けっこう稼いでいた。稼いだ金は,ビールで冷蔵庫を毎日いっぱいにしたり,普段食えない旨いモンなぞダラダラと食い漁って,今を思えばくだらんことに使ってしまったと反省しているのであるが,なかなかに楽しい日々ではあった。
さておき,最初の頃はスタンダードな豚肉と白菜にキャベツ,ニラ,シイタケなんぞを合わせた具でやっていたのだが,本場中国ではいろんな具があるのだということで,次に作り始めたのが鶏肉とシイタケとネギの餃子,そしてエスカレートして,私のダイスキなサバをネギとショウガに合わせた餃子,これら三部作を提供するに至った。当時は塩サバを使っていたと思う。
豚肉,鶏肉,サバ,と,3種類の水餃子を看板に売りだしていったのであるが,だいたい客は3種類注文して食べる。その結果,まずサカナッ食いであれば,もう他のはいらんからサバだけおかわり,となる。そして“非”サカナッ食いの場合,え?サバ?ちょっと生臭いんじゃないの?ムシャムシャふーんナルホドね。じゃおかわりもうひとつ試してみようかな。となるのである。いずれにせよ食うのじゃないか,スナオに食え,と言いたい。見よ,これがサバの実力。このように,サバの餃子はヤミツキになる味なのだ。包む皮は当時留学してきていた中国大連のオトーサン直伝だ。
ともあれ,ご家庭で,ちょっと作ってみませんか,別にサバでなくてもいいから。要は,皮で包んで茹でればいいんですから。でも奇抜なのはご勘弁。とり合わせの相性を考えて。
かの中国では,餃子は年の暮れに親族が集まったときにみんなで皮から作ってみんな包んでオカーサンが茹でて,山盛りにして腹一杯食う。そして,数百個の餃子のうち何個かの中には銅貨が入っており,それに当たった者は,その年ずっと幸運なのだとか。いい話じゃないですか。
まず,中に入れる具から先に作っていきましょう。
①サバは三枚におろしてタテに切って小骨を切り除いてサイコロ状にコマ切れにし,長ネギ及びショウガのみじん切りと混ぜ,これに塩とゴマ油少々を加えて軽く包丁で叩いてまとめておく。
②ボウルに入れて軽く練ったら押さえつけて空隙の空気を抜き,冷蔵庫で味がなじむまで寝かせておく。練りすぎると出来上がりがカマボコのようになってしまってつまらないので注意。細かく切った筋肉の繊維がつぶれていないくらいが丁度良い。
具材のとり合わせは,もっと野菜ッ気がほしければ,みじん切りにして水分を堅く絞った白菜を加えてもよいが,加えすぎると加熱したときに水気が出てきて生臭みを生じる原因となる。また,ショウガも,効かせ過ぎは風味がきつすぎるのでご注意。
次に皮を作ろう。
③強力粉と薄力粉と水を3:1:1でボウルに混ぜ合わせ,よく練る。堅さは耳たぶ程度となるよう,水加減は適宜。良く練って表面が滑らかになってきたら,ゲンコツ大にまとめ,表面が乾燥しないように固く絞ったぬれぶきんをボウルにかぶせて1時間ほど寝かせる。この作業によって,生地に粘りと腰が出るのである。
④中華料理やならば麺打ち台などがあるのでしょうが,ウチにはない。食卓をそのまま使うわけにもいかぬ。で,どうするかといえば,コタツの天板を持ち出し,表面を濡らしたフキンで拭き,乾かぬうちに,ここに切って開いた大きなゴミ袋(ナイロン質のものがよい)をピッタリ貼り付けて使用するとズレず汚れずで具合がよいのである。台の表面を濡らしすぎても乾きすぎても,ピッタリは張り付かないので,そのへん加減されたし。
⑤台の表面に薄力粉で打ち粉をし,両手で粘土細工の要領で,寝かせた生地を直径3~4㎝の棒状(ヒモ状)に長くする。これを1~1.5センチほどに包丁で切ったそれぞれが皮1個分。当然ながら皮の大きさは,ニョロニョロにする太さと切る幅で決まってくるので調節すればよい。
⑥切り分けた皮一個分を断面を上に置き,広げた手の掌の真ん中で押しつぶす。そして,丸くつぶれた生地の外側から中心へ向かってギュッと麺棒で延ばしていく。麺棒は細めがいいので,大勢でやるときは塩ビ管をノコギリでちょん切ったものを用意すればいい。さて,皮を延ばすとき,一回中心まで延ばしたら,左手で皮の向こう側をつまんで右回りに少し回してやる,そして次の一回を延ばし,という具合にくり返し,4回程度で,丸い薄い皮になれば完成。別に,厚くたってイビツだって構わない。うまくできれば周りから中心に向けて押し延ばしていった結果,皮の真ん中に小さなおへそのような厚い部分ができているはず。この歯ごたえがまた旨いのである。さあ,誰が一番上手にできるかな?
⑦できあがった皮に,具を包む。左手に皮を乗せ,小さじで具を乗せたら,まず皮の向こう端に手前端を重ねるように向こう側に半分に折る。そして,左右から皮を寄せてきて手の指を組むようにした中に餃子を持って,交叉させた両手の人差し指と指圧するようなかたちで揃えた親指の間で,ギュッと挟んで,口を閉じてやる。中の空気が抜けるように気配りをよろしく。ワカルカナ? 市販の皮と違って,水をつけなくてもくっつきます。市販の焼き餃子のようにヒダヒダをつける必要もナシ。ただし,入れる具が多すぎると皮が破れてしまうのでご注意。
⑧包み終わった餃子は,互いにくっつかないように打ち粉をしたバットに並べておく。
さあ,準備ができたら茹でましょう。
⑨大きめの鍋に湯を沸騰させ,お玉でゆっくりと水流を作ってやりながら,餃子を投じていく。この間,ずっと強火でよい。一回に入れる個数は,鍋の表面に餃子が浮いたときに重ならず一様に分布する程度。
⑩湯が吹き上がって餃子が浮いてきたら,差し水をコップに1杯注ぎ,ひき続きお玉でかき混ぜていく。いったん餃子が沈みますね。
⑪再び餃子が浮いたら,再度差し水を。そして,次に餃子が浮き上がったときが食べ頃。小さい餃子に作った場合は,差し水を一回して次の吹き上がりで完成。大きさにより差し水~吹き上がりの回数を調節するわけだ。茹で上がりの目安は,餃子の皮の縁が半透明になった頃合い。目を離せない勝負どころ。
⑫茹で上がったら皿にとって熱々を各自小皿の各種タレに浸して食うわけだが,シンプルに酢醤油にゴマ油ないしラー油少々を垂らして食うのが最上と思う。ほかは各家庭でご随意に。
このようにして次々と茹でて,ムシャムシャと,腹一杯,食ってくだされ。
焼き餃子のような面倒もいらず,大量にどんどん作って,居合わせる皆が幸せになってゆくのが,水餃子のいいところなのであります。みんなで作った餃子は,そりゃおいしいよ~。
次はねえ・・・。
たとえば休日の昼下がりなど,ちょいと洒落て,サバを使ったスパゲッティーなどいかがでしょうか。できれば前の晩にソースだけ作っておくのがいいな。
【 サバのパスタ 】伊太利亜
スペイン・イタリアは,欧米諸国に属する中でも秀でたサカナッ食いカントリー。サバのパスタがあるのです。と言っても実際にアチラで食べたことはないので,あるらしいのです,というのが正確なところであるが,これが自己流にやっても十分旨い。要は,アチラの料理の構造を理解していけば,何とでもなる,ということ。ここで紹介するのは,いわばサバのボロネーズ,すなわちミートソースだ。生サバでなくとも塩サバでやってもよい。
①サバは三枚におろし,タテ半分に切って中骨を切り除き,1~2㎝程度のサイコロ状に切り,軽く塩を当てて味がなじむまで暫く置く(塩サバは塩をせずにそのまま用いてよい)。
②深手のフライパンないし鍋にオリーブ油をゆるやかに熱し,ニンニクのみじん切り少々とタカノツメ1本で香りが出たら中火にしてサバを投入し,粗挽きコショウを振って炒め,ここにワインもしくは酒少量を注いで煮立たせアルコールを飛ばす。
③ここに5㎜程度にクシ切りにしたタマネギをざっくり加えてしんなりするまで炒めたら,トマトを摺り下ろして加える。竹で作った「鬼おろし」があると作業が早いので重宝する。トマトの旬からはずれた時期であれば,市販のトマトピューレやトマトソースの瓶詰めを用いても可。
④強めの強火で煮立たせアクを取り終えたら,塩で味加減し,月桂樹の葉を一枚加えてそのまま弱めの中火で煮詰めていく。好みでバジルやオレガノを少量振っておいてもよい。水分が蒸発してドロッとなってきた頃に味をみたとき,“ほんのちょっと塩気が足りないかな”,と思うくらいに味を仕上げておく。ここできつめの塩気を入れてしまうと,食べ終わりの時点ではかなりきついと感じるハメとなる。濃い味が特に好きな方はその限りではないが,およそ麺類のダシやソースの塩加減は,食べ終わったときに味の充足感が満たされる程度とするのが丁度良いように思う。かといって,単なる薄味では物足りない。そこが見極めのセンスというものだ。丁度良さってどんな良さ? こういうところにこそ果敢に挑戦してみてほしい。
⑤うっすらと芯が残る程度に塩水で茹で上げた好みのパスタの水気を切り,オリーブ油を薄くひいたフライパンを熱したところに投入し,ひと炒めしたところで④までで出来上がったソースを適量かけ回し,あおって絡ませたらひと呼吸置いて火を止める。これで完成。
粉チーズをかけても差し支えなく合う。
先述したシメサバとリンゴの取り合わせといい,このサバパスタといい,西洋風にアレンジしたとたんに洋酒が合うようになる。広範なサカナの中でもサバでなくてはこの味が出ない,という料理は多いものの,畜肉の料理をサバでやってもナカナカに合うところをみると,サバ肉が,サカナとしての主張を保ちつつ,畜肉にも通ずる血液および旨味バランスをもっているということなのだろう。
そして,最後に紹介するのがサバカレー,これぞ異国版サバ料理として秀逸な一品。
【 サバのカレー 】印度
およそサバほどカレー風味と合う魚もあるまい。不思議であるが,試してみられたらよい。イワシでは生臭みが勝るし骨がましい。アジやサンマなどでは筋肉繊維が頼りなくコクが足りぬ。マグロでは味と筋肉はしっかりしていてもバサバサ感が否めず大味となる。南洋の島モルジブあたりではカツオのカレーが定番であるが,味はマグロ寄りでキメが粗くて食い飽きる。タラを使ってあっさり仕上げてもいいのであるが,なにやら物足りないのでほかのダシなど入れざるを得ない。あえて対抗馬を挙げるならばブリあたりか。とはいえやはり,総合点でサバには勝てぬ。
これまで何度やってみても,結局サバに帰着してしまうのである。迷宮に入って辻に立ついろいろな人物にいろいろなことを教わったけれど結局元に戻りました,という感じでサバに戻ってくる。これこそ「サバでもできる」ではなく,「サバでなければいけない」ということなのだ。いやホント。ウソだと思ったらやってみて。
要は,サバのもつ特質,あの太さに対する断面積と筋繊維の質,そして皮側にある脂と肉の旨味とコク,多すぎない骨の所在と数など,ぶつ切りや半身にしたときの総合的なバランスが,カレーと相性が良い。何よりも,カレー味に負けない味のパンチを備えているということだ。
我が家では,サカナのカレーといえばサバであるが,十数年前に,まき網大国:千葉県銚子の加工業者が「サバカレー」の缶詰を売り出して,今も続くヒット商品となっており,道の駅なんかで売っている。缶詰としてはけして安くはないのに売れている。イワシカレーも併せて販売しているが,やはりコチラはたいした味ではない。ワタクシとて振り返れば,サバカレーでひと山当てることもできたのではないか,などと妄想するも風の彼方。いずれにせよ,缶詰にそんな金をかけずとも自家製が十二分に旨いのだから,せっせと自宅で煮込むこととなる。
というわけでサバカレーの作り方を。これも生サバだけでなく塩サバを用いてもOKの料理だ。ただしカレーの本場,かのインドでこのようなサバを使ったカレーがあるや否や,それは存じ上げぬ。
①サバは二枚におろして3~5㎝幅に切り,塩・コショウを振って表面に水分がにじみ出るまで暫く置く。骨がイヤだという人は,つまらないが三枚におろして身だけ用いても結構。ただし出来上がりの味わいが減じるのはいたしかたなし。
②サバは全体に軽く塩をして30分ほど置き,薄力粉をまぶし,フライパンに多めに熱したサラダ油で深めのキツネ色になるまで中火で焼き上げ,別皿に取り置く。粉を無駄なく使うには,スーパーの袋に少々の小麦粉を入れ,ここに切り身を放り込み,空気で膨らませてバタバタ振る。これでまんべんなく粉がつくし,余分な粉も落ちる。
③サバの脂香が残っている同じ鍋の3分の1のと多めのタマネギをみじん切りにして入れて弱火とし,ゆっくり炒め,飴色になったところでカレー粉を加えて更に炒め,香りが立ったら水を注ぐ。炒めるときタマネギと共にニンニク及びショウガのみじん切りを加えてもよい。
④ニンジン,ジャガイモ等,日本型カレーライスの定番野菜を小さめの小口に切り投入し,しっかり火が通るまで煮る。
⑤野菜に十分火が通ったら,取り置いたサバを投入し,中火にしてアクをとりながら煮ていく。煮進むほどにサバを包んだ香ばしい小麦粉が溶けだしてとろみがつくし,サバからはダシがにじみ出てくる。ここで塩と少量の薄口醤油で味を調える。市販のカレールーを用いる場合には,調味料は加えず,ここで火を弱火にしてルーを加える。
⑥そのまま弱火で,時々かきまぜながら煮詰めていき,最後にもういちど確認して完成。
多くの畜肉を用いたカレーが,出来上がりから一晩寝かせたほうが味が落ち着き旨さを増すのに対し,一般的にエビやイカ,貝類などの海鮮カレーはできたてが旨く,寝かせると具材が脱水してバサつくようになる。が,サバの場合,畜肉に近いためか,寝かせて翌日も,更に旨くなっているので大変よろしい。
こうして書いている間にも,何やらムラムラと食いたくなってくるサバカレーの誘惑。いちど味わってみてほしい。
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ここまで,生モノ5品,加熱モノ4品,外国モノ3品と,紹介してきたが,これらとは別に,日本海にはタマシイを揺さぶるサバ料理の逸品が存在する。しかしこの料理は,“作り方”,などと記述表現できるような性質のものではなく,次項,別記として記すにとどめおくのでお目汚しまで。
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別記1【 サバの浜焼き 】
世にはたいした郷土料理がひしめいている。中でもサバに火を通した料理で,保存もきき,食べて旨く,姿がいい,そんな料理がこの「浜焼き」だ。
浜焼きとひとくちに言ってもここでは単なる野外でやる海鮮バーベキューではなく,保存食ないし贈答用などハレの食として加工・伝承された浜焼きのことだ。同じ「浜焼き」の発音であっても日本海と瀬戸内海では趣きと扱われ方が違う。共通しているのは,単なる塩を振って焼いたものではなく,保存性と旨味性を両立するべく,塩が内部まで浸透するよう加減されており,しっかりと焼き締められている点だ。
瀬戸内海の浜焼きは,鯛に代表され,主に塩田があった香川県讃岐地方や,播州赤穂といった各地域で,その塩を用いて作られる焼き鯛のこと。最近では養殖ダイも増えたが,本来は春の「魚島(瀬戸内海で餌となるイカナゴが大発生する時期に,それを追ったタイやサワラが集結する様を指した表現)」の頃,獲れたタイに塩を当て,炭火や塩竃で焼き上げたもので,全体が桜色がかったキツネ色に仕上がっているにもかかわらず,ヒレ一本として焦げ落ちていない,その技術と塩加減がみごと。
特に香川のそれは「菅笠」に挟まれて店頭に並んでいる,明らかに尋常の食とは異なるいでたちであり,やはり今も贈答用や引き出物などに使われている,いわゆる「祝い鯛」だ。菅笠といえば四国の太平洋側徳島県の阿波踊りには欠かせざる装束。瀬戸内の焼き鯛との出会いやいかにと思い巡らすが,とりあえず保留。
一方,日本海のそれは,山陰から北陸を中心として発達しており,本来は漁師が獲ってきたサカナを下ごしらえし,塩を振って串を打って軒先でおこした炭火で姿良くこんがり焼き上げ,市中・山中などの鮮魚に手が届かない人々に売り歩いたのが原型だ。今は加工屋や魚屋が作っていることが多いが,元々漁師起源のせいか,マダイ,アマダイ,アジ,サバ等々,種類が多い。 タイは別格としても,その他のサカナは専ら日常食である。こちらも瀬戸内に負けず,美しい焼き上がりを呈している。ここで言う「サバの浜焼き」はそれだ。
獲れたサバを背割りにして塩を当て,開かれた身を元の形に戻すようにして太めの平たい竹串で縫うように“うねり串”を打つ。やわからいサバが見事に原型を取り戻し,そして頭を下にして炭火にかざされ,じっくり焼かれていく。さすがに今はガス火が主流となったものの,今でも炭火で焼いてくれるウレシイ家がある。
タイをはじめとして他のサカナの浜焼きもたいしたものではあるのだが,サバの浜焼きには特有の美しさと味わいがある。まず,まんべんなく表面が飴色がかった金色に輝く焼き色を呈している。が,一点も焦げてはいない。それが泳ぐようにうねる様は,じっくり眺めるうちに自分の心もいつしかいっしょにうねり躍動してくる。サバが自分か,自分がサバか。我と浜焼きサバが同化してゆくのだ。
かような幻想を振り払い、そのままかじりついたって気持ちがいいには違いないが,ここはまあとりあえず串をはずし,箸をつけると,堅からず柔らかからずで,しっとりと水分と脂が抜けており,深く香ばしく旨い。しかも焼いて時間が経って冷めているにもかかわらず,サバの香りはあっても臭味はないのがスゴイ。鮮度・処理・塩加減・焼き加減のなせるワザだ。
また,それを当地では“むしって食う”という庶民性がステキだ。今日のお昼は味噌汁炊いて浜焼きむしってご飯にしました,という飾り気のなさだ。むろん,タイだろうが何だろうが,浜焼きはムシらんと食えんわけだが,その響きはサバのためにあるように思う。最近では「焼きサバ寿司」と称して,浜焼きサバと酢飯を押した寿司がけっこう出回っているが,これは最近にわかに作られはじめたもので,味付けや添加物など,いろいろいじりすぎていて,本来の風味を損ねているように思う。
ここ境港でも,島根と鳥取どっちつかずの辺境の土地柄ながら,スーパーにもサバの浜焼きがトレイにラップされて並ぶ。残念ながら国産サバは滅多に見なくなったが,あればやはり手を伸ばしてしまう。
むしって食うのもいい。それを野菜だけの味噌汁の実として落とすのもいいし,むしった身をフライパンで暖めて醤油をちょっと加え,炊きたてのご飯に混ぜて食うのも,なんとも旨いものだ。塩もみしたキュウリを水でさらして絞ったやつと酢の物にするのもいい。このときには煎りゴマを共に和える。焼きサバ自身の塩味も良い加減であるが,むしった身を酢醤油やショウガ醤油,あるいは唐辛子をちぎった醤油などに,チョンとつけて噛みしめつつ冷や酒を飲むのもいい。
「サバの浜焼き」をあえて“別記”としたのは,素材の入手からはじまって技術および設備的に考えても自宅で真似して容易に作れるようなものではなく,素材が入手できる環境と長い土着の歴史の中で培われた経験的ノウハウがあってこそ初めて完成を見るのであって,やはりそのようなものは当地に赴き買い求めねばならぬ,というのがその理由だ。最近は“お取り寄せ”もあるにせよ,土地の暮らしの匂いと一体となった風味・雅味は味わえまい。いずれにせよサカナ好きにはこたえられない一品なので,よろしければ心の片隅に置いてやっていただきたい。
別記2【 サバ寿司 】
日本海が生み,京の都が育んだ,この郷土料理がもつ諸々の奥深さについては,過去ログ「末期のサカナ」で全て書いたので,今更述べるべくもない。三枚におろしたサバを塩と酢で締め,甘めの酢飯に乗せて棒状に押した寿司だ。
ドコソコの店のが旨いといったグルメ評論も見かけるが,基本的には家庭のものだ。この寿司の親戚として,薄く梳き昆布を貼り付けて角形に押した関東のバッテラや,頭をつけたまま背開きにして白ゴマ入り酢飯と押した高知の姿寿司,その他各地にちらほら類似性のあるサバ寿司が分布するが,そのような知識はこの料理の本質とはかかわりのないことだ。それぞれの舌と心の底に結びついていればそれでいい。
どういうわけか,私のこれまでの人生において,さまざまな形で,サバ寿司は心象風景と強く結びついている。いろんなところでいろんな人と,いろんな気持ちで食べたサバ寿司があった。そのシーンが,どうわけかほとんど記憶に残っている。別に京都の人間というわけではないのだが。
左様にサバ寿司とワタクシとの関係は,混沌として深く,旨さを越えた何かがあるようで,実はあまり多くを語れない。ですから,皆様それぞれにとっての良きサバ寿司との出会いを祈るのみ。
作り方については,またいつか書く日もあろう。
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今回は,以上。
よく,サバは“青ザカナ臭い”と言われる。だから,昔から方程式のように,青ザカナはショウガで臭味を消してと言われてきたし,最近ではハーブやカレー粉などの香辛料を加えてどうのこうのといった料理も世間には多いように見受ける。
が,これまで紹介してきたサバ料理の中で,たとえばショウガなどを使ったとしても,臭味消しとしてではないことをお気づきであろうか。たとえばサバの味噌煮のように,それはその料理とショウガの味および風味が合うから使うのであって,けして臭味消しではないのである。
逆に,サバ料理=臭味消しが必要=ショウガ使用,といった先入観は,せっかくの“サバ風味”,すなわち甘味と酸味とコク味が渾然となった味わいバランスを無視して単調な味にしてしまうことのほうが,むしろ多い。
状態の良いサバを入手し,適切な処理と調理方法,たとえば汁であれば前回の「アクとつき合う」で述べたアクの取り加減を意識していれば,何等臭くはならない。既に述べたように,もし生臭いと感じたら,これらの工程でなんらかの不備があったと振り返るべきだ。
世間には,もっと臭味消しが必要な魚がたくさんある。青ザカナの中でもイワシの方が若干臭味が強いのでショウガを求めることがあるが,これも鮮度と処理問題の範疇で,いらない場合も多い。
むしろ過去ログでお話ししたスズキの青臭さ然り,スルメイカやアオリイカの臭み然り,意外と思うかも知れないが白身魚で淡泊と言われるシロギスやアイナメ特有のクセ然り,白身系の魚であっても特有のクセを持つものは多いのであって,むしろそのようなものにこそ臭味消しの意味でのショウガは合う。でなければ,先述したように,サバの刺身にはショウガが合って,シメサバにはショウガが合わずワサビが合うといったことの説明がつかない。
やはりひとえに,味として相性がいいかどうかが吟味の第一であって,その観点からも,いいかげんに我々はサバをショウガの束縛から解き放ってやらねばならんのではないか,と思う次第。
九州地方には豚骨ラーメンで気合いの入ったスープを吸わせてくれる店が何軒かあるが,本当の豚骨好きは,紅ショウガを入れない。豚骨の風味を殺してしまうと言うのだ。臭味と香りは紙一重の面があるにせよ,上手にとった豚骨ダシは,その線がしっかりしていて、単純に臭いだけではないからだ。
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今回はワタクシ的に主力たるサバがテーマだけあって,これまでにない長編になってしまった。ご迷惑かとも思うが,サバぢからのなせるワザということでご容赦を。サバの旨さは,食べ重ねるほどに筆舌に尽くしがたいと,つくづく思う。
以上述べ来た料理のほか,竜田やフライに揚げたり,グラタンだとか薫製にしたりと世間にはいろいろあって,それぞれに旨いものにはちがいないが,あんまりアレコレありすぎても混乱するし,あんまりいじくるとサバの真味を損なうと思うので割愛した。まあ、サバはよほどヘタを打たないかぎり,どうやっても旨いサカナですから,それを信じて更においしくしてやってほしい。
サバよ,ありがとう。
2007年12月16日
「アク」とつきあう
いつものように翌1日分のカツオ昆布ダシをとる夜半,鍋の面に浮かぶ半透明のアブクをさらっては捨てつつフト考えた。このアブク,いわゆる「アク」とはなんぞや。今回はそのへんを追究してみたい。
たしかに,このダシをとる過程で,コヤツを除いてやらねば,カツオに限らず煮干しなどサカナ系のダシ素材であれば,主に酸化した脂肪に由来する渋み,それからサカナ特有の生臭み,乾物臭等が残ってしまうため,従って,欠かさざる作業となっているわけだが,たとえば,いつぞや当家過去ログ「もうひとつの塩煮」の中で紹介した長崎県南部に分布する塩魚を使った汁の作り方を思い出す。
水からジャガイモを入れて強火で加熱し,きつい塩をした魚を入れてからも強火で一気に加熱しつつアクをとりつづけ,スープが澄んだところで火を弱火に落としてからスライスしたタマネギを入れたのち味を調整するわけだが,これを,火を落とさずに強火に戻して加熱し続けるとどうなるかというと,火を落としてからは出なくなっていたアクが,再びドンドン湧きだして,一時は澄んでいたスープは白濁し始め,延々とアクをとり続けたあげく鍋の中は豚骨スープ化し,肝心の魚は身や骨が崩れ,何やら溶解したドギツイシロモノに変貌してしまうのである。
このことからつまり,澄まし汁だろうが豚骨スープだろうが,料理にはそれぞれ「アクのとり加減」というようなものが存在するらしい,ということがわかってくる。アクをとらないのはダメ。とりすぎてもダメ。「汁は煮えばな」を良しとするのは,その煮加減もさることながら,アクのとり加減というか“とれ加減”,というようなバランス点とタイミングを併せて指している言葉のようにも思われる。
さて,いろいろ料理をしながらアクというものを観察してみると,ひとことでアクと言ってもいくつかのタイプに分類されることがわかる。おおむね次のとおりではなかろうか。
1.加熱によって生じるアク
①煮沸する素材の表面を沸騰した水ないしその泡が流れることにより,素材表面の汚れ等を掻き取るもの(たとえばサカナのアラで上品な潮汁をつくるとき,あるいは鍋に入れる切り身の臭味を除くための下ごしらえなど)。
②煮沸する素材が含む水分の温度が沸騰点に近くなるにつれ,素材から水分が湧出し,泡となって浮くもの(野菜の炊き合わせなどをつくるとき,温度の上昇に伴って生じるもの)。
③煮沸する素材の温度が上昇するにつれ,内部の,主に蛋白質が外部に滲出し,それが熱によって固まり,気泡が付着して浮くもの(主にサカナの煮付けなど)。
2.加熱によらずに生じるアク
①水や湯に浸すことによって水に溶出する苦味,えぐ味,渋味,色素など(ナスやゴボウ,キュウリ等の下処理,漬け物にする青魚などを水でさらすなど)。
②主にアルカリ性ないし吸収性の高い成分を加えた水ないしお湯に浸けることによって溶出する①と同様の,いわゆる雑味。(たとえばワラビを藁灰と湯で浸したり,大根やタケノコを米ぬかで煮冷ましたりといったこと)
そして,一般的に我々は,加熱しながら生じるアクの除去を「アクをとる」といい,加熱によらない方法を「アクを抜く」などと言い慣わしているようだ,というようなことも思い当たりますね。後者は主に野菜で行われているが,魚や肉を流水に浸しておこなう「血抜き」といったことも広義にアク抜きと呼んでいる。
というようなアクとり談義はさておき・・・,
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相変わらず雪は降らんし水温もぬくいままであるが,まあカレンダーではもうほとんど冬であるから,日本の冬といえば鍋,と言ってもおかしくない。実はこの「鍋料理」というやつが,アクについて学ぶ上で,大変優良な教材なのです。
たとえば・・・,
冬の場末の酒場における忘年会,職場の十数人が三々五々集まって大鍋を囲むとき,ダシがたぎったら店のおばちゃんがやってきて,所定の時間内に終わらせて次の客を入れたいものだから,ホラ入れろソラ入れろとサカナから貝からエビから,白菜・春菊・白ネギを問わず,尻を叩かれつつドンドン放り込まざるをえない状況となり,とにかくバサリと蓋をして,あの大きな蓋の穴からブーッと激しい湯気が吹き上ったら,こんどはアチチなんて言いながら誰かがとりあげた土鍋の蓋を持ったまましばしうろたえるというような光景が一段落したところで,あらためて皆がのぞき込む食膳の中心に鎮座するのは,鍋に山盛りの地獄汁である。この店ではこれを“海鮮寄せ鍋”と称しているようだ。
そして見よ,その有り様を。その結果を。鍋の縁には諸々の食材から噴出した成分の混合物がベットリとこびりつき,肝心の魚や貝やエビはダシがすっかり抜けてスカスカに崩れて堅くなっており,野菜は歯ごたえを失いぐったりしているのではないか。当初は琥珀色に半透明であったダシにいたっては,既にすっかり白濁し,色も何やらおかしげな気配。
けれども,でもいいや・・・,と思い直す。みんなでつつくのだから。年に一度の忘年会なのだから。と気持ちを切り替えて,小鉢に具を取り分け,ケソケソと身肉を噛み,ペシャペシャとネギや白菜を舐め食い,ジルジルと雑味に満ちたダシを吸うのである。こんな鍋には,アルコール臭い安酒の,つきすぎた燗がお似合いだ。
しかし,だ。これはお鍋という料理が創出する“和”の精神と,年の暮れであるというハレ的要素が事態をこの程度で治めているのであって,冷静に考えてしまっては悶絶の対象以外のなにものでもない。おれたちはブタか,と唸ってしまうのである。世の中には「食べて腹が立つ食べ物」というのが存在する。
こんなことが起こるのも,提供する側・される側双方において,食材に対する熱の加減ということ,およびそれに伴う,本日のテーマであるアクに対する認識がおろそかにされている結果であろう,と思うのである。
この一連の出来事を体験してわかるとおり,「アクというものをとらないと,食味上極めて悪辣な働きをする」,ということにまず思い知らされる。そして次に「アクというものは熱の加減と表裏一体である」,というしくみもわかってくるであろう。そして,この2点をないがしろにすることが,いかに鍋料理をダメにするか,ということを痛感し,更に,そうしてしまったのは当の我々である,という事実に愕然とし,慚愧の念にさいなまれるハメに陥るのである。ま,冷静に考えればのハナシですが。
その点,本来の「日本の鍋の作法」というものは,火加減をもってアクを上手に取り去り,それぞれの具材の持ち味を最高のタイミングで味わえるようできている。すなわちそれぞれの「味の輪郭」を際立たせて,更に複合させて味わうように仕組まれている。
ここで,どんなサカナでも,野菜でも,肉でも,簡易で大変美味しく食べることのできる,人心および味覚に優しい鍋の作り方およびその作法などを述べながら,併せてアクというものについて考えていきたい。
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【 「優しいお鍋」の作り方 】
鍋料理というものは,多様な具材に合わせてその調味の構成を変え,かつそれは地域の風土ないし各人の好みに依るところも大きい。全国を眺めてみれば、味噌あり,醤油あり,牛乳や豆乳もあろう。
従ってあえてここで紹介するのは,汎用性が高く,概ねどのような具材を用いても支障をきたさない,誰でも美味しく作れる鍋である。
まず,下地(ダシ)を作ろう。
1.下地を調える
①鍋に水を7分目ほど張り,ダシ昆布を1枚入れ,中火に点火する。
②沸騰する直前に,昆布を取り出しておく。
③まず薄口醤油(できれば無添加で質の良いもの。我が家では「チョーコーの特選うすむらさき」を使用)を徐々に注いでいき,塩加減を澄まし汁よりちょっとだけ濃いめに調える。
④次に,ミリン(できればちゃんとしたミリンを。タカラの本みりんで可)をごく少量ずつ注ぎ,ほのかな甘さを感じる程度に調える。塩味の“カド”を丸めてやるイメージで。
なお,これら塩加減と甘味加減は,各家庭の味に関わることなので,絶対的な分量は表記しない。
⑤調味し終わったら,一度沸騰させ,ここでいったんアクをとる。何も入っていないのになんで?と思うかもしれないが,これ大切。実は調味料にもそれなりのアクがあるので,これが雑味となる。ちなみに添加物の多い調味料は,沸騰させると味に変調をきたすので要注意ですぞ。
2.具材を準備する
次に,具を何にするか。動物質と植物質を季節に合わせて,互いに邪魔しないもの同士を取り合わせるのがよい。そして鮮度が最重要であることは,言うまでもない。
で,ここで作った下地に合う鍋といえば,
例1)鳥もも肉のぶつ切りないし手羽元と長ネギ,白菜,キノコ類
例2)スライスしたイノシシ,アイガモ,シカ肉等と,ゴボウ,長ネギ,セリ,キノコ類
例3)各種エビやカニなど甲殻類と,長ネギ,白菜,水菜
例4)鯨の皮,あるいは油揚げの短冊切りと水菜
例5)スズキ,タイ,タラ,カワハギなどの切り身・アラと,長ネギ,白菜,春菊,豆腐
例6)豚肉のスライスと長ネギ,白菜,春菊,ニンニクのスライス
例7)牛肉のスライスとゴボウ,長ネギ,白菜,春菊,キノコ類
等々。
鍋を作る過程で最もつまらない状況といえば,すでに或る忘年会の一場面で述べたとおり,ゴタゴタいろいろ入れすぎて,ゴッタ煮になってしまうことだ。それさえ避ければ好みによってなんでもいいのであるが,取り合わせのコツは,季節感もさることながら,野菜の甘味が必要な場合は長ネギや白菜を,合間に季節の香りの野菜で一息つきたいような具がメインである場合は春菊やセリを,気持ちのよい歯ざわりとほのかな苦みが欲しければ水菜を,もうひとつ他の旨味成分も欲しいときにはキノコも加える,豆腐はダシを吸わせて旨いものであるが,アクの強い肉(鶏を除く畜肉や青魚類)には向かないように思う,といった具合に,“必要だから”,合わせるのである。やもすると我々は,普遍的な鍋の具が存在するかのような錯覚にとらわれたまま惰性で鍋の具を揃えてはいまいか。
具材準備のひとつのコツは,“鍋が終わった後のダシの風味が良くなるように”イメージして取り合わせることだ。「最後に残ったダシの味が美しく旨い」=「それ以前に具材が取り合わせ良くおいしく食べられた結果である」という法則が,鍋料理では成立する。これはあたかも,包丁を研ぐときに,「包丁を研ごうとするのではなく砥石を鏡のように平らに磨くイメージで」,というのと似ている。メインの動物性の具を決めたら,野菜類は最小限数種類を,相性を十分に吟味して合わせたい。
ちなみに最もシンプルな鍋といえば,短冊切りの油揚げと水菜の鍋,アサリのむき身と千切り大根の鍋,脂の乗ったマグロと長ネギだけの鍋,あたりが思い浮かぶが,これは味わってみればわかることだが,ある意味,鍋の本質を突いた取り合わせと言えるのではないか。よく考えた末に厳選されたのか,もしくはいろいろ入れていたのが淘汰されて現存しているのか,あるいは庶民の生活で季節の安いものを一品ずつなんとか揃えてみました,といったことなのか,いろいろ想像されるが,いずれにせよ簡易かつ簡素で出会いのもの,という点では完成されている。食えばワカル。
3.具材の切り方
食材の性状と理想的な火の通り方を考えれば,肉やサカナで血の気や脂っ気の強いものであればスライスし,アクの少ない白身魚や鳥,エビやカニは,大きくブツ切りのほうがよい。
一方,切り方が大切なのは,むしろ野菜の方だ。
鍋というものは,一種の「煮食い」であり,その中でもすき焼きなどよりも更に短時間で加熱する料理であるから,煮えた端から最善のタイミング見計らって順次食べていくことが肝要。そのときに,ネギは煮えたが白菜の中央部分がまだ生であります!ということでは困るし,それではせっかくのメインの具のダシを吸ってくれない。だから,下ごしらえに注意する必要があるのだ。
①ネギ:すき焼きやマグロを使ったネギマ鍋などで筒切りにした長ネギを用いるが,これは或る程度煮込む旨さであって,ここで述べる鍋料理の場合,まさに煮えばなをダシや肉と共に食って食感も合わせて旨いのがネギ。だから筒切りは向かない。厚さ5ミリ以下にナナメに長く,削ぐように切りそろえておく。
②白菜:はいだ葉を重ねたら,まずタテに半分に切り,葉元のほうから8~10ミリ程度の厚さで小口切りにしておく。よく飲食店で供されるように大振りに切っては煮ムラが生じるし,他の具材との相性が悪い。また,同様に,大量に切っておく必要はない。宴会で大量の白菜が残っているのをよく見かけて勿体ないことだ。足りなければ,また切ればよい。
③春菊:中心の堅い茎から葉を全て下方向に引きはずし,葉の部分だけを用いる。残った軸は小口に微塵に切って,シラス干し及び煎り白ゴマと共に炒めておき,常備菜とすればよい。
④セリ・水菜:痛んだ葉を除き,7㎝程度に切りそろえておく。
⑤ゴボウ:表面をステンレスタワシで擦り,7㎝程度の長めのササガキに薄く削って薄い酢水にサッと浸し,ザルに上げておく(これは“アク抜き”ですね)。
⑥キノコ類:バラバラにせず,シメジであれば2~3本,エノキであればふたつまみくらいの大きさに房分けをする。マイタケはダシを汚すのであまり用いないが,牛肉やアクの強い獣肉には合う。これは根を切ったら,適宜タテに裂いておく。エリンギも同様に。
⑦豆腐:あまり小さくは切らず,一丁を6等分くらいに分けておく。カレー用の大きなスプーンにちょうど乗るくらいが大きさの目安。
4.鍋の作法
さて,いよいよ煮方についてだ。
これを間違えると,“あとあと”の味が変わってくるので注意を要する。
①まず,火を加減し,沸騰手前,“フツフツ”と静かに湧く程度にダシを加熱する。ゴボウを使う場合は,ここで大きくひとつかみ入れておく。
②そこにメインの具を場の人数に行き渡る分だけ入れる。初めはダシが白濁するが,アクをとっていくに従い,澄んでくる。この一瞬が食べどきであるから,すかさず各自の椀に少量のダシと共に取り分ける。初々しいダシをときどき吸いながらホカホカでジューシーな肉や魚をほおばる,これが鍋の始まり。これを別皿でポン酢にちょいと浸して食べるのもいいし,小鉢に唐辛子などをパラリと振り入れるのもいい。
③ここで豆腐があれば,先に入れてしまう。最後のほうでダシを吸ったやつを食べるのが楽しみだ。
④残りのスペースに,ネギをパラパラ入れ,しんなりしたら,すぐにダシと共に食べてしまう。
⑤再度メインの具を入れ,タイミングをずらしてネギを入れ,アクをとりつつ,スープが澄んだところでネギと共に味わう。
⑥春菊やセリ,水菜をパラパラと入れ,一呼吸置いたらスグに食べる。ネギと合わせて食うのもよい。
⑦白菜やキノコ類をざっくりと投入し,その傍ら,空いたスペースでゆるやかに②ないし④~⑥を繰り返し食べ進む。その間も適宜アクをとり続けるのを忘れずに。
⑧白菜がしんなり煮えた時点で,他の具材などもいろいろ取り合わせながら,そして最後の方では豆腐もゆっくり味わいながら,食い進んでいく。豆腐の食べ頃は,“豆腐内の水分がダシと置き換わった頃合い”というが,わかるかナ?
⑨,いずれにせよ,基本的に
「火加減を常に静かにフツフツたぎる程度に調節し,けして沸騰させないこと」,
「最初から最後までアクをとり続けること」,
「鍋内で煮えた具および野菜類をあらかた食べてしまってから次のものを入れること」
というのが守るべき原則であって,あとは自由に楽しめばよい。要は即席の「合わせ味」の料理なので,センスの問題だ。
⑩メインの具もなくなった。野菜も丁度なくなった。残るはダシのみ。お腹は7~8分目。と,最後にこのような状態になったら,それは,当初のダシの味加減からメインの具と野菜の取り合わせと分量バランス,煮加減と食わせ方,等々が,ちゃんとうまくいったという証しだ。人知れずニヤリとするに値する。やりましたね,オトーサン。ということで拍手。そこで,最後まで気を抜かずにファイナルステージに臨むのだ。
5.残りダシを味わう
鍋のシメ,といえば,代表格は雑炊であろう。まずは基本的な作り方を。
雑炊とひとくちに言うが,汁が多めでサラッとした,いわゆる“雑炊”タイプと,トロリとした,いわゆる“オジヤ”タイプとに好みが分かれるところ。従って,作る前にそのへんのところを相談し,決めてかかるがよろしい。
①残りダシを,人数分のご飯を入れたときに,雑炊タイプで6分目,オジヤタイプで7分目くらいになるように水で薄める。
②味をみて,塩少々あるいは薄口醤油で,澄まし汁より若干濃いめに調味する。
③火を強火にし,沸騰する手前でご飯を投入し,中火に落とし,手前向こう方向に杓子でゆっくり常に流れを作ってやりつつ,ご飯玉を崩す。フツフツとたぎる程度に火は適宜調節する。流れを絶やさないようにし,米がダシを吸って花が咲くのを待つ。
④卵を解きほぐし,引き続き片手でご飯を回しつつ,数回に分けて“細く”卵を垂らしていく。このとき,卵を早く注いでご飯を早くかき回せばオジヤに,ゆっくり卵を注ぎ,更にゆっくりやさしく回してやれば雑炊タイプになる。このへんの技術が分かれ目。
⑤そのままでもいいが,薬味は小口に切った細ネギ少々,ないし一味唐辛子のひと振り,といったところがよく,ときどき飲食店で出すような,細切りの焼き海苔を振りかけるというようなことはしない。海苔は,その香味で臭味をマスクする効果がある反面,風味を殺す二律背反の性格をもっているため,従って,ちゃんとした流儀で作った鍋の残りダシに,海苔は邪魔なのである。
ここでは雑炊の作り方にとどめたが,これは魚やエビ・カニ,鶏肉,といったアクの少ない具材に向く。一方,アクの強い畜肉などは,ウドンのほうをおすすめしたい。その点,鶏肉は,両方に向いているので重宝する。
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この鍋の作り方・食べ方を見てわかるとおり,日本の基本的な鍋料理は,最初から最後に向かうに伴い,単味から複合味への味わいへの昇華・盛り上がり,という構成になっている。そして最後に全具材が交響楽を奏でるのが,残りダシを使った雑炊であり,ウドンであるわけだ。ここで幕が下りる。そう。あたかもあの,ラヴェルの交響楽“ボレロ”みたいですね。
こうして具体的に鍋の作り方を書いてみると,いささか格式張っているのではないか,ルールが多すぎるのではないか,ぜんぜん「優しく」ないじゃないの,と思われるかもしれないが,具材個々のおいしさ,およびその合わせ味の妙味に到達するには,マメなお世話が必要だ,ということの証明である。そのこまやかな気配り・努力の成果は,けして裏切られることはない。再度言うが,ゴッタ煮では味わえない,食べたときの「輪郭のハッキリした味」に出る。そして最後の残りダシおよびウドンなり雑炊になると,こんどは複合妙味としていよいよハッキリと成果となって出てくるのである。そして振り返ってみれば,その完成度を支えるのが,「火加減とアク取り」であることを,ご理解いただけると思う。ぜひお試しいただきたい。
それにしても,「日本の鍋料理」というのはつくづくスゴイですなあ。
だって,酒のアテから最後のごはんまで,よく考えたら鍋ひとつだけで「フルコース」構成なんですぜ。いやーまいったね。
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ここらで鍋から離れて再びアク談義に戻り,整理にかかろうとするのだが,まずあらためて「加熱して生じるアクは火加減と連動している」ということを確認しておきたい。
どのようなものにアクが存在するのかといえば,既に上述の鍋を作りながら学習してきたとおり,肉やサカナは言うに及ばず,野菜,そして酒・醤油・味噌・ミリンなどの調味料にさえ,アクはある。取りすぎれば風味を損ない,取らなければ雑味となって残る。古人はそのことをよく知っていたと見えて,和食の世界には“塩のアク”をとる技法も存在するのである。
では,どのような状況下でアクが生じるかといえば,それは強火であるほどに水分温度が上昇して気泡を生じるとき,アクは最も浮かび上がる。
従って,たとえば鍋でも汁でも,素材の質を損なわない程度に水を熱し,その気泡をもってアクをとり,汁が澄んだら弱火に落とすし,気泡を生じるほどに加熱したくない,たとえば野菜のアクを風味として少し残したまま煮たいと思えば,事前に水に浸けるなど別の方法でアクを抜き,あとは静かに煮ればよいということになる。それら処理の時間の下限もあろう。
多かれ少なかれ,アクは親の仇と断じて取らねばならないもの。されど相手を殺すほどにとりすぎてはいけない。鬼手をもってとるときはとり,ここぞというところで仏心をもって優しくピタリとやめる。これがアクとのつきあい方かと。何やら偏屈な人間とのつきあい方とも似ていますな。主張と調和、みたいな。
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食材は,炭素,水素,酸素,窒素のほかミネラル分などを主体として成っているわけだが,良い素材ほどこれらの化合物の純度が高く,バランスがよく,アクが少ない。とすれば,その点最近,地球のどこを見渡してもアクが随分溜まっているのではないか。それを基盤として生きる野菜もサカナもニンゲンも,アクが強くなったって不思議ではない。それを,どう加減良く抜くかだ。
良い食材とは,雑味が少なく味がきれいで,食べてカラダに良いもののことだ。最近,岡山の釣友の実家から送られてきた米と野菜を食べて目を瞠った。そうだ,これが野菜の味だった。心もカラダも甦る思いがした。なんでも,ご両親は山奥の清流流れるほとりにて畑作りをしておられるそうな。
人のつながり方によっては金をかけずともまだまだいいものが手に入るし,金がある人がそのようなものを手に入れるべく腐心奔走するのも人生ではあるが,一方,良くないものを拒まずこれを活かすのも,また料理の心得であろう。料理の理は,素材の成り立ちとしくみを知り,用いて活かすことに尽きる。“アク取りの加減”は,その精神の大きな一翼をなすと言えよう。
モノ食う以上,アクとのつきあいは一生続く。
ですから皆様,以後よろしくアクを十分ご理解の上おつきあいいただいて,それぞれのご家庭で優しく最高に美味しい料理を味わっていただきたい。
なんにせよ,まず相手を知ること,次に合理的に目的に見合った手段を考えること,直観だけでなく基礎も押さえておくということ,これに尽きる。その点,釣技の本質と同じですな。
たしかに,このダシをとる過程で,コヤツを除いてやらねば,カツオに限らず煮干しなどサカナ系のダシ素材であれば,主に酸化した脂肪に由来する渋み,それからサカナ特有の生臭み,乾物臭等が残ってしまうため,従って,欠かさざる作業となっているわけだが,たとえば,いつぞや当家過去ログ「もうひとつの塩煮」の中で紹介した長崎県南部に分布する塩魚を使った汁の作り方を思い出す。
水からジャガイモを入れて強火で加熱し,きつい塩をした魚を入れてからも強火で一気に加熱しつつアクをとりつづけ,スープが澄んだところで火を弱火に落としてからスライスしたタマネギを入れたのち味を調整するわけだが,これを,火を落とさずに強火に戻して加熱し続けるとどうなるかというと,火を落としてからは出なくなっていたアクが,再びドンドン湧きだして,一時は澄んでいたスープは白濁し始め,延々とアクをとり続けたあげく鍋の中は豚骨スープ化し,肝心の魚は身や骨が崩れ,何やら溶解したドギツイシロモノに変貌してしまうのである。
このことからつまり,澄まし汁だろうが豚骨スープだろうが,料理にはそれぞれ「アクのとり加減」というようなものが存在するらしい,ということがわかってくる。アクをとらないのはダメ。とりすぎてもダメ。「汁は煮えばな」を良しとするのは,その煮加減もさることながら,アクのとり加減というか“とれ加減”,というようなバランス点とタイミングを併せて指している言葉のようにも思われる。
さて,いろいろ料理をしながらアクというものを観察してみると,ひとことでアクと言ってもいくつかのタイプに分類されることがわかる。おおむね次のとおりではなかろうか。
1.加熱によって生じるアク
①煮沸する素材の表面を沸騰した水ないしその泡が流れることにより,素材表面の汚れ等を掻き取るもの(たとえばサカナのアラで上品な潮汁をつくるとき,あるいは鍋に入れる切り身の臭味を除くための下ごしらえなど)。
②煮沸する素材が含む水分の温度が沸騰点に近くなるにつれ,素材から水分が湧出し,泡となって浮くもの(野菜の炊き合わせなどをつくるとき,温度の上昇に伴って生じるもの)。
③煮沸する素材の温度が上昇するにつれ,内部の,主に蛋白質が外部に滲出し,それが熱によって固まり,気泡が付着して浮くもの(主にサカナの煮付けなど)。
2.加熱によらずに生じるアク
①水や湯に浸すことによって水に溶出する苦味,えぐ味,渋味,色素など(ナスやゴボウ,キュウリ等の下処理,漬け物にする青魚などを水でさらすなど)。
②主にアルカリ性ないし吸収性の高い成分を加えた水ないしお湯に浸けることによって溶出する①と同様の,いわゆる雑味。(たとえばワラビを藁灰と湯で浸したり,大根やタケノコを米ぬかで煮冷ましたりといったこと)
そして,一般的に我々は,加熱しながら生じるアクの除去を「アクをとる」といい,加熱によらない方法を「アクを抜く」などと言い慣わしているようだ,というようなことも思い当たりますね。後者は主に野菜で行われているが,魚や肉を流水に浸しておこなう「血抜き」といったことも広義にアク抜きと呼んでいる。
というようなアクとり談義はさておき・・・,
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相変わらず雪は降らんし水温もぬくいままであるが,まあカレンダーではもうほとんど冬であるから,日本の冬といえば鍋,と言ってもおかしくない。実はこの「鍋料理」というやつが,アクについて学ぶ上で,大変優良な教材なのです。
たとえば・・・,
冬の場末の酒場における忘年会,職場の十数人が三々五々集まって大鍋を囲むとき,ダシがたぎったら店のおばちゃんがやってきて,所定の時間内に終わらせて次の客を入れたいものだから,ホラ入れろソラ入れろとサカナから貝からエビから,白菜・春菊・白ネギを問わず,尻を叩かれつつドンドン放り込まざるをえない状況となり,とにかくバサリと蓋をして,あの大きな蓋の穴からブーッと激しい湯気が吹き上ったら,こんどはアチチなんて言いながら誰かがとりあげた土鍋の蓋を持ったまましばしうろたえるというような光景が一段落したところで,あらためて皆がのぞき込む食膳の中心に鎮座するのは,鍋に山盛りの地獄汁である。この店ではこれを“海鮮寄せ鍋”と称しているようだ。
そして見よ,その有り様を。その結果を。鍋の縁には諸々の食材から噴出した成分の混合物がベットリとこびりつき,肝心の魚や貝やエビはダシがすっかり抜けてスカスカに崩れて堅くなっており,野菜は歯ごたえを失いぐったりしているのではないか。当初は琥珀色に半透明であったダシにいたっては,既にすっかり白濁し,色も何やらおかしげな気配。
けれども,でもいいや・・・,と思い直す。みんなでつつくのだから。年に一度の忘年会なのだから。と気持ちを切り替えて,小鉢に具を取り分け,ケソケソと身肉を噛み,ペシャペシャとネギや白菜を舐め食い,ジルジルと雑味に満ちたダシを吸うのである。こんな鍋には,アルコール臭い安酒の,つきすぎた燗がお似合いだ。
しかし,だ。これはお鍋という料理が創出する“和”の精神と,年の暮れであるというハレ的要素が事態をこの程度で治めているのであって,冷静に考えてしまっては悶絶の対象以外のなにものでもない。おれたちはブタか,と唸ってしまうのである。世の中には「食べて腹が立つ食べ物」というのが存在する。
こんなことが起こるのも,提供する側・される側双方において,食材に対する熱の加減ということ,およびそれに伴う,本日のテーマであるアクに対する認識がおろそかにされている結果であろう,と思うのである。
この一連の出来事を体験してわかるとおり,「アクというものをとらないと,食味上極めて悪辣な働きをする」,ということにまず思い知らされる。そして次に「アクというものは熱の加減と表裏一体である」,というしくみもわかってくるであろう。そして,この2点をないがしろにすることが,いかに鍋料理をダメにするか,ということを痛感し,更に,そうしてしまったのは当の我々である,という事実に愕然とし,慚愧の念にさいなまれるハメに陥るのである。ま,冷静に考えればのハナシですが。
その点,本来の「日本の鍋の作法」というものは,火加減をもってアクを上手に取り去り,それぞれの具材の持ち味を最高のタイミングで味わえるようできている。すなわちそれぞれの「味の輪郭」を際立たせて,更に複合させて味わうように仕組まれている。
ここで,どんなサカナでも,野菜でも,肉でも,簡易で大変美味しく食べることのできる,人心および味覚に優しい鍋の作り方およびその作法などを述べながら,併せてアクというものについて考えていきたい。
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【 「優しいお鍋」の作り方 】
鍋料理というものは,多様な具材に合わせてその調味の構成を変え,かつそれは地域の風土ないし各人の好みに依るところも大きい。全国を眺めてみれば、味噌あり,醤油あり,牛乳や豆乳もあろう。
従ってあえてここで紹介するのは,汎用性が高く,概ねどのような具材を用いても支障をきたさない,誰でも美味しく作れる鍋である。
まず,下地(ダシ)を作ろう。
1.下地を調える
①鍋に水を7分目ほど張り,ダシ昆布を1枚入れ,中火に点火する。
②沸騰する直前に,昆布を取り出しておく。
③まず薄口醤油(できれば無添加で質の良いもの。我が家では「チョーコーの特選うすむらさき」を使用)を徐々に注いでいき,塩加減を澄まし汁よりちょっとだけ濃いめに調える。
④次に,ミリン(できればちゃんとしたミリンを。タカラの本みりんで可)をごく少量ずつ注ぎ,ほのかな甘さを感じる程度に調える。塩味の“カド”を丸めてやるイメージで。
なお,これら塩加減と甘味加減は,各家庭の味に関わることなので,絶対的な分量は表記しない。
⑤調味し終わったら,一度沸騰させ,ここでいったんアクをとる。何も入っていないのになんで?と思うかもしれないが,これ大切。実は調味料にもそれなりのアクがあるので,これが雑味となる。ちなみに添加物の多い調味料は,沸騰させると味に変調をきたすので要注意ですぞ。
2.具材を準備する
次に,具を何にするか。動物質と植物質を季節に合わせて,互いに邪魔しないもの同士を取り合わせるのがよい。そして鮮度が最重要であることは,言うまでもない。
で,ここで作った下地に合う鍋といえば,
例1)鳥もも肉のぶつ切りないし手羽元と長ネギ,白菜,キノコ類
例2)スライスしたイノシシ,アイガモ,シカ肉等と,ゴボウ,長ネギ,セリ,キノコ類
例3)各種エビやカニなど甲殻類と,長ネギ,白菜,水菜
例4)鯨の皮,あるいは油揚げの短冊切りと水菜
例5)スズキ,タイ,タラ,カワハギなどの切り身・アラと,長ネギ,白菜,春菊,豆腐
例6)豚肉のスライスと長ネギ,白菜,春菊,ニンニクのスライス
例7)牛肉のスライスとゴボウ,長ネギ,白菜,春菊,キノコ類
等々。
鍋を作る過程で最もつまらない状況といえば,すでに或る忘年会の一場面で述べたとおり,ゴタゴタいろいろ入れすぎて,ゴッタ煮になってしまうことだ。それさえ避ければ好みによってなんでもいいのであるが,取り合わせのコツは,季節感もさることながら,野菜の甘味が必要な場合は長ネギや白菜を,合間に季節の香りの野菜で一息つきたいような具がメインである場合は春菊やセリを,気持ちのよい歯ざわりとほのかな苦みが欲しければ水菜を,もうひとつ他の旨味成分も欲しいときにはキノコも加える,豆腐はダシを吸わせて旨いものであるが,アクの強い肉(鶏を除く畜肉や青魚類)には向かないように思う,といった具合に,“必要だから”,合わせるのである。やもすると我々は,普遍的な鍋の具が存在するかのような錯覚にとらわれたまま惰性で鍋の具を揃えてはいまいか。
具材準備のひとつのコツは,“鍋が終わった後のダシの風味が良くなるように”イメージして取り合わせることだ。「最後に残ったダシの味が美しく旨い」=「それ以前に具材が取り合わせ良くおいしく食べられた結果である」という法則が,鍋料理では成立する。これはあたかも,包丁を研ぐときに,「包丁を研ごうとするのではなく砥石を鏡のように平らに磨くイメージで」,というのと似ている。メインの動物性の具を決めたら,野菜類は最小限数種類を,相性を十分に吟味して合わせたい。
ちなみに最もシンプルな鍋といえば,短冊切りの油揚げと水菜の鍋,アサリのむき身と千切り大根の鍋,脂の乗ったマグロと長ネギだけの鍋,あたりが思い浮かぶが,これは味わってみればわかることだが,ある意味,鍋の本質を突いた取り合わせと言えるのではないか。よく考えた末に厳選されたのか,もしくはいろいろ入れていたのが淘汰されて現存しているのか,あるいは庶民の生活で季節の安いものを一品ずつなんとか揃えてみました,といったことなのか,いろいろ想像されるが,いずれにせよ簡易かつ簡素で出会いのもの,という点では完成されている。食えばワカル。
3.具材の切り方
食材の性状と理想的な火の通り方を考えれば,肉やサカナで血の気や脂っ気の強いものであればスライスし,アクの少ない白身魚や鳥,エビやカニは,大きくブツ切りのほうがよい。
一方,切り方が大切なのは,むしろ野菜の方だ。
鍋というものは,一種の「煮食い」であり,その中でもすき焼きなどよりも更に短時間で加熱する料理であるから,煮えた端から最善のタイミング見計らって順次食べていくことが肝要。そのときに,ネギは煮えたが白菜の中央部分がまだ生であります!ということでは困るし,それではせっかくのメインの具のダシを吸ってくれない。だから,下ごしらえに注意する必要があるのだ。
①ネギ:すき焼きやマグロを使ったネギマ鍋などで筒切りにした長ネギを用いるが,これは或る程度煮込む旨さであって,ここで述べる鍋料理の場合,まさに煮えばなをダシや肉と共に食って食感も合わせて旨いのがネギ。だから筒切りは向かない。厚さ5ミリ以下にナナメに長く,削ぐように切りそろえておく。
②白菜:はいだ葉を重ねたら,まずタテに半分に切り,葉元のほうから8~10ミリ程度の厚さで小口切りにしておく。よく飲食店で供されるように大振りに切っては煮ムラが生じるし,他の具材との相性が悪い。また,同様に,大量に切っておく必要はない。宴会で大量の白菜が残っているのをよく見かけて勿体ないことだ。足りなければ,また切ればよい。
③春菊:中心の堅い茎から葉を全て下方向に引きはずし,葉の部分だけを用いる。残った軸は小口に微塵に切って,シラス干し及び煎り白ゴマと共に炒めておき,常備菜とすればよい。
④セリ・水菜:痛んだ葉を除き,7㎝程度に切りそろえておく。
⑤ゴボウ:表面をステンレスタワシで擦り,7㎝程度の長めのササガキに薄く削って薄い酢水にサッと浸し,ザルに上げておく(これは“アク抜き”ですね)。
⑥キノコ類:バラバラにせず,シメジであれば2~3本,エノキであればふたつまみくらいの大きさに房分けをする。マイタケはダシを汚すのであまり用いないが,牛肉やアクの強い獣肉には合う。これは根を切ったら,適宜タテに裂いておく。エリンギも同様に。
⑦豆腐:あまり小さくは切らず,一丁を6等分くらいに分けておく。カレー用の大きなスプーンにちょうど乗るくらいが大きさの目安。
4.鍋の作法
さて,いよいよ煮方についてだ。
これを間違えると,“あとあと”の味が変わってくるので注意を要する。
①まず,火を加減し,沸騰手前,“フツフツ”と静かに湧く程度にダシを加熱する。ゴボウを使う場合は,ここで大きくひとつかみ入れておく。
②そこにメインの具を場の人数に行き渡る分だけ入れる。初めはダシが白濁するが,アクをとっていくに従い,澄んでくる。この一瞬が食べどきであるから,すかさず各自の椀に少量のダシと共に取り分ける。初々しいダシをときどき吸いながらホカホカでジューシーな肉や魚をほおばる,これが鍋の始まり。これを別皿でポン酢にちょいと浸して食べるのもいいし,小鉢に唐辛子などをパラリと振り入れるのもいい。
③ここで豆腐があれば,先に入れてしまう。最後のほうでダシを吸ったやつを食べるのが楽しみだ。
④残りのスペースに,ネギをパラパラ入れ,しんなりしたら,すぐにダシと共に食べてしまう。
⑤再度メインの具を入れ,タイミングをずらしてネギを入れ,アクをとりつつ,スープが澄んだところでネギと共に味わう。
⑥春菊やセリ,水菜をパラパラと入れ,一呼吸置いたらスグに食べる。ネギと合わせて食うのもよい。
⑦白菜やキノコ類をざっくりと投入し,その傍ら,空いたスペースでゆるやかに②ないし④~⑥を繰り返し食べ進む。その間も適宜アクをとり続けるのを忘れずに。
⑧白菜がしんなり煮えた時点で,他の具材などもいろいろ取り合わせながら,そして最後の方では豆腐もゆっくり味わいながら,食い進んでいく。豆腐の食べ頃は,“豆腐内の水分がダシと置き換わった頃合い”というが,わかるかナ?
⑨,いずれにせよ,基本的に
「火加減を常に静かにフツフツたぎる程度に調節し,けして沸騰させないこと」,
「最初から最後までアクをとり続けること」,
「鍋内で煮えた具および野菜類をあらかた食べてしまってから次のものを入れること」
というのが守るべき原則であって,あとは自由に楽しめばよい。要は即席の「合わせ味」の料理なので,センスの問題だ。
⑩メインの具もなくなった。野菜も丁度なくなった。残るはダシのみ。お腹は7~8分目。と,最後にこのような状態になったら,それは,当初のダシの味加減からメインの具と野菜の取り合わせと分量バランス,煮加減と食わせ方,等々が,ちゃんとうまくいったという証しだ。人知れずニヤリとするに値する。やりましたね,オトーサン。ということで拍手。そこで,最後まで気を抜かずにファイナルステージに臨むのだ。
5.残りダシを味わう
鍋のシメ,といえば,代表格は雑炊であろう。まずは基本的な作り方を。
雑炊とひとくちに言うが,汁が多めでサラッとした,いわゆる“雑炊”タイプと,トロリとした,いわゆる“オジヤ”タイプとに好みが分かれるところ。従って,作る前にそのへんのところを相談し,決めてかかるがよろしい。
①残りダシを,人数分のご飯を入れたときに,雑炊タイプで6分目,オジヤタイプで7分目くらいになるように水で薄める。
②味をみて,塩少々あるいは薄口醤油で,澄まし汁より若干濃いめに調味する。
③火を強火にし,沸騰する手前でご飯を投入し,中火に落とし,手前向こう方向に杓子でゆっくり常に流れを作ってやりつつ,ご飯玉を崩す。フツフツとたぎる程度に火は適宜調節する。流れを絶やさないようにし,米がダシを吸って花が咲くのを待つ。
④卵を解きほぐし,引き続き片手でご飯を回しつつ,数回に分けて“細く”卵を垂らしていく。このとき,卵を早く注いでご飯を早くかき回せばオジヤに,ゆっくり卵を注ぎ,更にゆっくりやさしく回してやれば雑炊タイプになる。このへんの技術が分かれ目。
⑤そのままでもいいが,薬味は小口に切った細ネギ少々,ないし一味唐辛子のひと振り,といったところがよく,ときどき飲食店で出すような,細切りの焼き海苔を振りかけるというようなことはしない。海苔は,その香味で臭味をマスクする効果がある反面,風味を殺す二律背反の性格をもっているため,従って,ちゃんとした流儀で作った鍋の残りダシに,海苔は邪魔なのである。
ここでは雑炊の作り方にとどめたが,これは魚やエビ・カニ,鶏肉,といったアクの少ない具材に向く。一方,アクの強い畜肉などは,ウドンのほうをおすすめしたい。その点,鶏肉は,両方に向いているので重宝する。
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この鍋の作り方・食べ方を見てわかるとおり,日本の基本的な鍋料理は,最初から最後に向かうに伴い,単味から複合味への味わいへの昇華・盛り上がり,という構成になっている。そして最後に全具材が交響楽を奏でるのが,残りダシを使った雑炊であり,ウドンであるわけだ。ここで幕が下りる。そう。あたかもあの,ラヴェルの交響楽“ボレロ”みたいですね。
こうして具体的に鍋の作り方を書いてみると,いささか格式張っているのではないか,ルールが多すぎるのではないか,ぜんぜん「優しく」ないじゃないの,と思われるかもしれないが,具材個々のおいしさ,およびその合わせ味の妙味に到達するには,マメなお世話が必要だ,ということの証明である。そのこまやかな気配り・努力の成果は,けして裏切られることはない。再度言うが,ゴッタ煮では味わえない,食べたときの「輪郭のハッキリした味」に出る。そして最後の残りダシおよびウドンなり雑炊になると,こんどは複合妙味としていよいよハッキリと成果となって出てくるのである。そして振り返ってみれば,その完成度を支えるのが,「火加減とアク取り」であることを,ご理解いただけると思う。ぜひお試しいただきたい。
それにしても,「日本の鍋料理」というのはつくづくスゴイですなあ。
だって,酒のアテから最後のごはんまで,よく考えたら鍋ひとつだけで「フルコース」構成なんですぜ。いやーまいったね。
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ここらで鍋から離れて再びアク談義に戻り,整理にかかろうとするのだが,まずあらためて「加熱して生じるアクは火加減と連動している」ということを確認しておきたい。
どのようなものにアクが存在するのかといえば,既に上述の鍋を作りながら学習してきたとおり,肉やサカナは言うに及ばず,野菜,そして酒・醤油・味噌・ミリンなどの調味料にさえ,アクはある。取りすぎれば風味を損ない,取らなければ雑味となって残る。古人はそのことをよく知っていたと見えて,和食の世界には“塩のアク”をとる技法も存在するのである。
では,どのような状況下でアクが生じるかといえば,それは強火であるほどに水分温度が上昇して気泡を生じるとき,アクは最も浮かび上がる。
従って,たとえば鍋でも汁でも,素材の質を損なわない程度に水を熱し,その気泡をもってアクをとり,汁が澄んだら弱火に落とすし,気泡を生じるほどに加熱したくない,たとえば野菜のアクを風味として少し残したまま煮たいと思えば,事前に水に浸けるなど別の方法でアクを抜き,あとは静かに煮ればよいということになる。それら処理の時間の下限もあろう。
多かれ少なかれ,アクは親の仇と断じて取らねばならないもの。されど相手を殺すほどにとりすぎてはいけない。鬼手をもってとるときはとり,ここぞというところで仏心をもって優しくピタリとやめる。これがアクとのつきあい方かと。何やら偏屈な人間とのつきあい方とも似ていますな。主張と調和、みたいな。
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食材は,炭素,水素,酸素,窒素のほかミネラル分などを主体として成っているわけだが,良い素材ほどこれらの化合物の純度が高く,バランスがよく,アクが少ない。とすれば,その点最近,地球のどこを見渡してもアクが随分溜まっているのではないか。それを基盤として生きる野菜もサカナもニンゲンも,アクが強くなったって不思議ではない。それを,どう加減良く抜くかだ。
良い食材とは,雑味が少なく味がきれいで,食べてカラダに良いもののことだ。最近,岡山の釣友の実家から送られてきた米と野菜を食べて目を瞠った。そうだ,これが野菜の味だった。心もカラダも甦る思いがした。なんでも,ご両親は山奥の清流流れるほとりにて畑作りをしておられるそうな。
人のつながり方によっては金をかけずともまだまだいいものが手に入るし,金がある人がそのようなものを手に入れるべく腐心奔走するのも人生ではあるが,一方,良くないものを拒まずこれを活かすのも,また料理の心得であろう。料理の理は,素材の成り立ちとしくみを知り,用いて活かすことに尽きる。“アク取りの加減”は,その精神の大きな一翼をなすと言えよう。
モノ食う以上,アクとのつきあいは一生続く。
ですから皆様,以後よろしくアクを十分ご理解の上おつきあいいただいて,それぞれのご家庭で優しく最高に美味しい料理を味わっていただきたい。
なんにせよ,まず相手を知ること,次に合理的に目的に見合った手段を考えること,直観だけでなく基礎も押さえておくということ,これに尽きる。その点,釣技の本質と同じですな。
2007年08月21日
決定版!夏のサカナは涼しく食う
東日本ではぼつぼつ涼しくなってきたやに聞くが,この境港の暑さはナンダ?この痛い日差しはどうなってんだ?。海の中でサカナも海藻も茹だっている。こうなると,船で沖に行くか,清流のアユ釣りでもしない限り,私の漁獲活動は極めて停滞するのである。せいぜい夕涼みがてら堤防に出て,人のアジ釣りでも眺めながら世間バナシでビールを飲むのが関の山。ウエカツ水産も盛夏の数日間は開店休業だ。
室内温度35℃。こんなときにサカナを,どうやって食えというのだ。わが家にクーラーがあるわけじゃなし,扇風機をかけたとて,せっかく冷やした刺身を切ってもアッという間にぬるくなる。ビールも酒も然り。従って,精神状態が逆上傾向となっていけない。
こんなときは,五感に涼しげな,冷たく“ひんやり”したサカナ料理があってもいい。今回は,魚種にこだわらず,とにかく涼しくサカナを食べましょう,というお話し。
と言っても,あらいとか,湯引きとか,焼きちり,程度の涼しさでは,まあ月並みですな。求めるのは,もっとガツンと涼しいヤツだ。
長い前置きは暑くて書けないから,すぐに調理法に入る。
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魚涼味1【水なます】
夏,青空,入道雲,青い海。とくれば,水なます。というくらいに,夏にはベストマッチの,千葉県は房総半島の郷土料理。
房総の漁師料理といえば,生魚の身肉を味噌と薬味と共に包丁で細かく叩いた“なめろう”およびそれを平たくして生木の葉や青シソを貼り付けて焼いた“さんが”が有名であるが,「夏にはやっぱ,水ナマスだっぺおう!」と,房州漁師は声を大にするのである。ワシもそう思う。ナメロウやサンガは酷暑にはチト重い。
水ナマスの味わい,すなわち口中で跳ね踊る活きの良い身の粒,涼しげな薬味の香りと歯触り,旨味と共に胃袋まで落ちていく冷たい喉ごし,カランと器に触れて立つ氷の音,これら全てが夏の風物と合致しており,またそれ自身が風物と化す。まさに涼しい魚食ランキング№1と言ってよかろう。
水ナマスは,ナメロウやサンガがサカナだけにとどまらずに新鮮なイカ,アワビやバカガイなどの大型貝類でも作るのと同様,いろいろな魚介類で作成可能なのではあるが,こと水ナマスに関しては,アジとイサキ,及びこれらに類するサカナを用いる。
この2魚種に勝る素材はない。なぜなら,真夏限定の料理だからして,真夏のサカナを使うのである。これ天の道理ナリ。
では作り方を。
①用いるサカナは脂が乗っている必要はなく,むしろないほうがよい。従って,アジでもイサキでも,小さめのものでもよい。
まず鮮度第一。できれば硬直前が最高。従って釣り人に特権性がある。これを三枚におろし,血合い骨を切り除いておく。鮮度を落とさぬよう,手早く,が肝心。
②ここから先の作り方は,2つに分かれる。
A)ネギ,ショウガ,青シソ,ミョウガなどの薬味を適宜ミジンに刻み,細切れにしたサカナの身と合わせて包丁で叩き刻む。
B)同様の薬味とサカナを合わせ,味噌を若干濃いめに加えて包丁で叩き刻む。
要は,この時点で味噌を加えるか,あるいはあとから別途加えるかの違い。
活きの良さと新鮮味はAが勝っているが,Bは味噌の塩分でサカナや薬味の躍動感は多少減少するものの旨味は強くなる。
いずれもコツは「叩きすぎないこと」。しっかり魚肉の粒が感じられる程度に止める。
③Aタイプであれば,ボウルに入れた氷水に味噌を加えて若干濃いめに味加減し,叩いたサカナと薬味を加え,箸でカラカラっと混ぜて出来上がり。
Bタイプであればお椀に氷水を入れ,そこに味噌タタキを適量落として,箸でかき混ぜればできあがり。
いずれも,サカナが新鮮なほど,氷で急激に冷えることによって,身がピリッと弾けてきます。この食感がいい。
なお,使用する水は,当然“良い水”が良い。が,なければ水道水でも結構。使用する氷についても同様。できればカルキ臭がせず気泡の入ってないぶっかき氷がいい。
この料理は,“水”も調味料のひとつなのだ。
さて余談ですが,出来上がりはほとんど同じ体裁なのに,ここでなぜ,ボウルとお椀を使い分けているのでしょうか。つまり,Aは,溶き水のほうに味噌加減をしなければならないので,各自が味噌をいじくるのは面倒なのでまとめて作った方がよく,そしてBは,先に多量の水を入れてしまうと,そこに入れる原料が足りなくなる可能性もあるので,各自のお椀単位で調味加減をする,というわけ。
味覚上の違いもあると書きましたが,その他の使い分け理由として,野外など大人数でワッと食べるときにはA方式でドッと作るし,自前ないし数人でやるときにはB方式でやるのが便利でもあるのです。B方式だと,そのままツマミにもなるのでよろしい。1回で2度おいしい。
この料理は,食べ方といいますか,作法が大切。
すなわち,氷を入れてガーッとかきまぜ,“冷えばな”を一気にズルズルと音を立てて吸い・ときどき噛み・飲みくだす,ということ。まごまごしてたら氷が溶けて,味が変わってしまうのです。炎天下,小さいお椀で,3杯立て続けにおかわりしたところで,ふうとひと息つくのは快感至極。セミもやかましく鳴いてるし,木陰でそよ風も吹き出した。こいつをやらねば,夏は終われん!
魚涼味2【水 貝】
“ミズガイ”とは,不思議と涼しげな音であり,「水貝」の字面もよいではないか。
そしてこれも,千葉県房総半島を発祥とする,味覚のみならず視覚・聴覚・触覚のいずれにおいても全面的に夏の料理なのである。そしてその名のとおり,水も調味料である点において上記の水なますと共通。
夏の貝の代表と言えば,磯には女王格のアワビと歩兵格のサザエがおり,いずれを用いてもよいのだが,できれば大ぶりの「メガイ」が柔らかくて甘味があってよい。ちなみに,地方の魚市場で裏返しにしたアワビの肉の色を指して,この黒っぽいのがオス,茶色っぽいのがメス,なんてことを教えるオッチャンを見ることがあるが,信じてはいけない。
比較的殻の高さがあって楕円気味で肉表面が黒っぽいのは「クロアワビ」(東北以北ではエゾアワビ),高さが低くて円形に近く肉表面が茶色っぽいのが「メガイ」,更に最近は少なくなったが,メガイに似ているが殻の高さがしっかりあって殻に並ぶ呼吸孔がぐっと立ちあがっているのが「マダカ」という。それぞれ違う種類であり,これが日本の三大アワビ。これらの子分格に「トコブシ」がいるが,これは肉質がかなり違うので,マズイとは言わないが,あまり生では食わず,煮て食うのが旨い。
上記4種の中でも,メガイは比較的安く,入手しやすく,肉質もクロアワビより柔らかく肉量も多い。水貝にはこれを使う。
しかし,安いとは言っても,やはりアワビだ。高い。
でも,うっかりどこかで一万円札を落としてしまったことを思えば,けっこうすんなり買えるのである。なぜなら,その1万円は紛失してしまったはずのお金であり,もともと手元にないはずのお金である,と決めたのだから。金を失ったはずなのに逆にアワビが手に入ってラッキーではないか。高いサカナはこうして買うのだ。節約はほかのことですればよい。
①ガラス鉢など深い器にたっぷり氷水を入れ,粗塩を加えて濃いすまし汁程度に調味する。
②アワビは活きたものを用い,殻の間にしゃもじを差し込み,肉をはずす。
③内臓は,切り取ってブツ切りにしたら別途,小皿の酢醤油に浸しておく。これもツマミとなる。
④およそ2㎝強の角になるよう大ぶりにアワビを切って,鉢の氷水にころがし入れる。
⑤キュウリを1本分スライスして浮かべる。
これだけだ。これを料理と呼ぶのかどうか。
現に,房州では,水貝をつくる,とは言わない。水貝をやる,と言うのである。
⑥湯豆腐用の小さな網シャクシなどあれば上品で結構だが,直接箸を差し入れて,箸先に当たる氷を感じながらアワビをつまみ上げるのも涼味のうちだ。ひとつの鉢に向かい合う相手がいるとき,自分の箸を舐めたりしない心遣い,これがまたいい。心が涼しくなります。
そのまま食べてもいいし,ワサビ醤油でもよい。全部食べたあとの白く薄濁った氷水,これを飲んだりするのはおやめになったほうがよろしい。フィンガーボールの水は飲まぬほうがよいのと同じ。
この水貝の最大のポイントは,「アワビを大きく切る」ということだ。なぜか。
貝類にも神経があり,むろん痛みも感じるのであるが,我々「中枢神経系」をもつ脊椎動物とは神経構造が異なり,痛覚も触覚も全身にまんべんなく分布している。これを「散在神経系」という。従って,どこを切っても痛がるのです。そして,包丁を入れる回数が多いほど,痛い痛いと身を縮める。どんどん身が堅くなる,というわけ。だから,大振りに切る,ということになる。
その観点から,よく料理本に載っているような,「アワビを粗塩でこする」とか「ごしごしタワシで洗う」などという処置は,私は「大反対。」である。わざわざ堅くしてどうするのだ。
ハッキリ申し上げましょう。生のアワビを最も柔らかく食べる方法は,海から獲りたてのアワビの身を即座にはがして“まるかじり”することである。歯がスーッと通る。噛んでいくとミルクにも似た味わいでどんどんこなれていく。本職の海女はこれを知っている。でなければその道50年のベテラン海女が,生アワビを食えるわけがない。その流れから生まれたのが,水貝という料理だ。アワビは,指の腹で優しく手早く洗ってやってほしい。
なお,サザエで水貝をやる場合,「貝剥き」という道具を用いて渦巻きの中心奥にある貝柱を断ち切って身を取り出すか,技術がなければタオルでくるんでハンマーで割ってもよい。
内臓を切り除き,身を一周包んでいる薄い肉膜,これが苦さの根源なので,これも切り取るてサッと水洗いする。そして,身をタテに半分に切ったら,あとはアワビと同様。サザエの磯香にはワサビ醤油よりレモン醤油が合う。
魚涼味3【さつま】
「さつま」と言えば連想するのは,サツマ芋は別として,さつま揚げ?,さつま汁?
これらはいずれも鹿児島の,前者はサカナのすり身を油で揚げたもので九州では「天ぷら」といい,後者は,やはり鹿児島の,豚や鶏肉を根菜類を中心に味噌で煮た汁のこと。
ここで言うのは,愛媛県は宇和海沿岸でつくるサカナを用いた汁の「さつま」なのである。最近では観光客向けに“さつま汁”と呼ぶ傾向もあるが,現地では「さつま」は「さつま」なのであって“汁”はつけないのが普通。「伊予さつま」とも言われているが,現地ではこの言い方をほとんど聞いたことがない。
さつまは,焼いたサカナの身を、味噌と煎りゴマと共にすり鉢で擂り,ここに水と薬味を加え,これをご飯にかけて食べる汁のことだ。先述した水ナマスと違って生の魚を使うことはない。
余談ながら、この語源には,薩摩すなわち鹿児島から伝承したのでサツマであるとする説があるが,あちらのさつま汁は既に述べたように,畜肉を用いた麦味噌汁である。
近隣を見渡して似たものといえば,宮崎の「冷や汁」があり,この作り方はほとんど同じであるが,こちらの冷や汁には砕きつぶした豆腐を加えるのが特徴だ。つまり,「さつま」に似たものは「薩摩」には存在せずに「宮崎」にある。あるいはかつて,宇和島から見た対岸の九州の大地を「さつま」と総称したのであろうか??? 定かではない。
ちなみに九州の大分には「リュウキュウ(琉球?)」なる主に刺身に切ったサバを用いた一種のすりゴマ醤油漬けが存在するが,これもまた語源はナゾのままなのである。
もうひとつの説はサツマは「佐妻」であるというもので,「佐」は“助ける”の意であり,忙しい日常仕事の中で作り置き,サッと飯にかけて食えるさつまは,妻にとってはホント助かりますわ,ということ。
たしかに,宇和島沿岸を旅するとわかるのだが,リアス式に入り組んだ半島の斜面のほとんどが,かつては「段々畑」であった。一番下の道から細い半島の尾根の先端まで,両斜面が全部,海から拾った石垣で組まれた段々畑だ。この地方では「耕して天に至る」という言葉が残っている。今では放置されているところも多く,歴史を伝える迫力の写真が残るのみ。その写真集の名は,まさに「耕して天にいたる」だ。
半農半漁とはいえ,これを一家で切り盛りするのは並大抵なことではないはずだ。メシやオカズは作り置きして手の空いたときにサッと食えるものがありがたい。そういう意味で,「佐妻」説は説得力を感じるし,現地の人々が“汁”をつけずに単に“サツマ”と呼ぶのとも関係がありそうだ。真相はさておき,そうであるならば,いい名前をもらった、料理だと思う。
ま,いずれにせよだ,
さつまは,今では宇和島市街の観光レストランなどでも供されるが,もともとは郷土の家庭料理である。宇和島の遊子(ゆす)という漁師町に滞在した折り,泊めてもらったブリ養殖漁家での朝,お母ちゃんが,さつまがたっぷり入った大きなタッパーを冷蔵庫から出してちゃぶ台の上にドンと置くと,3人の子供達めいめいが,自分でご飯をよそい,各自さつまをかけてカッ込み,行ってきマースと元気に学校に飛んでいった。そして残された我々も仕事前の“さつま”をサッと食って沖へ出たのであった。
このように完全に日常に溶けている料理であり,やはりその家々によって入れるものが違ったり,作り方にひと工夫あったり,があるようだ。
ここで,宇和島のお母ちゃんに教わったさつまの作り方を紹介したい。
①カマス,アジなど,白身系のサカナを素焼きにし,その身をすり鉢にほぐし入れる。骨を除くのが面倒くさければ,あらかじめ3枚におろした身を焼けばよい。これをすりこぎでつぶし,擂り始める。
②ここに煎りゴマを加え,更に擂る。粒子がこなれたところで麦味噌を加え,更に擂る。
③粘り気が出て,逆さにしても落ちなくなったところで,擂り鉢の内側に薄くのばし,火にかざして表面を軽く焼いて香ばしさを出す。時間がなければこれは省略しても差し支えない。
④ここでお母ちゃんは,「一度沸かして冷ました水」を少しずつ注いで溶かしていく。湯冷ましを用いるのは,カルキ臭を除去するのと,もうひとつは,かつて井戸水を過熱殺菌して使っていた頃の名残であろうと思う。たしかに生ものには違いない。
水を注ぎ込む量の目安は,溶かしていきながらドロッとする程度。あまりサラサラにしてはいけない。
⑤これに糸こんにゃくを3㎝ほどに切って一度茹でこぼして冷やし、水気を切ったものを加える。これを冷蔵庫で冷やしてできあがり。ここに更にスライスしたキュウリや刻んだ青ジソを加えることもある。これも風味が良い。お好きなように。
これを,温い飯だろうが冷や飯だろうが,ぶっかけて食うのみ。
宇和島の家庭の味だ。今日も家々で、家族がさつまをご飯にかけている。
夏の朝,今日も一日働くか!という気になってくるから不思議。
そんな生活の中の食べ物です。
魚涼味4【イカの冷やしトマトスープ】
当家の過去ログ「あれやこれやのイカを食う」で,さんざんイカ料理について書いたので,もう当分はイカについて書きたくないのは事実。このお題は「トマト」が主役です。でもサカナ料理にも化けます。
夏野菜の王様トマト。露地物が出始めると味も香りも最高だ。振り返ればいつも夏の思いでと共に,常に青臭いような甘いような,お日様のような,独特の香りが漂っていたような気がする。夏に何回かはこれで冷たいトマトスープを作り,ほてったカラダを休めてやる。
①できれば露地物,のトマトのヘタをとる。
②ボウルにニンニク一片およびタマネギ1個分をみじん切りして入れ,軽く塩でもんでおく。これでタマネギの辛味はとれて甘くなる。
③ここにトマト数個をたっぷり手でよくつぶし入れ,粗挽きコショウを振り,全体をよく混ぜる。トマトの皮が残っても構わない。
④混ぜながら粗塩を加えて濃いめに塩加減する。塩の粒が残らぬように注意。
⑤ここに多めの氷を投入し,ガラガラと混ぜて,味が薄まって丁度良くなったらできあがり。
これだけ。なんだそれではトマトスープではなく“つぶしトマト”じゃないか,とおっしゃっられても結構。名前がなんだろうが,この旨さには勝てぬ。これは「食べるスープ」だ,と強弁させていただく。
ここではニンニクとタマネギを入れたが,ニンニクだけでも旨いし,トマトだけでもそれぞれに旨い。香り付けにオリーブ油少々をたらしてもよいが,トマトの香りは消える。
塩と黒コショウで味付けしたトマトの氷和え,にも見えますねえ。だが,これが合うのだ。きめを細かくしたければ,トマトをおろし器で摺り下ろしてもいいが,味は,手でつぶした方が上だと思う。お試しあれ。
⑥ここに,適当に小さく切って塩水でサッと茹でて冷やしたイカの胴身を混ぜてやると,ほーら,サカナ料理になりました。いい加減なようだけど,味はホンモノ。
夏の河原のテントの下なんかでこれを作ってたっぷり食うのはホントに旨い。
ところでこれ,房州の水ナマスのトマト版,にも見えますねえ。
おもしろいでしょ?古今東西を問わず「料理の理,は芋ヅル式」,なのです。
魚涼味5【塩マグロの冷やしかけ飯】
これを初めて作ったときには,我ながら,食って思わず唸ったものです。それほどに,シンプルながらよくできた料理になったと思う。あまりに涼しく旨いので謙遜するつもりはござらぬ。
と,もったいつけて本邦初公開。
お店経営の方,マネして出して自分の考案ですなんて言っちゃあダメよ~。
冗談ですが,早速作り方を書きましょう。
①マグロは種類は問わない。安くてボロな赤身でよいから,これを1サク買ってくる。
②サクを,繊維に添って長さ5㎝,幅5㎜前後の短冊に切る(繊維を横に切ると,あとで加熱したときにバラバラになってしまうので)。
③これをボウルに入れ,シメサバを作るときくらいの強い塩で和え,30分ほど置く。
④肉の水分がにじみ出た頃を見計らって,中鍋に強火で湯を沸かし,塩マグロを投じ,長ネギの青い部分を一束分放り込んでおく。
⑤再沸騰したら,吹きこぼれないように火加減し,ひたすらアクをとり続ける。
⑥最初は白濁したスープが,アクをとり進むほどにだんだん澄んできて,スキッと透明になったら,火を弱火にしてネギを取り除く。この時点で既にマグロから浸みだした旨味と塩分で味の骨格はできているので,補助的に薄口醤油少々と塩で濃いめに調味し,これに蓋をして鍋ごと水で冷やす。
⑦十分に冷めたら,ここに氷を投入し,かき混ぜて冷やす。最初にきつめの味にしてあるので,氷が溶けてここでちょうどいい加減となる。大きい冷蔵庫があれば鍋ごと冷やせばいいが,一般のご家庭ではなかなか難しいでしょう。
⑧椀にご飯を「少量」盛り,鍋の中のマグロを数片置き,冷たいスープを注ぎ入れ,小さく砕いた氷を浮かす。薬味にネギを刻んでもいいが,まず1杯めはこのままサクッと賞味いただきたい。これがマグロのダシだ。白い白磁の椀にうっすら黄金色の透明感のあるスープ,浮いた氷の光の散乱,横たわる塩マグロのさりげなさを噛みしめ,そして,ダシのほのかに甘酸っぱい香りのマグロ味と,氷によってキュッと締まったご飯粒ひとつひとつの歯ごたえと甘味。存分に味わっていただきたい。これがマグロの隠れた実力だ。ありがとうマグロ。
このかけ飯は,暑い夏の昼にも,酒後の飯としても,たいへん優れている。
実はコレ,当家過去ログの「もうひとつの塩煮」で紹介した長崎県野母崎流の塩煮の応用です。
魚涼味6【冷やしウナギの東南アジア】
これまで紹介してきたのが「氷」の力を借りた涼しい料理であったのに対し,これは氷を使わない,味覚の涼しさだ。パックで買ってきた蒲焼きウナギを,暑いから火を使わずに涼やかにソーメンなどと一緒に食いたい,というときのひと工夫。
熱くないウナギ料理としては,日本には古くからウナギとキュウリの酢の物である「うざく」があるし,ウナギを芯に巻いた厚焼き卵「うまき」も冷めたものを食うときがある。
ここでは東南アジアなどと言っているが,要は常夏のタイランドやインドネシアに代表される味の構成「甘くて」「辛くて」「酸っぱい」ということだ。このアマカラスッパが食欲の減退した時にウナギの滋養味とよく合うし,涼味という点では“うざく”とはまた違った良さがあるのだ。なんせ夏の国のテイストですから。
まあ、サバのリュウキュウがあるのだから,ウナギの東南アジアがあってもおかしくなかろう。などとくだらん解説してないで作り方を早く書きなさい。はい。
①市販の蒲焼きウナギは甘いタレがかかっているので,サッと熱湯をかけ流し,水でスバヤク冷やしてペーパーで水気をとっておく。
②ウナギはタテ半分に切り,それを小口に1㎝幅に切っておく。
③ボウルに豆板醤,醤油及び味噌少々,ミリン少々,レモン汁半個分を調合してアマカラスッパのたれを作る。三味のバランスは各自で加減する。ここに切ったウナギを和えて味が浸みるまでしばらく置く。
④別のボウルにウナギを取り出し,カイワレ,ミョウガ,刻みネギと共にざっくり和えて出来上がり。好みでゴマ油をひとたらし加えてもよい。
これをザクザク食うのがいいんです。ご飯にも合うし。もっともこれはソーメンの具として作ったものですけどね。冷えた皮の弾力と噛みしめる時にジワッとにじみ出る旨い脂が,イケます。
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あ~,涼しい料理を書いてたら,少し涼しくなりました。
というわけで,皆様にもこの涼しさを,おすそわけ。
ガンバッテ夏を乗り切ってくだされ。
室内温度35℃。こんなときにサカナを,どうやって食えというのだ。わが家にクーラーがあるわけじゃなし,扇風機をかけたとて,せっかく冷やした刺身を切ってもアッという間にぬるくなる。ビールも酒も然り。従って,精神状態が逆上傾向となっていけない。
こんなときは,五感に涼しげな,冷たく“ひんやり”したサカナ料理があってもいい。今回は,魚種にこだわらず,とにかく涼しくサカナを食べましょう,というお話し。
と言っても,あらいとか,湯引きとか,焼きちり,程度の涼しさでは,まあ月並みですな。求めるのは,もっとガツンと涼しいヤツだ。
長い前置きは暑くて書けないから,すぐに調理法に入る。
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魚涼味1【水なます】
夏,青空,入道雲,青い海。とくれば,水なます。というくらいに,夏にはベストマッチの,千葉県は房総半島の郷土料理。
房総の漁師料理といえば,生魚の身肉を味噌と薬味と共に包丁で細かく叩いた“なめろう”およびそれを平たくして生木の葉や青シソを貼り付けて焼いた“さんが”が有名であるが,「夏にはやっぱ,水ナマスだっぺおう!」と,房州漁師は声を大にするのである。ワシもそう思う。ナメロウやサンガは酷暑にはチト重い。
水ナマスの味わい,すなわち口中で跳ね踊る活きの良い身の粒,涼しげな薬味の香りと歯触り,旨味と共に胃袋まで落ちていく冷たい喉ごし,カランと器に触れて立つ氷の音,これら全てが夏の風物と合致しており,またそれ自身が風物と化す。まさに涼しい魚食ランキング№1と言ってよかろう。
水ナマスは,ナメロウやサンガがサカナだけにとどまらずに新鮮なイカ,アワビやバカガイなどの大型貝類でも作るのと同様,いろいろな魚介類で作成可能なのではあるが,こと水ナマスに関しては,アジとイサキ,及びこれらに類するサカナを用いる。
この2魚種に勝る素材はない。なぜなら,真夏限定の料理だからして,真夏のサカナを使うのである。これ天の道理ナリ。
では作り方を。
①用いるサカナは脂が乗っている必要はなく,むしろないほうがよい。従って,アジでもイサキでも,小さめのものでもよい。
まず鮮度第一。できれば硬直前が最高。従って釣り人に特権性がある。これを三枚におろし,血合い骨を切り除いておく。鮮度を落とさぬよう,手早く,が肝心。
②ここから先の作り方は,2つに分かれる。
A)ネギ,ショウガ,青シソ,ミョウガなどの薬味を適宜ミジンに刻み,細切れにしたサカナの身と合わせて包丁で叩き刻む。
B)同様の薬味とサカナを合わせ,味噌を若干濃いめに加えて包丁で叩き刻む。
要は,この時点で味噌を加えるか,あるいはあとから別途加えるかの違い。
活きの良さと新鮮味はAが勝っているが,Bは味噌の塩分でサカナや薬味の躍動感は多少減少するものの旨味は強くなる。
いずれもコツは「叩きすぎないこと」。しっかり魚肉の粒が感じられる程度に止める。
③Aタイプであれば,ボウルに入れた氷水に味噌を加えて若干濃いめに味加減し,叩いたサカナと薬味を加え,箸でカラカラっと混ぜて出来上がり。
Bタイプであればお椀に氷水を入れ,そこに味噌タタキを適量落として,箸でかき混ぜればできあがり。
いずれも,サカナが新鮮なほど,氷で急激に冷えることによって,身がピリッと弾けてきます。この食感がいい。
なお,使用する水は,当然“良い水”が良い。が,なければ水道水でも結構。使用する氷についても同様。できればカルキ臭がせず気泡の入ってないぶっかき氷がいい。
この料理は,“水”も調味料のひとつなのだ。
さて余談ですが,出来上がりはほとんど同じ体裁なのに,ここでなぜ,ボウルとお椀を使い分けているのでしょうか。つまり,Aは,溶き水のほうに味噌加減をしなければならないので,各自が味噌をいじくるのは面倒なのでまとめて作った方がよく,そしてBは,先に多量の水を入れてしまうと,そこに入れる原料が足りなくなる可能性もあるので,各自のお椀単位で調味加減をする,というわけ。
味覚上の違いもあると書きましたが,その他の使い分け理由として,野外など大人数でワッと食べるときにはA方式でドッと作るし,自前ないし数人でやるときにはB方式でやるのが便利でもあるのです。B方式だと,そのままツマミにもなるのでよろしい。1回で2度おいしい。
この料理は,食べ方といいますか,作法が大切。
すなわち,氷を入れてガーッとかきまぜ,“冷えばな”を一気にズルズルと音を立てて吸い・ときどき噛み・飲みくだす,ということ。まごまごしてたら氷が溶けて,味が変わってしまうのです。炎天下,小さいお椀で,3杯立て続けにおかわりしたところで,ふうとひと息つくのは快感至極。セミもやかましく鳴いてるし,木陰でそよ風も吹き出した。こいつをやらねば,夏は終われん!
魚涼味2【水 貝】
“ミズガイ”とは,不思議と涼しげな音であり,「水貝」の字面もよいではないか。
そしてこれも,千葉県房総半島を発祥とする,味覚のみならず視覚・聴覚・触覚のいずれにおいても全面的に夏の料理なのである。そしてその名のとおり,水も調味料である点において上記の水なますと共通。
夏の貝の代表と言えば,磯には女王格のアワビと歩兵格のサザエがおり,いずれを用いてもよいのだが,できれば大ぶりの「メガイ」が柔らかくて甘味があってよい。ちなみに,地方の魚市場で裏返しにしたアワビの肉の色を指して,この黒っぽいのがオス,茶色っぽいのがメス,なんてことを教えるオッチャンを見ることがあるが,信じてはいけない。
比較的殻の高さがあって楕円気味で肉表面が黒っぽいのは「クロアワビ」(東北以北ではエゾアワビ),高さが低くて円形に近く肉表面が茶色っぽいのが「メガイ」,更に最近は少なくなったが,メガイに似ているが殻の高さがしっかりあって殻に並ぶ呼吸孔がぐっと立ちあがっているのが「マダカ」という。それぞれ違う種類であり,これが日本の三大アワビ。これらの子分格に「トコブシ」がいるが,これは肉質がかなり違うので,マズイとは言わないが,あまり生では食わず,煮て食うのが旨い。
上記4種の中でも,メガイは比較的安く,入手しやすく,肉質もクロアワビより柔らかく肉量も多い。水貝にはこれを使う。
しかし,安いとは言っても,やはりアワビだ。高い。
でも,うっかりどこかで一万円札を落としてしまったことを思えば,けっこうすんなり買えるのである。なぜなら,その1万円は紛失してしまったはずのお金であり,もともと手元にないはずのお金である,と決めたのだから。金を失ったはずなのに逆にアワビが手に入ってラッキーではないか。高いサカナはこうして買うのだ。節約はほかのことですればよい。
①ガラス鉢など深い器にたっぷり氷水を入れ,粗塩を加えて濃いすまし汁程度に調味する。
②アワビは活きたものを用い,殻の間にしゃもじを差し込み,肉をはずす。
③内臓は,切り取ってブツ切りにしたら別途,小皿の酢醤油に浸しておく。これもツマミとなる。
④およそ2㎝強の角になるよう大ぶりにアワビを切って,鉢の氷水にころがし入れる。
⑤キュウリを1本分スライスして浮かべる。
これだけだ。これを料理と呼ぶのかどうか。
現に,房州では,水貝をつくる,とは言わない。水貝をやる,と言うのである。
⑥湯豆腐用の小さな網シャクシなどあれば上品で結構だが,直接箸を差し入れて,箸先に当たる氷を感じながらアワビをつまみ上げるのも涼味のうちだ。ひとつの鉢に向かい合う相手がいるとき,自分の箸を舐めたりしない心遣い,これがまたいい。心が涼しくなります。
そのまま食べてもいいし,ワサビ醤油でもよい。全部食べたあとの白く薄濁った氷水,これを飲んだりするのはおやめになったほうがよろしい。フィンガーボールの水は飲まぬほうがよいのと同じ。
この水貝の最大のポイントは,「アワビを大きく切る」ということだ。なぜか。
貝類にも神経があり,むろん痛みも感じるのであるが,我々「中枢神経系」をもつ脊椎動物とは神経構造が異なり,痛覚も触覚も全身にまんべんなく分布している。これを「散在神経系」という。従って,どこを切っても痛がるのです。そして,包丁を入れる回数が多いほど,痛い痛いと身を縮める。どんどん身が堅くなる,というわけ。だから,大振りに切る,ということになる。
その観点から,よく料理本に載っているような,「アワビを粗塩でこする」とか「ごしごしタワシで洗う」などという処置は,私は「大反対。」である。わざわざ堅くしてどうするのだ。
ハッキリ申し上げましょう。生のアワビを最も柔らかく食べる方法は,海から獲りたてのアワビの身を即座にはがして“まるかじり”することである。歯がスーッと通る。噛んでいくとミルクにも似た味わいでどんどんこなれていく。本職の海女はこれを知っている。でなければその道50年のベテラン海女が,生アワビを食えるわけがない。その流れから生まれたのが,水貝という料理だ。アワビは,指の腹で優しく手早く洗ってやってほしい。
なお,サザエで水貝をやる場合,「貝剥き」という道具を用いて渦巻きの中心奥にある貝柱を断ち切って身を取り出すか,技術がなければタオルでくるんでハンマーで割ってもよい。
内臓を切り除き,身を一周包んでいる薄い肉膜,これが苦さの根源なので,これも切り取るてサッと水洗いする。そして,身をタテに半分に切ったら,あとはアワビと同様。サザエの磯香にはワサビ醤油よりレモン醤油が合う。
魚涼味3【さつま】
「さつま」と言えば連想するのは,サツマ芋は別として,さつま揚げ?,さつま汁?
これらはいずれも鹿児島の,前者はサカナのすり身を油で揚げたもので九州では「天ぷら」といい,後者は,やはり鹿児島の,豚や鶏肉を根菜類を中心に味噌で煮た汁のこと。
ここで言うのは,愛媛県は宇和海沿岸でつくるサカナを用いた汁の「さつま」なのである。最近では観光客向けに“さつま汁”と呼ぶ傾向もあるが,現地では「さつま」は「さつま」なのであって“汁”はつけないのが普通。「伊予さつま」とも言われているが,現地ではこの言い方をほとんど聞いたことがない。
さつまは,焼いたサカナの身を、味噌と煎りゴマと共にすり鉢で擂り,ここに水と薬味を加え,これをご飯にかけて食べる汁のことだ。先述した水ナマスと違って生の魚を使うことはない。
余談ながら、この語源には,薩摩すなわち鹿児島から伝承したのでサツマであるとする説があるが,あちらのさつま汁は既に述べたように,畜肉を用いた麦味噌汁である。
近隣を見渡して似たものといえば,宮崎の「冷や汁」があり,この作り方はほとんど同じであるが,こちらの冷や汁には砕きつぶした豆腐を加えるのが特徴だ。つまり,「さつま」に似たものは「薩摩」には存在せずに「宮崎」にある。あるいはかつて,宇和島から見た対岸の九州の大地を「さつま」と総称したのであろうか??? 定かではない。
ちなみに九州の大分には「リュウキュウ(琉球?)」なる主に刺身に切ったサバを用いた一種のすりゴマ醤油漬けが存在するが,これもまた語源はナゾのままなのである。
もうひとつの説はサツマは「佐妻」であるというもので,「佐」は“助ける”の意であり,忙しい日常仕事の中で作り置き,サッと飯にかけて食えるさつまは,妻にとってはホント助かりますわ,ということ。
たしかに,宇和島沿岸を旅するとわかるのだが,リアス式に入り組んだ半島の斜面のほとんどが,かつては「段々畑」であった。一番下の道から細い半島の尾根の先端まで,両斜面が全部,海から拾った石垣で組まれた段々畑だ。この地方では「耕して天に至る」という言葉が残っている。今では放置されているところも多く,歴史を伝える迫力の写真が残るのみ。その写真集の名は,まさに「耕して天にいたる」だ。
半農半漁とはいえ,これを一家で切り盛りするのは並大抵なことではないはずだ。メシやオカズは作り置きして手の空いたときにサッと食えるものがありがたい。そういう意味で,「佐妻」説は説得力を感じるし,現地の人々が“汁”をつけずに単に“サツマ”と呼ぶのとも関係がありそうだ。真相はさておき,そうであるならば,いい名前をもらった、料理だと思う。
ま,いずれにせよだ,
さつまは,今では宇和島市街の観光レストランなどでも供されるが,もともとは郷土の家庭料理である。宇和島の遊子(ゆす)という漁師町に滞在した折り,泊めてもらったブリ養殖漁家での朝,お母ちゃんが,さつまがたっぷり入った大きなタッパーを冷蔵庫から出してちゃぶ台の上にドンと置くと,3人の子供達めいめいが,自分でご飯をよそい,各自さつまをかけてカッ込み,行ってきマースと元気に学校に飛んでいった。そして残された我々も仕事前の“さつま”をサッと食って沖へ出たのであった。
このように完全に日常に溶けている料理であり,やはりその家々によって入れるものが違ったり,作り方にひと工夫あったり,があるようだ。
ここで,宇和島のお母ちゃんに教わったさつまの作り方を紹介したい。
①カマス,アジなど,白身系のサカナを素焼きにし,その身をすり鉢にほぐし入れる。骨を除くのが面倒くさければ,あらかじめ3枚におろした身を焼けばよい。これをすりこぎでつぶし,擂り始める。
②ここに煎りゴマを加え,更に擂る。粒子がこなれたところで麦味噌を加え,更に擂る。
③粘り気が出て,逆さにしても落ちなくなったところで,擂り鉢の内側に薄くのばし,火にかざして表面を軽く焼いて香ばしさを出す。時間がなければこれは省略しても差し支えない。
④ここでお母ちゃんは,「一度沸かして冷ました水」を少しずつ注いで溶かしていく。湯冷ましを用いるのは,カルキ臭を除去するのと,もうひとつは,かつて井戸水を過熱殺菌して使っていた頃の名残であろうと思う。たしかに生ものには違いない。
水を注ぎ込む量の目安は,溶かしていきながらドロッとする程度。あまりサラサラにしてはいけない。
⑤これに糸こんにゃくを3㎝ほどに切って一度茹でこぼして冷やし、水気を切ったものを加える。これを冷蔵庫で冷やしてできあがり。ここに更にスライスしたキュウリや刻んだ青ジソを加えることもある。これも風味が良い。お好きなように。
これを,温い飯だろうが冷や飯だろうが,ぶっかけて食うのみ。
宇和島の家庭の味だ。今日も家々で、家族がさつまをご飯にかけている。
夏の朝,今日も一日働くか!という気になってくるから不思議。
そんな生活の中の食べ物です。
魚涼味4【イカの冷やしトマトスープ】
当家の過去ログ「あれやこれやのイカを食う」で,さんざんイカ料理について書いたので,もう当分はイカについて書きたくないのは事実。このお題は「トマト」が主役です。でもサカナ料理にも化けます。
夏野菜の王様トマト。露地物が出始めると味も香りも最高だ。振り返ればいつも夏の思いでと共に,常に青臭いような甘いような,お日様のような,独特の香りが漂っていたような気がする。夏に何回かはこれで冷たいトマトスープを作り,ほてったカラダを休めてやる。
①できれば露地物,のトマトのヘタをとる。
②ボウルにニンニク一片およびタマネギ1個分をみじん切りして入れ,軽く塩でもんでおく。これでタマネギの辛味はとれて甘くなる。
③ここにトマト数個をたっぷり手でよくつぶし入れ,粗挽きコショウを振り,全体をよく混ぜる。トマトの皮が残っても構わない。
④混ぜながら粗塩を加えて濃いめに塩加減する。塩の粒が残らぬように注意。
⑤ここに多めの氷を投入し,ガラガラと混ぜて,味が薄まって丁度良くなったらできあがり。
これだけ。なんだそれではトマトスープではなく“つぶしトマト”じゃないか,とおっしゃっられても結構。名前がなんだろうが,この旨さには勝てぬ。これは「食べるスープ」だ,と強弁させていただく。
ここではニンニクとタマネギを入れたが,ニンニクだけでも旨いし,トマトだけでもそれぞれに旨い。香り付けにオリーブ油少々をたらしてもよいが,トマトの香りは消える。
塩と黒コショウで味付けしたトマトの氷和え,にも見えますねえ。だが,これが合うのだ。きめを細かくしたければ,トマトをおろし器で摺り下ろしてもいいが,味は,手でつぶした方が上だと思う。お試しあれ。
⑥ここに,適当に小さく切って塩水でサッと茹でて冷やしたイカの胴身を混ぜてやると,ほーら,サカナ料理になりました。いい加減なようだけど,味はホンモノ。
夏の河原のテントの下なんかでこれを作ってたっぷり食うのはホントに旨い。
ところでこれ,房州の水ナマスのトマト版,にも見えますねえ。
おもしろいでしょ?古今東西を問わず「料理の理,は芋ヅル式」,なのです。
魚涼味5【塩マグロの冷やしかけ飯】
これを初めて作ったときには,我ながら,食って思わず唸ったものです。それほどに,シンプルながらよくできた料理になったと思う。あまりに涼しく旨いので謙遜するつもりはござらぬ。
と,もったいつけて本邦初公開。
お店経営の方,マネして出して自分の考案ですなんて言っちゃあダメよ~。
冗談ですが,早速作り方を書きましょう。
①マグロは種類は問わない。安くてボロな赤身でよいから,これを1サク買ってくる。
②サクを,繊維に添って長さ5㎝,幅5㎜前後の短冊に切る(繊維を横に切ると,あとで加熱したときにバラバラになってしまうので)。
③これをボウルに入れ,シメサバを作るときくらいの強い塩で和え,30分ほど置く。
④肉の水分がにじみ出た頃を見計らって,中鍋に強火で湯を沸かし,塩マグロを投じ,長ネギの青い部分を一束分放り込んでおく。
⑤再沸騰したら,吹きこぼれないように火加減し,ひたすらアクをとり続ける。
⑥最初は白濁したスープが,アクをとり進むほどにだんだん澄んできて,スキッと透明になったら,火を弱火にしてネギを取り除く。この時点で既にマグロから浸みだした旨味と塩分で味の骨格はできているので,補助的に薄口醤油少々と塩で濃いめに調味し,これに蓋をして鍋ごと水で冷やす。
⑦十分に冷めたら,ここに氷を投入し,かき混ぜて冷やす。最初にきつめの味にしてあるので,氷が溶けてここでちょうどいい加減となる。大きい冷蔵庫があれば鍋ごと冷やせばいいが,一般のご家庭ではなかなか難しいでしょう。
⑧椀にご飯を「少量」盛り,鍋の中のマグロを数片置き,冷たいスープを注ぎ入れ,小さく砕いた氷を浮かす。薬味にネギを刻んでもいいが,まず1杯めはこのままサクッと賞味いただきたい。これがマグロのダシだ。白い白磁の椀にうっすら黄金色の透明感のあるスープ,浮いた氷の光の散乱,横たわる塩マグロのさりげなさを噛みしめ,そして,ダシのほのかに甘酸っぱい香りのマグロ味と,氷によってキュッと締まったご飯粒ひとつひとつの歯ごたえと甘味。存分に味わっていただきたい。これがマグロの隠れた実力だ。ありがとうマグロ。
このかけ飯は,暑い夏の昼にも,酒後の飯としても,たいへん優れている。
実はコレ,当家過去ログの「もうひとつの塩煮」で紹介した長崎県野母崎流の塩煮の応用です。
魚涼味6【冷やしウナギの東南アジア】
これまで紹介してきたのが「氷」の力を借りた涼しい料理であったのに対し,これは氷を使わない,味覚の涼しさだ。パックで買ってきた蒲焼きウナギを,暑いから火を使わずに涼やかにソーメンなどと一緒に食いたい,というときのひと工夫。
熱くないウナギ料理としては,日本には古くからウナギとキュウリの酢の物である「うざく」があるし,ウナギを芯に巻いた厚焼き卵「うまき」も冷めたものを食うときがある。
ここでは東南アジアなどと言っているが,要は常夏のタイランドやインドネシアに代表される味の構成「甘くて」「辛くて」「酸っぱい」ということだ。このアマカラスッパが食欲の減退した時にウナギの滋養味とよく合うし,涼味という点では“うざく”とはまた違った良さがあるのだ。なんせ夏の国のテイストですから。
まあ、サバのリュウキュウがあるのだから,ウナギの東南アジアがあってもおかしくなかろう。などとくだらん解説してないで作り方を早く書きなさい。はい。
①市販の蒲焼きウナギは甘いタレがかかっているので,サッと熱湯をかけ流し,水でスバヤク冷やしてペーパーで水気をとっておく。
②ウナギはタテ半分に切り,それを小口に1㎝幅に切っておく。
③ボウルに豆板醤,醤油及び味噌少々,ミリン少々,レモン汁半個分を調合してアマカラスッパのたれを作る。三味のバランスは各自で加減する。ここに切ったウナギを和えて味が浸みるまでしばらく置く。
④別のボウルにウナギを取り出し,カイワレ,ミョウガ,刻みネギと共にざっくり和えて出来上がり。好みでゴマ油をひとたらし加えてもよい。
これをザクザク食うのがいいんです。ご飯にも合うし。もっともこれはソーメンの具として作ったものですけどね。冷えた皮の弾力と噛みしめる時にジワッとにじみ出る旨い脂が,イケます。
******************************
あ~,涼しい料理を書いてたら,少し涼しくなりました。
というわけで,皆様にもこの涼しさを,おすそわけ。
ガンバッテ夏を乗り切ってくだされ。
2007年07月05日
末期のサカナ
「死ぬ前に何かひとつだけ食ってよろしい」という状況になったとき,ナニを食って死にたいか。
そこにどう答えるか。
前回“忘我の味”,などということを書いていたら,その延長でこんなことに思い当たった。
ひとそれぞれいろいろあろうが,まあ,ここでは当然サカナが話しの対象となる。これを仮に“末期のサカナ”としよう。
これについて,私はこれまで,いつでもどこでも,即座に「サバです。特にサバ寿司です!」とキッパリ叫んでいたものだ。逝く前に,旨いサバ寿司をひとくち食って一瞬味わったのち静かに目を閉じたい。と思っていた。
旨いサカナを数えればキリがない。
獲れる時期,場所,サイズ,鮮度,そして調理法,食環境,等々が適切に融合すれば,それぞれに旨いし,或いは旨くすることができる。
しかし“末期のサカナ”となると,単なる旨いマズイだけでなく,むしろ個々人の内面的な世界と強くつながっているサカナ,あるいはそのような料理,ということになるのかもしれない。最近流行のソウルフードなどとは,また意味合いが違うのだが。
さばアレルギーの人には申し訳ないが,「サバ」のうまさ。これは今さら言い立てるまでもあるまい。
適切な手法で鮮度を維持し適切な処理さえ心得ておけば,その身肉は,およそ魚類界において最強クラスの旨味をもち,それはいかなる料理に仕立てても揺らぐことがない。負けないのである。
たとえばサカナのカレーを作るとき,マグロ,アジ,サバ,サンマ,その他白身のサカナいろいろと使ってみると,違いがよくわかる。香辛料に負けず,いくら煮込んでも歯ごたえも維持しつつ,噛み下した直後からグッと迫る旨味を固持しているのがサバだ。それだけに,“品のある味”とは言い難いが,まあ強くしっかりしているのである。多少鮮度が落ちている場合であっても,だいたい旨味が勝つ。そばつゆなどにグッとくるコクを出したいときに,サバ節を加えるのもこういうわけだ。
塩サバ,焼サバ,汁物,煮物,揚物,刺身にシメサバ,サラダにしてもよいし,オードブルにも,和・洋・中全てに化ける。我が国では塩や糠に漬けて保存食にもする。“鯖の水煮”はサカナ缶詰の代名詞たる存在だ。汎用性が広く,人間の魚食生活に古くから深く溶け込んでいる。その点,大衆性の強い青ザカナの一員でありながら,他の青ザカナとは歴史と実力が違う。
中でも,こと「サバ寿司」となると,別格だ。
関東のバッテラ,土佐の姿寿司,最近では若狭の焼きサバ寿司など,要は塩をあてたサバを酢でシメ,整形した酢飯に乗せて押しをかけた寿司は各地に存在し,余計な添加物さえ入っていなければそれぞれに旨いが,ここで言うのは京都で作る郷土食たる「サバの棒寿司」だ。
京都のアレは,日本の風土と文化伝統が生んだサバ料理の最高傑作ではないかと思う。
日本海は若狭湾の,脂の乗りすぎない肉厚の朝獲れサバを背割りにしてひと塩し,これをカマス袋に担いで京都まで運んだ。この道が言わずと知れた「サバ街道」だ。福井県の若狭小浜から南西に下って琵琶湖西岸に至り南下し,幾多の峠を越えて京都に至る,全長約72㎞の山道である。サバの押し寿司を作り食べる習慣は,この途中の宿場町の随所にみられる。
ひと塩モノのサバがたどりついた先の京の料理人および家庭のご婦人方は,馬上で揺られ運ばれる間にちょうどよく塩のなじんだこれを酢で締め,若干甘めに仕上げた酢飯と合わせて押しをかけ,短期保存食とした。ただでさえ“サバの生き腐れ”と言われるほど鮮度の落ちやすいサバを,冷蔵器機のない時代,よくぞここまで生に近いかたちで食べられるところまで昇華したものだ(このへん,過日書いた「カルパッチョ」の根本原理と相通ずる原理があると思う。生で旨いかぎり生で食いたいという人間の欲求と,その発露たる工夫の産物だ)。
あらゆる面で合理的,かつ味覚のバランスが良くできており,そのための技術の粋が細部に凝らされている。京の実力。京の格式にいくらお高くとまられようが,これを食ったら「さすがミヤコじゃ・・・」と納得せざるをえない。
今でこそ日常的に周年食べられるようになっているが,本来は祝い事や祭りの時につくる“ハレ”の食であった。
かつて学生時代,京都の友人の実家に招いていただき,年の暮れ明けとお世話になったおり,そこの母上殿のこしらえたサバ寿司を口にして目を瞠った。九谷の大皿にどっしりびっしりと並んだそれは,
まず,美しかった。3㎝ほどにも分厚く切ったサバ寿司がしっかりまとまってピカピカ輝いている姿は,美しいだけでなく安心感を与えた。
そして次に,口元に運んでも,かみ砕いたときの空気が鼻腔に抜けても,臭みがない。生でもないが,生じゃないとも言えない。旨いが,旨過ぎない。郷土の香りがする。伝統の重さがある,かの母の佇まいそのままに優しさと力強さが同居している。という具合であった。
今でもその具象・心象風景が,味と共に,ありありと残映しているのである。背筋のピシッと通った立派な母上であったが,今はもうおられない。あのサバ寿司は,夢の中でしか,もう食えない。
作り方は教わっていて,自分でもしきりとやってみるのだが,やはり違う。旨くはあるのだけれど,やはり,このような伝統料理には人間の格みたいなものが出てしまう。かの母のそれには遠く及ばない。次元が違うのだと思う。
というわけで,やれ大味だ小味だとウルサイ私の「末期のサカナ」は,ここ20年来「サバ」なのであった。味もさることながら,特に私の中でのサバ棒寿司の存在が,魂の根幹奥深くまで食い込み息づいている。幼少の頃から食べた経験があるわけでもなく,まして京都に住んだこともない。ところがこうなってしまうのは不思議なことだ。
さて,振り返って今。
ここ境港に水揚げされる山陰のサバは,今でこそ,いくら大きくても1㎏いくかいかないか,というところであるが,かつて10年前には,大きいもので2㎏もあるようなサバも獲れていたという。今では考えられない,カツオと見まがうばかりのサイズである。味はいかばかりであったろうか。思いめぐらせば,つい遠い目になる。海は変わった。サカナも変わった。ヒトの生活が変わってしまったからだ。
地元で名を知られる廻船時代からの弁当「五左右衛門寿司」は,昔からこの形態かどうかは知らないが,今は山陰沖のサバを用いたまさに棒寿司で,旨いのである。が,地物とはいえ現在使用しているサバはせいぜい25~30㎝程度。境の昔日を想わせるべくもない。
現代のここ境港市中で旨いサバを存分に食いたくなったら,「ぶっこん亭」に行けばよい。旬の最盛期であれば刺身が味わえるし,シメサバは常備している。よくまあサバをこれだけ揃えられるものだと感心する。しかも全て地物だ。
なかなかに秀逸なのは酒後に注文する「サバ押し」で,これは即席の棒寿司である。即席であるが故に,塩加減も酢加減も浅く,刺身感覚の旨さがあり,いかにも毎日新鮮魚が水揚げ豊富な境港らしい仕上がりだ。寿司の歴史において紀州を起源とし西日本で発達した「なれ(熟れ)寿司」に対し,江戸日本橋の魚河岸で生まれた「握り寿司」の別名である,いわゆる「早なれ」もしくは「早ずし」とはこんなものではなかったか,とのイメージがよぎる。
京都のサバ寿司とは違って値段もお手頃で,スバヤク気取らずジワリと旨い。この点,若き店主の門脇誠君の料理に対する姿勢が表れているといってよい。入り口には営業中ではなく「合戦中」と大きな殴り筆の木札が掛かっている。彼は毎日素材と合戦しているのだ。されど料理はさりげない。このへんがニクイ。他のサカナ料理も気が利いており,とにかく私のような根っからの“サカナっ食い”にはありがたい店だ。
が,末期のサカナ,とは別のもの。
境港で日々旨いサカナを食いながら,件のサバ寿司を静かに回顧している。
そこにどう答えるか。
前回“忘我の味”,などということを書いていたら,その延長でこんなことに思い当たった。
ひとそれぞれいろいろあろうが,まあ,ここでは当然サカナが話しの対象となる。これを仮に“末期のサカナ”としよう。
これについて,私はこれまで,いつでもどこでも,即座に「サバです。特にサバ寿司です!」とキッパリ叫んでいたものだ。逝く前に,旨いサバ寿司をひとくち食って一瞬味わったのち静かに目を閉じたい。と思っていた。
旨いサカナを数えればキリがない。
獲れる時期,場所,サイズ,鮮度,そして調理法,食環境,等々が適切に融合すれば,それぞれに旨いし,或いは旨くすることができる。
しかし“末期のサカナ”となると,単なる旨いマズイだけでなく,むしろ個々人の内面的な世界と強くつながっているサカナ,あるいはそのような料理,ということになるのかもしれない。最近流行のソウルフードなどとは,また意味合いが違うのだが。
さばアレルギーの人には申し訳ないが,「サバ」のうまさ。これは今さら言い立てるまでもあるまい。
適切な手法で鮮度を維持し適切な処理さえ心得ておけば,その身肉は,およそ魚類界において最強クラスの旨味をもち,それはいかなる料理に仕立てても揺らぐことがない。負けないのである。
たとえばサカナのカレーを作るとき,マグロ,アジ,サバ,サンマ,その他白身のサカナいろいろと使ってみると,違いがよくわかる。香辛料に負けず,いくら煮込んでも歯ごたえも維持しつつ,噛み下した直後からグッと迫る旨味を固持しているのがサバだ。それだけに,“品のある味”とは言い難いが,まあ強くしっかりしているのである。多少鮮度が落ちている場合であっても,だいたい旨味が勝つ。そばつゆなどにグッとくるコクを出したいときに,サバ節を加えるのもこういうわけだ。
塩サバ,焼サバ,汁物,煮物,揚物,刺身にシメサバ,サラダにしてもよいし,オードブルにも,和・洋・中全てに化ける。我が国では塩や糠に漬けて保存食にもする。“鯖の水煮”はサカナ缶詰の代名詞たる存在だ。汎用性が広く,人間の魚食生活に古くから深く溶け込んでいる。その点,大衆性の強い青ザカナの一員でありながら,他の青ザカナとは歴史と実力が違う。
中でも,こと「サバ寿司」となると,別格だ。
関東のバッテラ,土佐の姿寿司,最近では若狭の焼きサバ寿司など,要は塩をあてたサバを酢でシメ,整形した酢飯に乗せて押しをかけた寿司は各地に存在し,余計な添加物さえ入っていなければそれぞれに旨いが,ここで言うのは京都で作る郷土食たる「サバの棒寿司」だ。
京都のアレは,日本の風土と文化伝統が生んだサバ料理の最高傑作ではないかと思う。
日本海は若狭湾の,脂の乗りすぎない肉厚の朝獲れサバを背割りにしてひと塩し,これをカマス袋に担いで京都まで運んだ。この道が言わずと知れた「サバ街道」だ。福井県の若狭小浜から南西に下って琵琶湖西岸に至り南下し,幾多の峠を越えて京都に至る,全長約72㎞の山道である。サバの押し寿司を作り食べる習慣は,この途中の宿場町の随所にみられる。
ひと塩モノのサバがたどりついた先の京の料理人および家庭のご婦人方は,馬上で揺られ運ばれる間にちょうどよく塩のなじんだこれを酢で締め,若干甘めに仕上げた酢飯と合わせて押しをかけ,短期保存食とした。ただでさえ“サバの生き腐れ”と言われるほど鮮度の落ちやすいサバを,冷蔵器機のない時代,よくぞここまで生に近いかたちで食べられるところまで昇華したものだ(このへん,過日書いた「カルパッチョ」の根本原理と相通ずる原理があると思う。生で旨いかぎり生で食いたいという人間の欲求と,その発露たる工夫の産物だ)。
あらゆる面で合理的,かつ味覚のバランスが良くできており,そのための技術の粋が細部に凝らされている。京の実力。京の格式にいくらお高くとまられようが,これを食ったら「さすがミヤコじゃ・・・」と納得せざるをえない。
今でこそ日常的に周年食べられるようになっているが,本来は祝い事や祭りの時につくる“ハレ”の食であった。
かつて学生時代,京都の友人の実家に招いていただき,年の暮れ明けとお世話になったおり,そこの母上殿のこしらえたサバ寿司を口にして目を瞠った。九谷の大皿にどっしりびっしりと並んだそれは,
まず,美しかった。3㎝ほどにも分厚く切ったサバ寿司がしっかりまとまってピカピカ輝いている姿は,美しいだけでなく安心感を与えた。
そして次に,口元に運んでも,かみ砕いたときの空気が鼻腔に抜けても,臭みがない。生でもないが,生じゃないとも言えない。旨いが,旨過ぎない。郷土の香りがする。伝統の重さがある,かの母の佇まいそのままに優しさと力強さが同居している。という具合であった。
今でもその具象・心象風景が,味と共に,ありありと残映しているのである。背筋のピシッと通った立派な母上であったが,今はもうおられない。あのサバ寿司は,夢の中でしか,もう食えない。
作り方は教わっていて,自分でもしきりとやってみるのだが,やはり違う。旨くはあるのだけれど,やはり,このような伝統料理には人間の格みたいなものが出てしまう。かの母のそれには遠く及ばない。次元が違うのだと思う。
というわけで,やれ大味だ小味だとウルサイ私の「末期のサカナ」は,ここ20年来「サバ」なのであった。味もさることながら,特に私の中でのサバ棒寿司の存在が,魂の根幹奥深くまで食い込み息づいている。幼少の頃から食べた経験があるわけでもなく,まして京都に住んだこともない。ところがこうなってしまうのは不思議なことだ。
さて,振り返って今。
ここ境港に水揚げされる山陰のサバは,今でこそ,いくら大きくても1㎏いくかいかないか,というところであるが,かつて10年前には,大きいもので2㎏もあるようなサバも獲れていたという。今では考えられない,カツオと見まがうばかりのサイズである。味はいかばかりであったろうか。思いめぐらせば,つい遠い目になる。海は変わった。サカナも変わった。ヒトの生活が変わってしまったからだ。
地元で名を知られる廻船時代からの弁当「五左右衛門寿司」は,昔からこの形態かどうかは知らないが,今は山陰沖のサバを用いたまさに棒寿司で,旨いのである。が,地物とはいえ現在使用しているサバはせいぜい25~30㎝程度。境の昔日を想わせるべくもない。
現代のここ境港市中で旨いサバを存分に食いたくなったら,「ぶっこん亭」に行けばよい。旬の最盛期であれば刺身が味わえるし,シメサバは常備している。よくまあサバをこれだけ揃えられるものだと感心する。しかも全て地物だ。
なかなかに秀逸なのは酒後に注文する「サバ押し」で,これは即席の棒寿司である。即席であるが故に,塩加減も酢加減も浅く,刺身感覚の旨さがあり,いかにも毎日新鮮魚が水揚げ豊富な境港らしい仕上がりだ。寿司の歴史において紀州を起源とし西日本で発達した「なれ(熟れ)寿司」に対し,江戸日本橋の魚河岸で生まれた「握り寿司」の別名である,いわゆる「早なれ」もしくは「早ずし」とはこんなものではなかったか,とのイメージがよぎる。
京都のサバ寿司とは違って値段もお手頃で,スバヤク気取らずジワリと旨い。この点,若き店主の門脇誠君の料理に対する姿勢が表れているといってよい。入り口には営業中ではなく「合戦中」と大きな殴り筆の木札が掛かっている。彼は毎日素材と合戦しているのだ。されど料理はさりげない。このへんがニクイ。他のサカナ料理も気が利いており,とにかく私のような根っからの“サカナっ食い”にはありがたい店だ。
が,末期のサカナ,とは別のもの。
境港で日々旨いサカナを食いながら,件のサバ寿司を静かに回顧している。
2007年07月03日
忘我の味「ノドクロ」
本当は釣りについても,水産業などについてもいろいろ書きたいことはあるのだが,相変わらず食い意地にまかせて“サカナっ食い”の話で恐縮です。
さて皆さん。
サカナに限らず,およそ食べ物の中で,食べたら“陶酔”してしまうもの。言葉を代えれば“忘我”してしまうもの。カンタンに言えば,“ウットリ”ないし“ボーッ”となっちゃうもの。そんな食べ物がこの世にどれだけあるでしょうか。
なにせ味の世界のことだから,人畜それぞれにいろいろあるかもしれない。現にネコ共が陶酔してやまないマタタビの風味は我々人間にはわからないし,ワインマニアの方が美辞麗句を述べつつ一杯の赤ワインに陶酔している有様を見ても,もっと素朴な物差ししか持たないがゆえにピンと来ないワタクシもいる。
やはり味の嗜好というものは,生物ごとの生理と,生い立ち,経験,それらを統括する感覚や精神,そんなものが総合されて形成されている。
とはいえ・・・,
これまでピンからキリまでいろんなものを口にしてきたが,私はここ山陰で,初めて我を忘れる“忘我の味”に出会ってしまった。今のところ,唯一無二であり,他の追随を許さない。そのサカナの名を「ノドクロ」という。
最近ではテレビの料理試合番組にも出場したせいか,けっこう名を知る人も増えた。標準和名を「アカムツ」といい,口の中および腹腔の内側が黒い皮膜で覆われているのでノドクロと呼ばれている。
水深200m前後の中深海の大陸棚に棲み,イカや小魚を食っている。底引き網や深場の刺し網,はえ縄などで漁獲されるが,漁獲量は少なく幻とまでは言えないまでも希少価値。値段も高い。
関東以南の太平洋から東シナ海,中部日本海までグルッと分布しており,それぞれの環境で質は違うが,太平洋や東シナ海よりも,まず日本海,特に島根県以北のものをもって最上とする。体型も違うし,脂の入り具合も断然違ってくるのである。
【 ノドクロ陶酔症 第一期症状 】
初めてノドクロを食ったのは,誰かの結婚式で友人と山陰に出かけた折,出雲駅にほど近い小料理屋で,店主に勧められるままに一尾を塩焼きにしてもらったのが最初であった。30㎝をちょっと出るくらいの大きなヤツで,店主がえらく神経を使って焼いていたのが印象的であった。
さて焼き上がり,それまではツマラン結婚式だったのなんのとやかましかった我々は,早速これを口にし,そして沈黙した。隣にいた獣医のやつが,「すごいな・・・」とだけつぶやいた。この獣医は,普段は雑な物も食うくせに,真剣になると本当の意味で味にはうるさい。旨味世界の身体的受容体およびそれを感受する精神的背景が広く,かつ深いということであろうと思う。ナマイキなことだ。
二人で夢中でたいらげ,驚いて見ている店主に向き直り,「こここ・これ,このアラ,お椀にお湯注いで吸い物にしてください!」と指さし叫んだが,店主は「もはいアンタやち,食べーとこあーませんがな」などと,出雲弁で静かにあきれられたのみであった。
微々たる残骸の,そのまたカスを前に,我々は酒を飲むのも忘れて暫くボーッとしていた。忘我の味は忘酒の味でもあることがわかった。もう一尾おかわりを注文すればよかったことだが,結婚式の後では既に財布の余裕は尽きていたのである。
【 ノドクロ陶酔症 第二期症状 】
その後数年がたち,はからずも境港に転勤となり,当時は隣町の米子にアパートを借りて住んでいた。近所の鮮魚直売所に赴くと,再びノドクロと遭遇した。25㎝ばかりのそれを,引っ越しの片づけもまだ終わらぬ家に買って帰り,塩をしてレンジの魚焼きグリルで焼いた。匂いも良い。期待に心が震えていた。
が,片面を七分がた焼き終わり,返すときに身がざっくりと崩れてしまった。それでもガンバって両面を焼き終えたときには,骨がすっかり露出し,グリルのトレイの上に“ほぐし身”がボトボトと散乱している惨状となった。これではたして両面焼いたと言えるのか。
トレイから拾い集めた身肉を食いつつ,心中複雑ながら,それでもやはり陶酔していった。やはり旨い。そして,ひと月に1回はノドクロを食べられるような生活をしよう,と心に誓った。
かたわら,ボロボロとなったノドクロの原因追及を始めた。
身肉が焼くほどに崩れてしまった可能性として,
①鮮度が低下していたので過熱によりもろくなった。
②反対に返すときの箸が食い込んで割れた。
③自重によってグリルの網目が食い込んで割れた。
などが考えられたが,観察する限り,原因は明らかに②と③である。しかし,およそ魚類界を見渡してみても,姿がこれほどしっかりしているくせに,こんなことになる魚は滅多にない。何がこうさせるのであろうか。
初めてノドクロを口にしたときにわかったことだが,このサカナは,単に脂が乗っているだけのサカナではない。通常のサカナは,脂が乗ってくると皮と肉の間に溜まっていき,皮沿い,もしくは筋膜や腱などのスジ沿いに,徐々に筋肉中に入りこんでくる。これを一般に“サシが入った”と言い,極まれば“霜降り”などとも言う。マグロの中トロや脂の乗ったイワシやサワラなどの切断した断面に目を近づけてよーく見れば,脂の入り方のルートがよくわかる。鯛やヒラメなどの白身でも若干乗りが薄いがほぼ同様である。
が,ノドクロの場合はちょっと違う。脂が乗り始めると,皮沿いだけでなく,同時に骨に接する中心部までサシが入るのだ。それともうひとつ特徴的なのは,脂と共に,大量の水分を筋肉中に蓄えている点だ。けして水っぽいというのではない。旨味を伴った水分である。“ジューシーな肉汁”,というやつだ。これが極めて多い。筋肉繊維自体は,タイ並にしっかりしているのだが,この独特の脂乗りと肉汁によって,噛みしめるほどにみずみずしい旨さが口中にしみ出すしくみとなっている。上手に焼いたノドクロの塩焼きを食ったとき,香ばしさと共に,大量の肉汁が口中にあふれかえるのは,そのせいだ。ただし,“上手に焼く”ということが前提であって,ここが難しい。
ここで比較すべく他魚を引き合いに出すと,北海道および東北地方には魚族脂肪番付上横綱級の「キンキ」がいる。根室を発祥とする炉端焼きで味わうと,これもまたむっちりしたコラーゲンといいますか,透明感のある濃厚な脂の乗りがスゴイ魚であるが,いかんせん,①肉のジューシーさが少ない,②肉質に北方のカサゴの仲間に特有のパラパラ感がある。種族の系譜の違いはぬぐえない。この魚はカサゴの仲間なのである。いくら脂が乗っていようとも,どうしても総合点でノドクロには及ばない。
話を戻す。
世間ではノドクロの刺身やタタキ,あるいは煮付けが最高と言うヒトもいるし,その後私も食う機会があり,それぞれに旨いものであったが,「脂でカリッと揚げたように焼けた皮の香味と共に,あふれかえる脂と肉汁の混合液を口中にからませ,その中に同居するコクのある肉を噛みしめ味わい飲み下す,複雑にして玄妙ナル旨さ」は,塩焼き以外では実現できない。世間に異論があろうとも,ノドクロの特性を100%引き出せるのは塩焼きだけなのだ,と断定したい。
とにかくその後,私は節約を重ね,月に1回はノドクロを吟味購入し,身崩れを防ぐため,塩して干したり,アルミホイルやフライパンに載せて焼いたりと,今思えば短絡的かつ稚拙な工夫を始めたのであった。
【ノドクロ陶酔症 第三期症状】
あれこれやってみた結果,やはりストレートに直火で焼く意外,ノドクロの本性味を引き出すことはできない,という結論に至った。
住んでいたプレハブ2階のベランダに板を敷き,20×40㎝の鋳物製炭火コンロを据え,ホームセンターでスチール棚のパーツを買い揃え,やぐらのようにネジで組み合わせて,串を打ったサカナの高さが多段階的に調整可能なプラントを作った。串はステンレス2㎜径の60㎝を数本買い求めた。これでノドクロ焼きの試行錯誤が始まったのである。
毎月のようにノドクロを購入し,炭火を熾し,塩加減,火力,高さ調整,等々を入念に工夫して2年が経った。最低計算で計24本,来客などあったときには更に多く,おそらく総計50本以上焼いたのではないか。これは料理屋であれば少ない数かも知れないが,数が少ない分,一回ごとの努力と反省には重さがあったように思う。
その結果得たノドクロの塩焼きに関する要諦,以下のとおり。
***************************
【ノドクロを焼く】
①ノドクロは,無理をしてでも25㎝以上の中型より大きいもの,中でも特に背が張りシッポの太いものを選び,肌身を傷つけないようウロコをとり,体の右側(背上・頭左に盛りつけたときの裏側)横に包丁を入れ,エラ・内臓を取り去る。
②水洗いしながら口から歯ブラシを入れて,腹腔の背骨に付着した血合いをこすりとる。
③体全体および腹腔の内部,口の中等の水分をよく拭き取り,体の両面の首の付け根から尻ビレにかけてナナメに,中骨にギリギリ到達しない程度に包丁目を入れる。
④手を少し湿らせて粗塩をつけ,口の中や腹腔の内部を含むカラダ全体に塩をあてる。塩加減は,押しつけた指をなめたときに,ちょっとだけ塩がきついのではないか,という程度。これは一般的な他のサカナより少し多めの塩加減。ここでは振り塩ではなく,全体に塩がゆきわたることを目的とするのでベタ塩とする。このまま最低30分置く。
⑤串を打つ。これを間違えると,ノドクロが焼けるに伴って身が崩れ,最悪の場合,身が脱落する。頭を手前,背を右に寝かせ,頭をグッと持ち上げて裏側の目の後方,エラ蓋から串を刺す(容易に串が入る場所がある)。表面に串が出ないようにそのまま尾のほうへ向けてナナメ下方へ串を進め(この時点で背側から見ると逆くノ字型になっている),次に尾を頭と反対側に強く折り曲げ,そのまま串を尾の手前に出す(この時点で,背側から見ると,S字型になっている)。留意すべきは,串がノドクロの背骨の棘をしっかり縫っていること。そのため,しっかりと曲げながら串を打つ必要がある。
更に,2本目の串を同じ手法で腹側に打つ。
⑥炭火を熾し,最高火力から少し落ち着くまで待つ。手をかざしたとき,すぐに耐えられなくなるような距離に串の高さを調節する。
⑦各ヒレに化粧塩を施し,体にもサッと振り塩をあて,火にかける。
⑧裏になる側(体の右側)から焼き初め,しばらくの後,汁が落ち始めたら,魚がかぶるくらいの船型をアルミホイルで作り,上にかぶせる。このことによって,身の厚いノドクロの全体に熱が回ると共に,したたり落ちた脂が煙となって魚体全体にまわり,風味を増す。
⑨全体の7割方火が通り,片面がこんがりキツネ色に仕上がったところで,火の高さを少々下げ,表(魚体の左側)に返し,再びアルミホイルをかぶせる。
(注 意)
表も裏も、焼きすぎればノドクロ特有のみずみずしさは失われ、まずくはないが単なるタイの塩焼きのような味になってしまう。この焼き加減の見極めが最重要ポイント。
⑩表も同様にキツネ色に仕上がったら,大皿に移し,串を回しながら素早く抜く。
⑪このまま即座に食べるが良い。更に,おろしワサビを添え,それを少しつけながら食べると目を瞠る旨さを知ることができる。醤油はかけてはいけない。
****************************
境港は,実は日本海で一番ノドクロが安い土地だ。そういう値段しかつかないところと言ってもよいし,庶民重視の薄利多売の土地柄と言ってもよい。お隣の島根や兵庫でも,新潟や富山でも,値段を見たらビックリする。
魚種が豊富で比較的サカナの安い日本海の中にあって安さ一番ということは,全国一安いということだ。この僥倖に浴している我が身を幸せに思う。
これからもワタクシは,最高の中の更に最高を求めてノドクロを焼き続けるであろう。
ひとたびこの陶酔症に罹患すれば、潜伏し日和見発症するウイルスのごとく、その味は骨の髄にインプットされてしまう。
しばらく食べていないと,車の運転中でも,この味と香りを想い出しただけでボーッとしてしまいそうになるが,これは危険だ。
さて皆さん。
サカナに限らず,およそ食べ物の中で,食べたら“陶酔”してしまうもの。言葉を代えれば“忘我”してしまうもの。カンタンに言えば,“ウットリ”ないし“ボーッ”となっちゃうもの。そんな食べ物がこの世にどれだけあるでしょうか。
なにせ味の世界のことだから,人畜それぞれにいろいろあるかもしれない。現にネコ共が陶酔してやまないマタタビの風味は我々人間にはわからないし,ワインマニアの方が美辞麗句を述べつつ一杯の赤ワインに陶酔している有様を見ても,もっと素朴な物差ししか持たないがゆえにピンと来ないワタクシもいる。
やはり味の嗜好というものは,生物ごとの生理と,生い立ち,経験,それらを統括する感覚や精神,そんなものが総合されて形成されている。
とはいえ・・・,
これまでピンからキリまでいろんなものを口にしてきたが,私はここ山陰で,初めて我を忘れる“忘我の味”に出会ってしまった。今のところ,唯一無二であり,他の追随を許さない。そのサカナの名を「ノドクロ」という。
最近ではテレビの料理試合番組にも出場したせいか,けっこう名を知る人も増えた。標準和名を「アカムツ」といい,口の中および腹腔の内側が黒い皮膜で覆われているのでノドクロと呼ばれている。
水深200m前後の中深海の大陸棚に棲み,イカや小魚を食っている。底引き網や深場の刺し網,はえ縄などで漁獲されるが,漁獲量は少なく幻とまでは言えないまでも希少価値。値段も高い。
関東以南の太平洋から東シナ海,中部日本海までグルッと分布しており,それぞれの環境で質は違うが,太平洋や東シナ海よりも,まず日本海,特に島根県以北のものをもって最上とする。体型も違うし,脂の入り具合も断然違ってくるのである。
【 ノドクロ陶酔症 第一期症状 】
初めてノドクロを食ったのは,誰かの結婚式で友人と山陰に出かけた折,出雲駅にほど近い小料理屋で,店主に勧められるままに一尾を塩焼きにしてもらったのが最初であった。30㎝をちょっと出るくらいの大きなヤツで,店主がえらく神経を使って焼いていたのが印象的であった。
さて焼き上がり,それまではツマラン結婚式だったのなんのとやかましかった我々は,早速これを口にし,そして沈黙した。隣にいた獣医のやつが,「すごいな・・・」とだけつぶやいた。この獣医は,普段は雑な物も食うくせに,真剣になると本当の意味で味にはうるさい。旨味世界の身体的受容体およびそれを感受する精神的背景が広く,かつ深いということであろうと思う。ナマイキなことだ。
二人で夢中でたいらげ,驚いて見ている店主に向き直り,「こここ・これ,このアラ,お椀にお湯注いで吸い物にしてください!」と指さし叫んだが,店主は「もはいアンタやち,食べーとこあーませんがな」などと,出雲弁で静かにあきれられたのみであった。
微々たる残骸の,そのまたカスを前に,我々は酒を飲むのも忘れて暫くボーッとしていた。忘我の味は忘酒の味でもあることがわかった。もう一尾おかわりを注文すればよかったことだが,結婚式の後では既に財布の余裕は尽きていたのである。
【 ノドクロ陶酔症 第二期症状 】
その後数年がたち,はからずも境港に転勤となり,当時は隣町の米子にアパートを借りて住んでいた。近所の鮮魚直売所に赴くと,再びノドクロと遭遇した。25㎝ばかりのそれを,引っ越しの片づけもまだ終わらぬ家に買って帰り,塩をしてレンジの魚焼きグリルで焼いた。匂いも良い。期待に心が震えていた。
が,片面を七分がた焼き終わり,返すときに身がざっくりと崩れてしまった。それでもガンバって両面を焼き終えたときには,骨がすっかり露出し,グリルのトレイの上に“ほぐし身”がボトボトと散乱している惨状となった。これではたして両面焼いたと言えるのか。
トレイから拾い集めた身肉を食いつつ,心中複雑ながら,それでもやはり陶酔していった。やはり旨い。そして,ひと月に1回はノドクロを食べられるような生活をしよう,と心に誓った。
かたわら,ボロボロとなったノドクロの原因追及を始めた。
身肉が焼くほどに崩れてしまった可能性として,
①鮮度が低下していたので過熱によりもろくなった。
②反対に返すときの箸が食い込んで割れた。
③自重によってグリルの網目が食い込んで割れた。
などが考えられたが,観察する限り,原因は明らかに②と③である。しかし,およそ魚類界を見渡してみても,姿がこれほどしっかりしているくせに,こんなことになる魚は滅多にない。何がこうさせるのであろうか。
初めてノドクロを口にしたときにわかったことだが,このサカナは,単に脂が乗っているだけのサカナではない。通常のサカナは,脂が乗ってくると皮と肉の間に溜まっていき,皮沿い,もしくは筋膜や腱などのスジ沿いに,徐々に筋肉中に入りこんでくる。これを一般に“サシが入った”と言い,極まれば“霜降り”などとも言う。マグロの中トロや脂の乗ったイワシやサワラなどの切断した断面に目を近づけてよーく見れば,脂の入り方のルートがよくわかる。鯛やヒラメなどの白身でも若干乗りが薄いがほぼ同様である。
が,ノドクロの場合はちょっと違う。脂が乗り始めると,皮沿いだけでなく,同時に骨に接する中心部までサシが入るのだ。それともうひとつ特徴的なのは,脂と共に,大量の水分を筋肉中に蓄えている点だ。けして水っぽいというのではない。旨味を伴った水分である。“ジューシーな肉汁”,というやつだ。これが極めて多い。筋肉繊維自体は,タイ並にしっかりしているのだが,この独特の脂乗りと肉汁によって,噛みしめるほどにみずみずしい旨さが口中にしみ出すしくみとなっている。上手に焼いたノドクロの塩焼きを食ったとき,香ばしさと共に,大量の肉汁が口中にあふれかえるのは,そのせいだ。ただし,“上手に焼く”ということが前提であって,ここが難しい。
ここで比較すべく他魚を引き合いに出すと,北海道および東北地方には魚族脂肪番付上横綱級の「キンキ」がいる。根室を発祥とする炉端焼きで味わうと,これもまたむっちりしたコラーゲンといいますか,透明感のある濃厚な脂の乗りがスゴイ魚であるが,いかんせん,①肉のジューシーさが少ない,②肉質に北方のカサゴの仲間に特有のパラパラ感がある。種族の系譜の違いはぬぐえない。この魚はカサゴの仲間なのである。いくら脂が乗っていようとも,どうしても総合点でノドクロには及ばない。
話を戻す。
世間ではノドクロの刺身やタタキ,あるいは煮付けが最高と言うヒトもいるし,その後私も食う機会があり,それぞれに旨いものであったが,「脂でカリッと揚げたように焼けた皮の香味と共に,あふれかえる脂と肉汁の混合液を口中にからませ,その中に同居するコクのある肉を噛みしめ味わい飲み下す,複雑にして玄妙ナル旨さ」は,塩焼き以外では実現できない。世間に異論があろうとも,ノドクロの特性を100%引き出せるのは塩焼きだけなのだ,と断定したい。
とにかくその後,私は節約を重ね,月に1回はノドクロを吟味購入し,身崩れを防ぐため,塩して干したり,アルミホイルやフライパンに載せて焼いたりと,今思えば短絡的かつ稚拙な工夫を始めたのであった。
【ノドクロ陶酔症 第三期症状】
あれこれやってみた結果,やはりストレートに直火で焼く意外,ノドクロの本性味を引き出すことはできない,という結論に至った。
住んでいたプレハブ2階のベランダに板を敷き,20×40㎝の鋳物製炭火コンロを据え,ホームセンターでスチール棚のパーツを買い揃え,やぐらのようにネジで組み合わせて,串を打ったサカナの高さが多段階的に調整可能なプラントを作った。串はステンレス2㎜径の60㎝を数本買い求めた。これでノドクロ焼きの試行錯誤が始まったのである。
毎月のようにノドクロを購入し,炭火を熾し,塩加減,火力,高さ調整,等々を入念に工夫して2年が経った。最低計算で計24本,来客などあったときには更に多く,おそらく総計50本以上焼いたのではないか。これは料理屋であれば少ない数かも知れないが,数が少ない分,一回ごとの努力と反省には重さがあったように思う。
その結果得たノドクロの塩焼きに関する要諦,以下のとおり。
***************************
【ノドクロを焼く】
①ノドクロは,無理をしてでも25㎝以上の中型より大きいもの,中でも特に背が張りシッポの太いものを選び,肌身を傷つけないようウロコをとり,体の右側(背上・頭左に盛りつけたときの裏側)横に包丁を入れ,エラ・内臓を取り去る。
②水洗いしながら口から歯ブラシを入れて,腹腔の背骨に付着した血合いをこすりとる。
③体全体および腹腔の内部,口の中等の水分をよく拭き取り,体の両面の首の付け根から尻ビレにかけてナナメに,中骨にギリギリ到達しない程度に包丁目を入れる。
④手を少し湿らせて粗塩をつけ,口の中や腹腔の内部を含むカラダ全体に塩をあてる。塩加減は,押しつけた指をなめたときに,ちょっとだけ塩がきついのではないか,という程度。これは一般的な他のサカナより少し多めの塩加減。ここでは振り塩ではなく,全体に塩がゆきわたることを目的とするのでベタ塩とする。このまま最低30分置く。
⑤串を打つ。これを間違えると,ノドクロが焼けるに伴って身が崩れ,最悪の場合,身が脱落する。頭を手前,背を右に寝かせ,頭をグッと持ち上げて裏側の目の後方,エラ蓋から串を刺す(容易に串が入る場所がある)。表面に串が出ないようにそのまま尾のほうへ向けてナナメ下方へ串を進め(この時点で背側から見ると逆くノ字型になっている),次に尾を頭と反対側に強く折り曲げ,そのまま串を尾の手前に出す(この時点で,背側から見ると,S字型になっている)。留意すべきは,串がノドクロの背骨の棘をしっかり縫っていること。そのため,しっかりと曲げながら串を打つ必要がある。
更に,2本目の串を同じ手法で腹側に打つ。
⑥炭火を熾し,最高火力から少し落ち着くまで待つ。手をかざしたとき,すぐに耐えられなくなるような距離に串の高さを調節する。
⑦各ヒレに化粧塩を施し,体にもサッと振り塩をあて,火にかける。
⑧裏になる側(体の右側)から焼き初め,しばらくの後,汁が落ち始めたら,魚がかぶるくらいの船型をアルミホイルで作り,上にかぶせる。このことによって,身の厚いノドクロの全体に熱が回ると共に,したたり落ちた脂が煙となって魚体全体にまわり,風味を増す。
⑨全体の7割方火が通り,片面がこんがりキツネ色に仕上がったところで,火の高さを少々下げ,表(魚体の左側)に返し,再びアルミホイルをかぶせる。
(注 意)
表も裏も、焼きすぎればノドクロ特有のみずみずしさは失われ、まずくはないが単なるタイの塩焼きのような味になってしまう。この焼き加減の見極めが最重要ポイント。
⑩表も同様にキツネ色に仕上がったら,大皿に移し,串を回しながら素早く抜く。
⑪このまま即座に食べるが良い。更に,おろしワサビを添え,それを少しつけながら食べると目を瞠る旨さを知ることができる。醤油はかけてはいけない。
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境港は,実は日本海で一番ノドクロが安い土地だ。そういう値段しかつかないところと言ってもよいし,庶民重視の薄利多売の土地柄と言ってもよい。お隣の島根や兵庫でも,新潟や富山でも,値段を見たらビックリする。
魚種が豊富で比較的サカナの安い日本海の中にあって安さ一番ということは,全国一安いということだ。この僥倖に浴している我が身を幸せに思う。
これからもワタクシは,最高の中の更に最高を求めてノドクロを焼き続けるであろう。
ひとたびこの陶酔症に罹患すれば、潜伏し日和見発症するウイルスのごとく、その味は骨の髄にインプットされてしまう。
しばらく食べていないと,車の運転中でも,この味と香りを想い出しただけでボーッとしてしまいそうになるが,これは危険だ。
2007年07月01日
「カルパッチョ」について、ひとこと
たいへんご無沙汰しております。
つまらないことを言うようですが,,,
ここ数年来,都市部を中心に,店内にジャズが流れているようなナンチャッテハイカラ居酒屋,或いはあくまで自称創作料理屋などのいたるところに「カルパッチョ」なるメニューが導入され,最近は釣り人までもパッチョパッチョとかまびすしい。マグロや鮭,タイやヒラメなど,多様化をみせている。このことが,悪いけれどちょいと神経に障る。最近では,その名を聞くだけでもナンダカ腹が立つようになってしまっていけない。条件反射か。
というのも,これだけ普及している「カルパッチョ」であるが,店だろうが誰かが作ってくださるものだろうが,私はマトモなソレに一度も出会ったことがないからだ。具体的かつ断定的に言わせてもらえれば,世間で氾濫しているソレは,単なる“薄切り刺身と野菜のサラダ”である。ソレのソレたる最重要ポイントがボッカリ抜けてしまっているのである。ここを申し上げたい。
では,カルパッチョのソレたるゆえんは何か。
①塩,②黒コショウ,③柑橘汁,④オリーブ油,以上。これが構成要素。
こう書くと,ちゃんと全部入ってるじゃないですかっ,ウチのも! とおっしゃる方もおられようが,順序が違う。合わせればいいというものではない。同じ材料を用いても,順序と手法が異なれば,味としては違うものとなるは料理の理。やりかたが変われば“似て非なるもの”というのだ。
カルパッチョは言うまでもなく,元来,新鮮な畜肉を生で食べることを目的とし,これがイタリア南部を主産地とするオリーブ油および柑橘類と出会い,更に地中海の魚にも波及して定着したと推せられる。
しかし,現代でこそ,新鮮な肉や魚の入手が常識化しているが,その昔,どうであったろうか。まず,鮮度維持に必要な,冷やすための氷がふんだんにあるワケがない。かといって肉にしても魚にしても,屠殺ないし漁獲してから長期間常温で放置するわけにもいかなかったであろう。雑菌が繁殖する条件,すなわち①適度な温度,②水分,③豊富な栄養,が揃えば肉は腐敗へと進む。まして,カルパッチョの必須構成要素である柑橘類の地理的分布は温帯~亜熱帯域であるから,雑菌にとってはより快適なのである。そこで,2つの選択肢が生ずる。新鮮な肉や魚を入手したら,①速やかに食べてしまう,②保存するための処理を施す。
ところで,冷蔵庫が当たり前となった現代の我々は,たとえば肉の表面が菌に冒されて腐敗臭がしたら,可食部全てが腐敗していると錯覚してはいないだろうか。
実は,新鮮な肉の大きな固まりがあったとして,表面が痛んできたとしても,その内部は大丈夫,なのである。危ない部分と安全な部分をごっちゃにしてはもったいない。また魚であれば,大きな魚,たとえばマグロやクジラなどでも同じようなことが言える。丸ごとの小さな魚でも,新鮮なうちにウロコや内臓,ヒレなどの雑菌が付着しやすい部位を除いておけば,大型の生物ほど比較的常温でも長持ちするのである。初期の段階であれば,表面が臭くなったら洗えばよろしい。
そもそも熱帯地方の市場で,常温で魚がゴロゴロ並べられていてもちゃんと食べられるのはなぜか?これも同じ原理で,表面には菌がついていても,「生体」の内部は無菌状態だからだ。死んだ魚や牛でも,初めのうちは内部たる筋肉細胞は生きている。時間がたてば細胞中の分解酵素が作用して細胞が崩壊し,旨みが増し,それを越えれば外側から次第に菌が侵入し繁殖する場所となる。
ちなみに畜肉やマグロを「熟成する」といって固まりのまま保存しておくのは,この自己分解(=旨み成分の増加)と腐敗のきわどいところを見極める技術である。
さて。
とはいえ表面が雑菌に冒されることには変わりはない。そこで保存する手段として,当時氷が少ない時代に使用されるのがまず「塩」であろう。塩は最も入手しやすく生命と関わりの深い最初の調味料であり,味付けのみならず,その強い浸透圧によって肉の細胞から水分を奪うことができる。更に,付着した雑菌の細胞からも水分を奪ってしまう。もちろん海水中には塩分を好む菌もいるのであるが,陸上であれば,塩は,まず,先述した,菌の発生条件の最重要条件である「水分」を奪う力を持っているのである。
肉が腐敗しやすい温・熱帯の地方にあった,冷蔵手段もなく,それでもなお“生で食いたい”という欲求,おそらくそれがカルパッチョを生んだ原動力である。そこでは塩が不可欠のはずだ。しかも,味付け程度ではなく,雑菌が繁殖できない強い塩加減が求められたはずだ。
そして,もうひとつ,安全な生食を実現したのが,レモンやライムをはじめとする柑橘類の植生である。強度な酸味が雑菌の繁殖を阻害して保存性と安全性を高めることは,我が国のシメサバやすし飯でも見るとおり,言うまでもない。固まりに塩をして表面の腐敗を防ぎ,薄く切って露出した肉の断面には柑橘の酸で殺菌する。
更に更に,これほどまでに防菌・殺菌された肉片にオリーブ油をかけて空気を遮断して万全を期している。
これが,カルパッチョという,極めて合理的な生食料理の真髄ではないだろうか。
これと全く同様の生魚料理が南米にあり「セビッチェ」という。ちがうのは,魚にあてる塩分がカルパッチョよりきついことと,柑橘汁を,よりたっぷりかけること。また,粒コショウなどを使う点だ。これもまた,イタリアよりも赤道に近い熱帯地方に叶った流用といえよう。
というわけで,以上の条件を満たした「カルパッチョ」の作り方を紹介しよう。
*******************************
【カルパッチョ】
①肉ないし魚は,小口に切りやすい大きさの固まり(魚であれば“サク”程度の大きさ)のまま,全体にきつく塩をまぶし,皿に載せておく。
②タマネギをごく薄くスライスして水にさらし,パリッとしたところで水分をよく切っておく。
③放置する時間は固まりの大きさによって異なるが,更に肉の水分が流れ出る頃を見計らい,表面をなでるように流水で塩をサッと流し,水分を拭いておく。
④薄くそぎ切りにし,タマネギをまんべんなく敷いた皿の上に,密に並べていく。肉の両端は塩辛いので特に薄く切ること。
⑤皿いっぱいに並べ終わったら,柑橘汁をまんべんなくたらしかける。次いで,粗挽き黒コショウをまんべんなく薄くふりかける。
⑥最後にバージンオリーブ油を,細くまんべんなくかけ回す。
⑦これで食べられるが,現代であれば,このまま皿ごとよく冷やして食べるのがオツ。
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「カルパッチョ」の要諦は次のとおり
●肉ないし魚には,切りやすく整形した固まりのままシッカリと塩をあてること。
●薄く切ってちょうどよくなるよう,寝かせる時間を調節すること。
●スライスタマネギの上に薄切りした身を並べ,「柑橘汁→香辛料→オリーブ油」の順に細くまんべんなくふりかけること(ドバッとかけたり,この順序を変えたりしてはいけない。塩・酸・香辛料・オリーブ油のバランスが重要なのであり,また,順序を違えて先に油をかけたりすれば柑橘汁や香辛料の効能が損なわれる)。
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我が国や外国の郷土料理,特に古い歴史を持つ料理を再現するとき,ぜひとも,その地域の地理や環境に想いをはせていただきたい。そして更に言えば,時代をさかのぼり,その土地でその料理が生まれた当時の背景を考えてもらいたい。現代に比べて,何があって,何がなかったのか。そしてどのようにしていたのか。そこに料理の構成要素があるからだ。
料理にせよ文化にせよ,原点にさかのぼると,おのずから“ホンモノ”が見えてくる。料理であればホンモノにより近い旨さを味わうことができる。ホントウのホンモノに出会うには現地に赴くしかないのであるが,その現地にさえ,ホントウのホンモノが消えつつある昨今だ。ぜひとも想像力をたくましくし,それぞれのご家庭に,ホンモノにを再現して伝えてほしいと願う。
つまらないことを言うようですが,,,
ここ数年来,都市部を中心に,店内にジャズが流れているようなナンチャッテハイカラ居酒屋,或いはあくまで自称創作料理屋などのいたるところに「カルパッチョ」なるメニューが導入され,最近は釣り人までもパッチョパッチョとかまびすしい。マグロや鮭,タイやヒラメなど,多様化をみせている。このことが,悪いけれどちょいと神経に障る。最近では,その名を聞くだけでもナンダカ腹が立つようになってしまっていけない。条件反射か。
というのも,これだけ普及している「カルパッチョ」であるが,店だろうが誰かが作ってくださるものだろうが,私はマトモなソレに一度も出会ったことがないからだ。具体的かつ断定的に言わせてもらえれば,世間で氾濫しているソレは,単なる“薄切り刺身と野菜のサラダ”である。ソレのソレたる最重要ポイントがボッカリ抜けてしまっているのである。ここを申し上げたい。
では,カルパッチョのソレたるゆえんは何か。
①塩,②黒コショウ,③柑橘汁,④オリーブ油,以上。これが構成要素。
こう書くと,ちゃんと全部入ってるじゃないですかっ,ウチのも! とおっしゃる方もおられようが,順序が違う。合わせればいいというものではない。同じ材料を用いても,順序と手法が異なれば,味としては違うものとなるは料理の理。やりかたが変われば“似て非なるもの”というのだ。
カルパッチョは言うまでもなく,元来,新鮮な畜肉を生で食べることを目的とし,これがイタリア南部を主産地とするオリーブ油および柑橘類と出会い,更に地中海の魚にも波及して定着したと推せられる。
しかし,現代でこそ,新鮮な肉や魚の入手が常識化しているが,その昔,どうであったろうか。まず,鮮度維持に必要な,冷やすための氷がふんだんにあるワケがない。かといって肉にしても魚にしても,屠殺ないし漁獲してから長期間常温で放置するわけにもいかなかったであろう。雑菌が繁殖する条件,すなわち①適度な温度,②水分,③豊富な栄養,が揃えば肉は腐敗へと進む。まして,カルパッチョの必須構成要素である柑橘類の地理的分布は温帯~亜熱帯域であるから,雑菌にとってはより快適なのである。そこで,2つの選択肢が生ずる。新鮮な肉や魚を入手したら,①速やかに食べてしまう,②保存するための処理を施す。
ところで,冷蔵庫が当たり前となった現代の我々は,たとえば肉の表面が菌に冒されて腐敗臭がしたら,可食部全てが腐敗していると錯覚してはいないだろうか。
実は,新鮮な肉の大きな固まりがあったとして,表面が痛んできたとしても,その内部は大丈夫,なのである。危ない部分と安全な部分をごっちゃにしてはもったいない。また魚であれば,大きな魚,たとえばマグロやクジラなどでも同じようなことが言える。丸ごとの小さな魚でも,新鮮なうちにウロコや内臓,ヒレなどの雑菌が付着しやすい部位を除いておけば,大型の生物ほど比較的常温でも長持ちするのである。初期の段階であれば,表面が臭くなったら洗えばよろしい。
そもそも熱帯地方の市場で,常温で魚がゴロゴロ並べられていてもちゃんと食べられるのはなぜか?これも同じ原理で,表面には菌がついていても,「生体」の内部は無菌状態だからだ。死んだ魚や牛でも,初めのうちは内部たる筋肉細胞は生きている。時間がたてば細胞中の分解酵素が作用して細胞が崩壊し,旨みが増し,それを越えれば外側から次第に菌が侵入し繁殖する場所となる。
ちなみに畜肉やマグロを「熟成する」といって固まりのまま保存しておくのは,この自己分解(=旨み成分の増加)と腐敗のきわどいところを見極める技術である。
さて。
とはいえ表面が雑菌に冒されることには変わりはない。そこで保存する手段として,当時氷が少ない時代に使用されるのがまず「塩」であろう。塩は最も入手しやすく生命と関わりの深い最初の調味料であり,味付けのみならず,その強い浸透圧によって肉の細胞から水分を奪うことができる。更に,付着した雑菌の細胞からも水分を奪ってしまう。もちろん海水中には塩分を好む菌もいるのであるが,陸上であれば,塩は,まず,先述した,菌の発生条件の最重要条件である「水分」を奪う力を持っているのである。
肉が腐敗しやすい温・熱帯の地方にあった,冷蔵手段もなく,それでもなお“生で食いたい”という欲求,おそらくそれがカルパッチョを生んだ原動力である。そこでは塩が不可欠のはずだ。しかも,味付け程度ではなく,雑菌が繁殖できない強い塩加減が求められたはずだ。
そして,もうひとつ,安全な生食を実現したのが,レモンやライムをはじめとする柑橘類の植生である。強度な酸味が雑菌の繁殖を阻害して保存性と安全性を高めることは,我が国のシメサバやすし飯でも見るとおり,言うまでもない。固まりに塩をして表面の腐敗を防ぎ,薄く切って露出した肉の断面には柑橘の酸で殺菌する。
更に更に,これほどまでに防菌・殺菌された肉片にオリーブ油をかけて空気を遮断して万全を期している。
これが,カルパッチョという,極めて合理的な生食料理の真髄ではないだろうか。
これと全く同様の生魚料理が南米にあり「セビッチェ」という。ちがうのは,魚にあてる塩分がカルパッチョよりきついことと,柑橘汁を,よりたっぷりかけること。また,粒コショウなどを使う点だ。これもまた,イタリアよりも赤道に近い熱帯地方に叶った流用といえよう。
というわけで,以上の条件を満たした「カルパッチョ」の作り方を紹介しよう。
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【カルパッチョ】
①肉ないし魚は,小口に切りやすい大きさの固まり(魚であれば“サク”程度の大きさ)のまま,全体にきつく塩をまぶし,皿に載せておく。
②タマネギをごく薄くスライスして水にさらし,パリッとしたところで水分をよく切っておく。
③放置する時間は固まりの大きさによって異なるが,更に肉の水分が流れ出る頃を見計らい,表面をなでるように流水で塩をサッと流し,水分を拭いておく。
④薄くそぎ切りにし,タマネギをまんべんなく敷いた皿の上に,密に並べていく。肉の両端は塩辛いので特に薄く切ること。
⑤皿いっぱいに並べ終わったら,柑橘汁をまんべんなくたらしかける。次いで,粗挽き黒コショウをまんべんなく薄くふりかける。
⑥最後にバージンオリーブ油を,細くまんべんなくかけ回す。
⑦これで食べられるが,現代であれば,このまま皿ごとよく冷やして食べるのがオツ。
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「カルパッチョ」の要諦は次のとおり
●肉ないし魚には,切りやすく整形した固まりのままシッカリと塩をあてること。
●薄く切ってちょうどよくなるよう,寝かせる時間を調節すること。
●スライスタマネギの上に薄切りした身を並べ,「柑橘汁→香辛料→オリーブ油」の順に細くまんべんなくふりかけること(ドバッとかけたり,この順序を変えたりしてはいけない。塩・酸・香辛料・オリーブ油のバランスが重要なのであり,また,順序を違えて先に油をかけたりすれば柑橘汁や香辛料の効能が損なわれる)。
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我が国や外国の郷土料理,特に古い歴史を持つ料理を再現するとき,ぜひとも,その地域の地理や環境に想いをはせていただきたい。そして更に言えば,時代をさかのぼり,その土地でその料理が生まれた当時の背景を考えてもらいたい。現代に比べて,何があって,何がなかったのか。そしてどのようにしていたのか。そこに料理の構成要素があるからだ。
料理にせよ文化にせよ,原点にさかのぼると,おのずから“ホンモノ”が見えてくる。料理であればホンモノにより近い旨さを味わうことができる。ホントウのホンモノに出会うには現地に赴くしかないのであるが,その現地にさえ,ホントウのホンモノが消えつつある昨今だ。ぜひとも想像力をたくましくし,それぞれのご家庭に,ホンモノにを再現して伝えてほしいと願う。
2007年05月24日
もうひとつの「塩煮」
なかなか更新できず,お恥ずかしい次第です。さて・・・。
ワタクシは,けして塩煮だけにこだわっているわけでもなく塩煮マニアでもないのです。が,片手落ちで終わらせるわけにもいかない。ということで「もうひとつの塩煮」についてお話しておきます。
07508「塩煮の世界」で,調理法としての塩煮には大別して2種類あると書いた。ひとつは沖縄の「マース煮」であって,これは直訳すればまさに「塩」煮であり,海水を調味料として用いた料理。 既に,この原型改良型および派生型については紹介した。
もうひとつは,長崎県を主体に九州圏で主に継承されている郷土料理の「塩煮」であり,これはきつい塩をあてた魚を煮出し,その塩分で野菜類入れた汁物に仕立てる料理で,これは氷や冷蔵庫がない時代の魚の保存法の延長にある。従って,日本海側,太平洋側を問わず,塩魚を用いた汁物は,名前を変えて各地に存在する。
たとえば三陸から北海道にかけてサバやサンマ,タラやその他の魚に塩をしてを用いた「三平汁」,大坂の船場で日本海の塩サバを用いた「船場汁」,北海道で塩したタラを用いた「じゃっぱ汁」,また,魚ではないが,塩漬けにしたクジラの本皮(表皮と脂肪繊維)を薄切りして用いる「皮汁」もしくは「クジラ汁」なども,古くから沿岸部のみならず山間部にまで浸透している。いずれにせよ,魚と塩が主役の料理なのである。
日本の魚食文化に浸透している度合いとしては,「塩煮」の方が分布が広く,むしろ沖縄の塩煮(マース煮)の方が沖縄地方に固有の特殊なケースと言えるので,本来は前者を「塩煮」,後者を「マース煮」とはっきり呼び分けるべきかもしれない。ただ,前者であっても「塩煮」という呼称は,九州地方の一部にのみ存在するので,これまたややこしい。
マース煮と塩煮の違いは,前者が魚自体を味わうことに重点を置いた一種の「煮物」であるのに対し,後者のそれは「汁」に重点を置き,その中で,魚,野菜などを総合的に味わう料理である点だ。目の前にある同じ素材で,2種類を同時につくり比較してみるのもオモシロイ。ほとんど同じ素材でも作業工程によって味のひき出されかた,味の組成がちがうことに気づくはずだ。これらは,調理技術を深めていく上で大変適した教材的料理でもあると思う。
今回は,私の中の塩煮の原型である,長崎県における塩煮のつくりかたを紹介する。要は,塩の使い方が違うのである。
【長崎県 野母崎半島における塩煮】
この塩煮は,汁の具材としてジャガイモとタマネギを合わせるところが特徴です。
(1) 魚は何でも良い。また,アラだろうが,骨ごとのブツ切りだろうが,切り身だろうが,差し支えない。ウロコは隅々までよく除き,魚は全て食べやすい大きさに切り,ザッと水洗いして水気を切ったらボウルにぶち込み,天然塩を全体にきつめにまぶしておく。そのまま最低30分寝かせる。あるいは一晩置いてもよい。
(2) 鍋に水を張り,厚めに切ったジャガイモを入れて強火にかける。ジャガイモの分量の目安は適宜。箸で刺してパリッと割れる程度に硬めに火が通ったら,塩しておいた魚を洗わずに投入する。この間,ずっと強火のまま。
(3) 沸騰したらアクをとり始める(吹きこぼれないよう,かつ沸騰が続くよう火加減を調節)。ひたすらアクをとり続け,ダシが半透明に澄んだタイミングでアク取りを終了し,沸騰しない程度に火を落とす。
(4) タマネギ半~1個程度を5㎜程度にクシ切りにし,バラして投入。タマネギの分量の目安は,鍋の表面を概ね覆う程度。タマネギが半透明になったら出来上がり。味が薄いようであれば,薄口醤油などをたらして調整する。
(5) これだけでも十分であるが,風味として刻みネギやおろし生姜を少量加えても佳。
この「塩煮」のポイントは,
● そのままで食べるには塩辛過ぎるほどの分量の塩を魚にあてる。目安としてはシメサバをつくるときに当てるベタ塩の加減とほぼ同等。浸透圧によって臭みは余分な水分と共に滲出し,身を引き締め,同時に魚の調味も兼ねている。
● 和食の教科書にある「潮汁」あるいは「すまし汁」の作り方のように,「魚にお湯をかけて掃除して冷水に放ち洗って云々,」といった細かな作業は一切必要ない。臭みとりから調味まで,全て塩がやってくれる。
● ジャガイモに火を通すとき,強火で一気に沸騰させることにより,でんぷん質がベタつかない仕上がりとなる(ただし,翌日に持ち越すと,でんぷんが糊化するので若干水っぽくなる)。
● 魚を投入してからも引き続き強火のままに沸騰させることにより,すばやく臭みと汚れを除去することができる。親の敵をとるが如く,ここではアクを取るのである。
● 魚を入れてからも,アクとりしている間はずっと強火のままであるが,ダシが澄んだにもかかわらず強火のままにしておくと,延々とアクが出る羽目になる。ダシが澄んだらアクとり終了,沸騰しない程度の弱火に落とす。
● タマネギは煮え進むと甘味成分が強くなり過ぎ,味の再調整が必要となる。従って,スッと半透明になった瞬間,いわゆる“煮えばな”を最良の食べるタイミングとする。
● 味の調整で薄口醤油を加えることもあるが,基本は,出来上がりの味を想定して魚にあてる塩を加減することにある。いわば,味の大枠は,一番最初の作業で決まってしまうと言ってよい。ここが,これまで紹介してきた塩煮(マース煮)とは異なる奥の深さの部分。
さて皆さん。この料理をつくる過程で,ひとつ試してほしいことがある。
ジャガイモが煮えたら塩魚を投入し,汁が澄むまでアクをとる,と。この段階で,汁の味をみてやってほしいのです。びっくりするハズ。
もう,ほぼ,9割以上,この段階で既に味はできているのですよ。ジャガイモからはそんなにダシが出るわけもないので,要は“塩した魚を茹でただけ”の味です。これが塩のチカラなのです。
(問い)それでは,魚を生のまま茹でて,そこに塩で味をつけたら同じ味になるか?
(答え)→なりません。旨みの薄い,生臭い,塩汁になります。一般的な和食の潮汁は,この,あとから塩を加えるタイプなので,いろいろ下処理がめんどうになりますし、十分に旨みが出ないから酒のほかに昆布や、場合によってはカツオなどのダシを加えるのです。
更に,タマネギを加えて一呼吸置いて,もういちど味見してみてください。
これにも,タマげます。完成,なのですよ。これで。
何回かやってみて,魚にこれくらいの塩をしておけば,このくらいの塩加減の汁になるな,というポイントを,自分なりに経験としてつかんでおくことは大切なのですが,実はこのタマネギ,カリウムをたくさん含んでいる。塩の主成分はナトリウムですね。
カリウムとナトリウムは,細胞の壁を境にして,常にバランスを保とうとしているのです。従って,多少塩辛すぎたとしても,ある程度はタマネギが吸収して味のバランスを保ってくれるのです。
というしくみになっております。 なんとありがたい野菜でありましょうか。
どうです?
極めてラクチンでしょう!
これも,マース煮同様,15分1本勝負であります。
ジャガやタマを入れなくても,季節の葉物,野菜,なんでも刻んで入れればOKです。根菜類を入れるときには魚の前に。葉物は魚のアクを取り終わってから入れればよろしい。ただ,ジャガタマが,いちばん魚の味を邪魔せずに旨みを出してくれるので、私はこれを基本形としています。
調味過程でマース煮との違いはどこにあるかといえば,マース煮が,焼いて,酒で煮て,味が浸透しやすくしたところに塩水で味付けするのに対し,塩煮は,あらかじめ魚に塩味をつけておいて水で煮て,その浸みだした旨みで汁や野菜を味付けする,という点。
また,マース煮が,主に白身の魚に適しているのに対し,この塩煮は,赤身の魚にも適しているのです。もちろん白身でもイケます。青魚でマース煮をすると,やや生臭さが残る。まあ魚料理はなんでも,時間がたつほどに臭みは発生するものですが。
煮物,汁物は,やはり「煮えばな」を食わないと、或いは食べてもらわないと、いけない。
料理はつくるタイミングと同等に,食べるタイミングも重要なのはご周知のとおり。
それをわかってくれる人にこそ食べてもらいたいし,一緒に暮らしたい,というのもありますな!
皆さんのご家庭はどうですかな?
さて,これまで紹介した2つの塩煮についてひと言でまとめると,
マース煮の要諦は,
「魚の下処理と加える塩水の塩加減,そして火加減」
塩煮の要諦は,
「最初に魚へあてる塩の加減,そして火加減」
内地の塩煮のほうが,チョイ楽か。
こまかいところは、お手数ですが過去記事をご覧下され。
ま,こんなとこで。
ワタクシは,けして塩煮だけにこだわっているわけでもなく塩煮マニアでもないのです。が,片手落ちで終わらせるわけにもいかない。ということで「もうひとつの塩煮」についてお話しておきます。
07508「塩煮の世界」で,調理法としての塩煮には大別して2種類あると書いた。ひとつは沖縄の「マース煮」であって,これは直訳すればまさに「塩」煮であり,海水を調味料として用いた料理。 既に,この原型改良型および派生型については紹介した。
もうひとつは,長崎県を主体に九州圏で主に継承されている郷土料理の「塩煮」であり,これはきつい塩をあてた魚を煮出し,その塩分で野菜類入れた汁物に仕立てる料理で,これは氷や冷蔵庫がない時代の魚の保存法の延長にある。従って,日本海側,太平洋側を問わず,塩魚を用いた汁物は,名前を変えて各地に存在する。
たとえば三陸から北海道にかけてサバやサンマ,タラやその他の魚に塩をしてを用いた「三平汁」,大坂の船場で日本海の塩サバを用いた「船場汁」,北海道で塩したタラを用いた「じゃっぱ汁」,また,魚ではないが,塩漬けにしたクジラの本皮(表皮と脂肪繊維)を薄切りして用いる「皮汁」もしくは「クジラ汁」なども,古くから沿岸部のみならず山間部にまで浸透している。いずれにせよ,魚と塩が主役の料理なのである。
日本の魚食文化に浸透している度合いとしては,「塩煮」の方が分布が広く,むしろ沖縄の塩煮(マース煮)の方が沖縄地方に固有の特殊なケースと言えるので,本来は前者を「塩煮」,後者を「マース煮」とはっきり呼び分けるべきかもしれない。ただ,前者であっても「塩煮」という呼称は,九州地方の一部にのみ存在するので,これまたややこしい。
マース煮と塩煮の違いは,前者が魚自体を味わうことに重点を置いた一種の「煮物」であるのに対し,後者のそれは「汁」に重点を置き,その中で,魚,野菜などを総合的に味わう料理である点だ。目の前にある同じ素材で,2種類を同時につくり比較してみるのもオモシロイ。ほとんど同じ素材でも作業工程によって味のひき出されかた,味の組成がちがうことに気づくはずだ。これらは,調理技術を深めていく上で大変適した教材的料理でもあると思う。
今回は,私の中の塩煮の原型である,長崎県における塩煮のつくりかたを紹介する。要は,塩の使い方が違うのである。
【長崎県 野母崎半島における塩煮】
この塩煮は,汁の具材としてジャガイモとタマネギを合わせるところが特徴です。
(1) 魚は何でも良い。また,アラだろうが,骨ごとのブツ切りだろうが,切り身だろうが,差し支えない。ウロコは隅々までよく除き,魚は全て食べやすい大きさに切り,ザッと水洗いして水気を切ったらボウルにぶち込み,天然塩を全体にきつめにまぶしておく。そのまま最低30分寝かせる。あるいは一晩置いてもよい。
(2) 鍋に水を張り,厚めに切ったジャガイモを入れて強火にかける。ジャガイモの分量の目安は適宜。箸で刺してパリッと割れる程度に硬めに火が通ったら,塩しておいた魚を洗わずに投入する。この間,ずっと強火のまま。
(3) 沸騰したらアクをとり始める(吹きこぼれないよう,かつ沸騰が続くよう火加減を調節)。ひたすらアクをとり続け,ダシが半透明に澄んだタイミングでアク取りを終了し,沸騰しない程度に火を落とす。
(4) タマネギ半~1個程度を5㎜程度にクシ切りにし,バラして投入。タマネギの分量の目安は,鍋の表面を概ね覆う程度。タマネギが半透明になったら出来上がり。味が薄いようであれば,薄口醤油などをたらして調整する。
(5) これだけでも十分であるが,風味として刻みネギやおろし生姜を少量加えても佳。
この「塩煮」のポイントは,
● そのままで食べるには塩辛過ぎるほどの分量の塩を魚にあてる。目安としてはシメサバをつくるときに当てるベタ塩の加減とほぼ同等。浸透圧によって臭みは余分な水分と共に滲出し,身を引き締め,同時に魚の調味も兼ねている。
● 和食の教科書にある「潮汁」あるいは「すまし汁」の作り方のように,「魚にお湯をかけて掃除して冷水に放ち洗って云々,」といった細かな作業は一切必要ない。臭みとりから調味まで,全て塩がやってくれる。
● ジャガイモに火を通すとき,強火で一気に沸騰させることにより,でんぷん質がベタつかない仕上がりとなる(ただし,翌日に持ち越すと,でんぷんが糊化するので若干水っぽくなる)。
● 魚を投入してからも引き続き強火のままに沸騰させることにより,すばやく臭みと汚れを除去することができる。親の敵をとるが如く,ここではアクを取るのである。
● 魚を入れてからも,アクとりしている間はずっと強火のままであるが,ダシが澄んだにもかかわらず強火のままにしておくと,延々とアクが出る羽目になる。ダシが澄んだらアクとり終了,沸騰しない程度の弱火に落とす。
● タマネギは煮え進むと甘味成分が強くなり過ぎ,味の再調整が必要となる。従って,スッと半透明になった瞬間,いわゆる“煮えばな”を最良の食べるタイミングとする。
● 味の調整で薄口醤油を加えることもあるが,基本は,出来上がりの味を想定して魚にあてる塩を加減することにある。いわば,味の大枠は,一番最初の作業で決まってしまうと言ってよい。ここが,これまで紹介してきた塩煮(マース煮)とは異なる奥の深さの部分。
さて皆さん。この料理をつくる過程で,ひとつ試してほしいことがある。
ジャガイモが煮えたら塩魚を投入し,汁が澄むまでアクをとる,と。この段階で,汁の味をみてやってほしいのです。びっくりするハズ。
もう,ほぼ,9割以上,この段階で既に味はできているのですよ。ジャガイモからはそんなにダシが出るわけもないので,要は“塩した魚を茹でただけ”の味です。これが塩のチカラなのです。
(問い)それでは,魚を生のまま茹でて,そこに塩で味をつけたら同じ味になるか?
(答え)→なりません。旨みの薄い,生臭い,塩汁になります。一般的な和食の潮汁は,この,あとから塩を加えるタイプなので,いろいろ下処理がめんどうになりますし、十分に旨みが出ないから酒のほかに昆布や、場合によってはカツオなどのダシを加えるのです。
更に,タマネギを加えて一呼吸置いて,もういちど味見してみてください。
これにも,タマげます。完成,なのですよ。これで。
何回かやってみて,魚にこれくらいの塩をしておけば,このくらいの塩加減の汁になるな,というポイントを,自分なりに経験としてつかんでおくことは大切なのですが,実はこのタマネギ,カリウムをたくさん含んでいる。塩の主成分はナトリウムですね。
カリウムとナトリウムは,細胞の壁を境にして,常にバランスを保とうとしているのです。従って,多少塩辛すぎたとしても,ある程度はタマネギが吸収して味のバランスを保ってくれるのです。
というしくみになっております。 なんとありがたい野菜でありましょうか。
どうです?
極めてラクチンでしょう!
これも,マース煮同様,15分1本勝負であります。
ジャガやタマを入れなくても,季節の葉物,野菜,なんでも刻んで入れればOKです。根菜類を入れるときには魚の前に。葉物は魚のアクを取り終わってから入れればよろしい。ただ,ジャガタマが,いちばん魚の味を邪魔せずに旨みを出してくれるので、私はこれを基本形としています。
調味過程でマース煮との違いはどこにあるかといえば,マース煮が,焼いて,酒で煮て,味が浸透しやすくしたところに塩水で味付けするのに対し,塩煮は,あらかじめ魚に塩味をつけておいて水で煮て,その浸みだした旨みで汁や野菜を味付けする,という点。
また,マース煮が,主に白身の魚に適しているのに対し,この塩煮は,赤身の魚にも適しているのです。もちろん白身でもイケます。青魚でマース煮をすると,やや生臭さが残る。まあ魚料理はなんでも,時間がたつほどに臭みは発生するものですが。
煮物,汁物は,やはり「煮えばな」を食わないと、或いは食べてもらわないと、いけない。
料理はつくるタイミングと同等に,食べるタイミングも重要なのはご周知のとおり。
それをわかってくれる人にこそ食べてもらいたいし,一緒に暮らしたい,というのもありますな!
皆さんのご家庭はどうですかな?
さて,これまで紹介した2つの塩煮についてひと言でまとめると,
マース煮の要諦は,
「魚の下処理と加える塩水の塩加減,そして火加減」
塩煮の要諦は,
「最初に魚へあてる塩の加減,そして火加減」
内地の塩煮のほうが,チョイ楽か。
こまかいところは、お手数ですが過去記事をご覧下され。
ま,こんなとこで。
2007年05月08日
続・塩煮の世界
塩煮が簡易かつ滋味なる料理法である点,前回述べた次第。
そしてシンプルなものほど使い手に応じて様々に応用が利く。その点,料理も釣り道具もすべからく同じと思う。
過日,メバルの塩煮道にはまり込んでおられるイカロック氏の前に,次なる課題出現。それは“塩煮にもいろいろバリエーションがある”ということ。
世界の主たる料理を和・洋・中とおおまかに分類したとき,用いる素材の種類でみると,意外と似たようなものを使っていることに気づく。では何が違うのかと言えば,素材から出る旨み成分が共通であるとすれば,あとは素材の組み合わせ,中でも素材の味を補うために用いる主たる調味料,それから“香味”と“油脂の風味”の違いが最も大きいと思われる。これがひとつのカギとなる。
塩煮はその名のとおり塩水,それと少量の酒によって魚の旨みを引き出したもので,それ以外の風味は長ネギとサラダ油であり,これら調味料は魚の味を損なわず,かつ過不足のない役割を果たしてくれる。これを「和」,とするならば,洋や中との関係はどうなるのか,塩煮が化けるとはどういうことなのか、というのが今回のお題。理屈はこれくらいにして実践です。
●「洋」の塩煮
(1) 魚の下処理は塩煮に準ず。万事これを怠ってはいけない。
(2) フライパンにオリーブ油を若干多めに入れ,火を入れる前に厚めにスライスしたニンニク数片および種を抜いた唐辛子1本を投じ,弱火で加熱。辛味は唐辛子を熱する時間で調節する(油の味見も大切)。ニンニクは両面きつね色になったら小皿に取り出しておく。
(3) 火を中火に上げメバルの表・裏の順に焼き目をつける点も塩煮に準ず。表を焼き終わった時点 で,黄パプリカ,ピーマン等をメバルの周囲で炒め始める。
(4) メバルの両面を焼き終えたら,強火にして酒を投入し,蓋。アルコールが飛んだら蓋をとり塩煮と同濃度の塩水を注ぎ,粗挽きコショウを少々。ここでとり置いたニンニクスライスを戻す。
(5) 再度沸いたところで,トマト適量個数を“粗くすり下ろして”加える。竹製の「鬼おろし」があれば用いて最良。沸いたらアクをとる。
(6) 煮加減も塩煮に準ず。最後にセロリの葉,もしくは三つ葉を刻んだものを振りかけ,なじんだら火を止める。スープを飲みつつ食べるのがいいので,スプーンを添えることをお忘れなく。
さて,以上を見れば,あれあれ!いわゆるイタリーの“アクア・パッツァ”ではないか,と思い当たる方がおられて当然と思う。そこはそれ,本品はあくまでも“和”たる塩煮から派生したものであるから,味のスジは同じでも風味が少々異なる。パンだけではなく白いご飯にも合う。これは,食べていただければわかること。
アクア~も家庭料理なので,作り方もいろいろであるが,ここでご紹介したスタイルの特徴は,旨みはそのままに風味が爽やかであること。本場モノも大変おいしいが,いささか重たい。逆に,アチラ慣れした方には物足りないということもあろうが、当家の要点は以下の如し。
①ニンニクは途中で取り出し後で再度戻すことにより,香味と香ばしさのみ用いることができる。
②使用する酒はワインではなく日本酒を用いることにより,酒の酸味を控える。
③甘味の強いプチトマトやドライトマト,或いはトマトピューレなどは用いず,大型トマトを生ですり下ろ して加える。
③香辛料として通常用いるバジルやオレガノ等は入れず,香味はニンニク・黒コショウとセロリないし 三つ葉程度とする。
では次に,中国大陸に赴きますか。
●「中」の塩煮
(1) 魚の下処理は塩煮に準ず。ゆめゆめこれを怠ってはいけない。
(2) フライパンにゴマ油を入れ,皮付きショウガのスライス数片を投じ,弱火に点火。香りが立ったところで長ネギの青い方から半分をみじんに切ったものを投入し,軽く炒める。
(3) 長ネギの香りが立ったところで,火を中火にしてメバルを入れ,表・裏と焼き目をつける。そして酒入れて蓋。アルコールが飛んだら塩水を加え,煮加減を料る。この一連の工程,全て塩煮に準ずる。
(4) 煮上がり直前にゴマ油ごく少量をメバルに直接たらし,火を止める。
(5) 残った長ネギの白い方を5㎝ほどに切りそろえ,芯を抜いてタテに極細に刻んで,水にさらして水気を切る。いわゆる白髪ネギ。そして,ショウガの皮を剥き,針に刻んで水にさらして水気を切る。いわゆる針ショウガ。これを,器に移した魚の上に,ネギたっぷり,ショウガ適量,の順に盛りつける。これは,ネギとショウガを熱いスープの中に崩し入れ,ほぐした身と共に浸しながら食うのがスバラシイ。
さて,以上を読めば,アレね!いわゆるチャイナの“清蒸(チンジャオ)”??,半疑問系でおっしゃられても,この場合は,いいえ全く違いマスとお答えするしかない。ご覧のとおり蒸していない。
第一,恐れ多くも中国大陸最強の魚料理であるチンジャオは,本格の料理店であれば,これ専門の達人が一日中それのみの任に徹し,魚のサイズ・質,調味,蒸し加減に至るまで,全神経を針のようにして蒸し上げるという、たいした料理なのである。そこでまたまた当家としては,「本品はあくまでも塩煮から派生したものでありますから云々,」などと述べるのみ。
しかし,食べてもらえばわかるが,なかなかいい線をイッテるのである。かの蒸し魚料理のように神経をとがらかすことなく,極めて短時間で,別の、近い味を味わえる,というのは言い過ぎか。風味の要件は満たしている。試しに,かの料理に専ら用いるデカ口の魚=ハタ類,マハタ(ホンカナ)やアオハタ(キカナ),キジハタ(アカミズ)なんかで作ってみると,これがイケルのである。
→ ただし,決定的なことが・・・
● フライパンに入れて蓋できないサイズの魚は無理。かといってちょん切るのは惜しい。
● 魚が大きいと,直火では火の通りにムラが生ずる。
・・・ですから,小さいキジハタなど釣れた時には,お手軽に,ぜひ。
総じて,洋や中から和には化けにくい。が,和から洋や中テイストへの移行は,その構成要素さえ押さえれば比較的容易である。これは和の世界がに素材の持ち味を優先していることの証であろうと思う。従って,たとえば「韓」はどうか(ゴマ油,大葉・ニンニク・辛・味噌など),「タイ」はどうか(サラダ油,甘・辛・酸+香味),というように,世界の料理と芋ヅル式に広がっていける。どこを旅してもいろいろできる。構成要素とそれらの加減。順序とタイミング。これだけでもいろいろできる。最初は似て非なるものであっても,研鑽すればしただけ独自のホンモノとなる。
もっとも,最近の創作料理なんてのにマトモなものに出会ったためしがない。趣味の延長で、古今東西の味の系譜を逸脱した独善的ママゴトのように見える。プロというからには基礎と基本は一度はちゃんとカラダに憶えさせないといけない。草書の前には楷書の練習が必要ではないか。なんてのは余談。
まあ,だまされたと思って、塩煮と真剣に遊んでみてはいかがでしょうか。
おもしろくて旨いですよ!
そしてシンプルなものほど使い手に応じて様々に応用が利く。その点,料理も釣り道具もすべからく同じと思う。
過日,メバルの塩煮道にはまり込んでおられるイカロック氏の前に,次なる課題出現。それは“塩煮にもいろいろバリエーションがある”ということ。
世界の主たる料理を和・洋・中とおおまかに分類したとき,用いる素材の種類でみると,意外と似たようなものを使っていることに気づく。では何が違うのかと言えば,素材から出る旨み成分が共通であるとすれば,あとは素材の組み合わせ,中でも素材の味を補うために用いる主たる調味料,それから“香味”と“油脂の風味”の違いが最も大きいと思われる。これがひとつのカギとなる。
塩煮はその名のとおり塩水,それと少量の酒によって魚の旨みを引き出したもので,それ以外の風味は長ネギとサラダ油であり,これら調味料は魚の味を損なわず,かつ過不足のない役割を果たしてくれる。これを「和」,とするならば,洋や中との関係はどうなるのか,塩煮が化けるとはどういうことなのか、というのが今回のお題。理屈はこれくらいにして実践です。
●「洋」の塩煮
(1) 魚の下処理は塩煮に準ず。万事これを怠ってはいけない。
(2) フライパンにオリーブ油を若干多めに入れ,火を入れる前に厚めにスライスしたニンニク数片および種を抜いた唐辛子1本を投じ,弱火で加熱。辛味は唐辛子を熱する時間で調節する(油の味見も大切)。ニンニクは両面きつね色になったら小皿に取り出しておく。
(3) 火を中火に上げメバルの表・裏の順に焼き目をつける点も塩煮に準ず。表を焼き終わった時点 で,黄パプリカ,ピーマン等をメバルの周囲で炒め始める。
(4) メバルの両面を焼き終えたら,強火にして酒を投入し,蓋。アルコールが飛んだら蓋をとり塩煮と同濃度の塩水を注ぎ,粗挽きコショウを少々。ここでとり置いたニンニクスライスを戻す。
(5) 再度沸いたところで,トマト適量個数を“粗くすり下ろして”加える。竹製の「鬼おろし」があれば用いて最良。沸いたらアクをとる。
(6) 煮加減も塩煮に準ず。最後にセロリの葉,もしくは三つ葉を刻んだものを振りかけ,なじんだら火を止める。スープを飲みつつ食べるのがいいので,スプーンを添えることをお忘れなく。
さて,以上を見れば,あれあれ!いわゆるイタリーの“アクア・パッツァ”ではないか,と思い当たる方がおられて当然と思う。そこはそれ,本品はあくまでも“和”たる塩煮から派生したものであるから,味のスジは同じでも風味が少々異なる。パンだけではなく白いご飯にも合う。これは,食べていただければわかること。
アクア~も家庭料理なので,作り方もいろいろであるが,ここでご紹介したスタイルの特徴は,旨みはそのままに風味が爽やかであること。本場モノも大変おいしいが,いささか重たい。逆に,アチラ慣れした方には物足りないということもあろうが、当家の要点は以下の如し。
①ニンニクは途中で取り出し後で再度戻すことにより,香味と香ばしさのみ用いることができる。
②使用する酒はワインではなく日本酒を用いることにより,酒の酸味を控える。
③甘味の強いプチトマトやドライトマト,或いはトマトピューレなどは用いず,大型トマトを生ですり下ろ して加える。
③香辛料として通常用いるバジルやオレガノ等は入れず,香味はニンニク・黒コショウとセロリないし 三つ葉程度とする。
では次に,中国大陸に赴きますか。
●「中」の塩煮
(1) 魚の下処理は塩煮に準ず。ゆめゆめこれを怠ってはいけない。
(2) フライパンにゴマ油を入れ,皮付きショウガのスライス数片を投じ,弱火に点火。香りが立ったところで長ネギの青い方から半分をみじんに切ったものを投入し,軽く炒める。
(3) 長ネギの香りが立ったところで,火を中火にしてメバルを入れ,表・裏と焼き目をつける。そして酒入れて蓋。アルコールが飛んだら塩水を加え,煮加減を料る。この一連の工程,全て塩煮に準ずる。
(4) 煮上がり直前にゴマ油ごく少量をメバルに直接たらし,火を止める。
(5) 残った長ネギの白い方を5㎝ほどに切りそろえ,芯を抜いてタテに極細に刻んで,水にさらして水気を切る。いわゆる白髪ネギ。そして,ショウガの皮を剥き,針に刻んで水にさらして水気を切る。いわゆる針ショウガ。これを,器に移した魚の上に,ネギたっぷり,ショウガ適量,の順に盛りつける。これは,ネギとショウガを熱いスープの中に崩し入れ,ほぐした身と共に浸しながら食うのがスバラシイ。
さて,以上を読めば,アレね!いわゆるチャイナの“清蒸(チンジャオ)”??,半疑問系でおっしゃられても,この場合は,いいえ全く違いマスとお答えするしかない。ご覧のとおり蒸していない。
第一,恐れ多くも中国大陸最強の魚料理であるチンジャオは,本格の料理店であれば,これ専門の達人が一日中それのみの任に徹し,魚のサイズ・質,調味,蒸し加減に至るまで,全神経を針のようにして蒸し上げるという、たいした料理なのである。そこでまたまた当家としては,「本品はあくまでも塩煮から派生したものでありますから云々,」などと述べるのみ。
しかし,食べてもらえばわかるが,なかなかいい線をイッテるのである。かの蒸し魚料理のように神経をとがらかすことなく,極めて短時間で,別の、近い味を味わえる,というのは言い過ぎか。風味の要件は満たしている。試しに,かの料理に専ら用いるデカ口の魚=ハタ類,マハタ(ホンカナ)やアオハタ(キカナ),キジハタ(アカミズ)なんかで作ってみると,これがイケルのである。
→ ただし,決定的なことが・・・
● フライパンに入れて蓋できないサイズの魚は無理。かといってちょん切るのは惜しい。
● 魚が大きいと,直火では火の通りにムラが生ずる。
・・・ですから,小さいキジハタなど釣れた時には,お手軽に,ぜひ。
総じて,洋や中から和には化けにくい。が,和から洋や中テイストへの移行は,その構成要素さえ押さえれば比較的容易である。これは和の世界がに素材の持ち味を優先していることの証であろうと思う。従って,たとえば「韓」はどうか(ゴマ油,大葉・ニンニク・辛・味噌など),「タイ」はどうか(サラダ油,甘・辛・酸+香味),というように,世界の料理と芋ヅル式に広がっていける。どこを旅してもいろいろできる。構成要素とそれらの加減。順序とタイミング。これだけでもいろいろできる。最初は似て非なるものであっても,研鑽すればしただけ独自のホンモノとなる。
もっとも,最近の創作料理なんてのにマトモなものに出会ったためしがない。趣味の延長で、古今東西の味の系譜を逸脱した独善的ママゴトのように見える。プロというからには基礎と基本は一度はちゃんとカラダに憶えさせないといけない。草書の前には楷書の練習が必要ではないか。なんてのは余談。
まあ,だまされたと思って、塩煮と真剣に遊んでみてはいかがでしょうか。
おもしろくて旨いですよ!
2007年05月08日
塩煮の世界
ようやくノロノロと始動。
のっけから食う話で恐縮です。
この借家を建ててくだすったイカロックさん,最近,塩煮に熱く傾倒しておられるようで。
たしかに,それほど簡易でかつしみじみと旨い料理だと思う。簡易ゆえに各人ごとの味があり,また,安定した味になるには経験を要す奥深さがある。
今回はこの料理の背景を含め,いちどおさらいをしておこうと思う。この内容は,片親である釣り天狗さんの掲示板に以前投稿した内容の増補版である点,あしからず。
日本における「塩煮」は、大別して2つ。
Ⅰ. 沖縄郷土料理である「マース煮」(マースとは塩のこと)→これは元来、獲りたての魚を海水で煮た浜料理が原型。
Ⅱ. 長崎・熊本を中心とした九州地方の郷土料理である「塩煮」→これは、あらかじめきつく塩をして寝かせておいた魚の旨みと塩気を活かした吸い物。ジャガイモやタマネギを入れることが多い。かつて保存目的で塩をした魚を使ったのが原型。同様な手法は、塩サバの塩気で大根を煮た「船場汁」、北方で塩したタラを用いた「じゃっぱ汁」、或いは三陸の「三平汁」などに散見される。
このうち,ご紹介するのは、Ⅰ.をより内地の口に合うようにアレンジしたものです。では勘所を一手。Ⅱ.についてはまた後日。
①メバルの鱗、鰓、内臓をとり、内外の水気を拭いておく。
このとき、以下に注意するとよろしい。これによって、生臭さを低減し、強火で煮立てたときの身崩れを防ぎます。
●鱗は細かいところまでとること
●鰓をとるときに、胸とアゴのつながりを切らないこと(煮たときの首折れを防ぐ)
●内臓をとるときは、腹の真ん中から切らず、体側の右側にかくし包丁を入れ、そこから取り出すこと (腹身の崩れを防ぐ)。
●腹の中の背骨沿いに固着している血液および腎臓は歯ブラシで取り除いておくこと。
●身に入れる切れ目は骨に到達する程度に、長く斜めに1本のみとすること(バッテンに入れると身が 崩れる)
●一日以上冷蔵庫に保存する場合は、全てのヒレをハサミで切り取り,基地員ペーパーとラップで包 んでおく(ヒレは雑菌が多いので臭みの原因となる)
②長ネギは3~5㎝ほどに切っておく(切る長さによって味わいが変化するところがオモシロイ)
③ボウルの水に粗塩を溶き、濃いすまし汁程度の塩水に加減する。
④フライパンにサラダ油をひき中火で熱し、まず先にメバルの左側(盛りつけた時に表になる側)を下にして焼き目をつけたら、ひっくり返して右側を同様に。同時に長ネギにも焼き目をつける(→左側を焼き終わったあたりから長ネギを入れ、箸で返し焼き目をつけながら右側を焼くと丁度よい。要は、メバルの裏・表・長ネギの焼き目が、同時に仕上がるよう、入れるタイミングを調節するのです)。
⑤軽く焼き目がついたら、強火にし、コップ半分~1杯くらいの日本酒を注ぎ、すかさず蓋をする。
( 注意!→酒が沸騰しているときにいきなり蓋をとると,アルコールに引火します。そこで,アルコールが飛んだ加減を見るときには,蓋を一瞬少しだけ持ち上げてスバヤク蓋を戻すときに出るわずかな湯気を嗅いで,酒臭さが飛んだら良しとする。)
⑥アルコールが飛んで,メバルのシッポあたりの肉が反り返ったら蓋をあけ、作り置いた塩水をメバルの高さヒタヒタまで注ぐ。甘めがお好きな方は,煮立ったらミリンをごく少々。
⑦メバルの切れ目を入れたところの身が反って骨から浮いたら火を切ってひと呼吸置き完成。以上、必殺15分勝負です。
この料理はショウガなどを使わないので純粋な魚の味を感じますが、では、何によって臭みをとっているのか ↓。
血液および水分に臭み成分は溶けていますので、背骨の血合いをこすり落とす。調理前に水気を拭いておく。焼き目の香ばしさで臭みをマスクし、そして、強火にした後に酒を一気に注ぎ、旨みを込めると共にアルコール分で臭み成分を分解。塩水を注いで身を引き締め、終始強火でスバヤク炊き上げることによって煮くずれを回避する。
すなわち、①水、②塩、③酒、④熱、の要素をいかにタイミング良くコントロールするか、ということなのであります。
いずれにせよ,“考えながら”,“場数を踏む”ということでしょう。釣りも同じですねえ。
さて,この塩煮。メバル以外ではどんな魚に適するのであろうか。ぜひいろいろ試していただきたい。けして白身魚がいいといった単純な事ではない。魚の種類はもとより,サイズによっても味わいが違います。たとえばこれからの季節,イサキ,とか~,アジ,とか~,いいようですよ! タイは?(タイは意外に合わないんだな,これが)。加熱すると身がしっとりするヤツがいい。
のっけから食う話で恐縮です。
この借家を建ててくだすったイカロックさん,最近,塩煮に熱く傾倒しておられるようで。
たしかに,それほど簡易でかつしみじみと旨い料理だと思う。簡易ゆえに各人ごとの味があり,また,安定した味になるには経験を要す奥深さがある。
今回はこの料理の背景を含め,いちどおさらいをしておこうと思う。この内容は,片親である釣り天狗さんの掲示板に以前投稿した内容の増補版である点,あしからず。
日本における「塩煮」は、大別して2つ。
Ⅰ. 沖縄郷土料理である「マース煮」(マースとは塩のこと)→これは元来、獲りたての魚を海水で煮た浜料理が原型。
Ⅱ. 長崎・熊本を中心とした九州地方の郷土料理である「塩煮」→これは、あらかじめきつく塩をして寝かせておいた魚の旨みと塩気を活かした吸い物。ジャガイモやタマネギを入れることが多い。かつて保存目的で塩をした魚を使ったのが原型。同様な手法は、塩サバの塩気で大根を煮た「船場汁」、北方で塩したタラを用いた「じゃっぱ汁」、或いは三陸の「三平汁」などに散見される。
このうち,ご紹介するのは、Ⅰ.をより内地の口に合うようにアレンジしたものです。では勘所を一手。Ⅱ.についてはまた後日。
①メバルの鱗、鰓、内臓をとり、内外の水気を拭いておく。
このとき、以下に注意するとよろしい。これによって、生臭さを低減し、強火で煮立てたときの身崩れを防ぎます。
●鱗は細かいところまでとること
●鰓をとるときに、胸とアゴのつながりを切らないこと(煮たときの首折れを防ぐ)
●内臓をとるときは、腹の真ん中から切らず、体側の右側にかくし包丁を入れ、そこから取り出すこと (腹身の崩れを防ぐ)。
●腹の中の背骨沿いに固着している血液および腎臓は歯ブラシで取り除いておくこと。
●身に入れる切れ目は骨に到達する程度に、長く斜めに1本のみとすること(バッテンに入れると身が 崩れる)
●一日以上冷蔵庫に保存する場合は、全てのヒレをハサミで切り取り,基地員ペーパーとラップで包 んでおく(ヒレは雑菌が多いので臭みの原因となる)
②長ネギは3~5㎝ほどに切っておく(切る長さによって味わいが変化するところがオモシロイ)
③ボウルの水に粗塩を溶き、濃いすまし汁程度の塩水に加減する。
④フライパンにサラダ油をひき中火で熱し、まず先にメバルの左側(盛りつけた時に表になる側)を下にして焼き目をつけたら、ひっくり返して右側を同様に。同時に長ネギにも焼き目をつける(→左側を焼き終わったあたりから長ネギを入れ、箸で返し焼き目をつけながら右側を焼くと丁度よい。要は、メバルの裏・表・長ネギの焼き目が、同時に仕上がるよう、入れるタイミングを調節するのです)。
⑤軽く焼き目がついたら、強火にし、コップ半分~1杯くらいの日本酒を注ぎ、すかさず蓋をする。
( 注意!→酒が沸騰しているときにいきなり蓋をとると,アルコールに引火します。そこで,アルコールが飛んだ加減を見るときには,蓋を一瞬少しだけ持ち上げてスバヤク蓋を戻すときに出るわずかな湯気を嗅いで,酒臭さが飛んだら良しとする。)
⑥アルコールが飛んで,メバルのシッポあたりの肉が反り返ったら蓋をあけ、作り置いた塩水をメバルの高さヒタヒタまで注ぐ。甘めがお好きな方は,煮立ったらミリンをごく少々。
⑦メバルの切れ目を入れたところの身が反って骨から浮いたら火を切ってひと呼吸置き完成。以上、必殺15分勝負です。
この料理はショウガなどを使わないので純粋な魚の味を感じますが、では、何によって臭みをとっているのか ↓。
血液および水分に臭み成分は溶けていますので、背骨の血合いをこすり落とす。調理前に水気を拭いておく。焼き目の香ばしさで臭みをマスクし、そして、強火にした後に酒を一気に注ぎ、旨みを込めると共にアルコール分で臭み成分を分解。塩水を注いで身を引き締め、終始強火でスバヤク炊き上げることによって煮くずれを回避する。
すなわち、①水、②塩、③酒、④熱、の要素をいかにタイミング良くコントロールするか、ということなのであります。
いずれにせよ,“考えながら”,“場数を踏む”ということでしょう。釣りも同じですねえ。
さて,この塩煮。メバル以外ではどんな魚に適するのであろうか。ぜひいろいろ試していただきたい。けして白身魚がいいといった単純な事ではない。魚の種類はもとより,サイズによっても味わいが違います。たとえばこれからの季節,イサキ,とか~,アジ,とか~,いいようですよ! タイは?(タイは意外に合わないんだな,これが)。加熱すると身がしっとりするヤツがいい。